第二章:『戦前の常識、戦後の非常識』

第二章:『戦前の常識、戦後の非常識』

◎1:勝手に戦前を否定するな

 のっけから、伯家と関係なさそうな話題で恐縮だが、非神道的になってしまっ た日本の現状から、まずお知りおき願いたい。前章で伯家神道のくわしい行法に ついて書くと予告したが、色々と調べはじめたら、いきなりそこへ行くのは、と んでもないことだとわかってあわてる破目になった。

 その前に、色々と知って頂くべき基礎知識がある。また、それなしでは読者に いらざる誤解を招くおそれがある。まず基本的な認識の確認から入らせて頂きた い。

 とにかく、戦前と戦後で、何が変わってしまったのかという点を、はっきりさ せないことには、前に進めない。戦争と神道の関係を把握しないことには、誤解 が誤解を生んで雪だるまになりかねないことを、痛感したのである。

 そんなわけで、以下の文章をお読みいただきたい。まわり道にはなるが、決し て損はさせません。

 さて、筆者は『戦争を知らない子供たち』というフォークソングが、頭に「大 」が三つつくくらい嫌いである。ついでに、広島の原爆記念公園の「あやまちは 二度とくりかえしませぬから」という碑文も、毎年のように耳にするたび気に入 らない。

 なぜなら、どうしても次のような感想が、生まれてしまうからだ。

“するとなんですか、「神風」「回天(人間魚雷)」などの特攻で死に、骨も残 せずにいった人たちは、「あやまち」を侵したんですか。国のため、家族のため に異国の南洋のジャングルで倒れて、遺骨もまだ掘られていない二百万人の兵士 のみなさんも、その死にざまは「あやまち」の結果だったというのですか”

 冗談ではない。全国で百十を越える主要都市・町村を焦土と化した空襲爆撃、 ならびに原爆の開発・投下による非戦闘員の大量殺戮、という重大な戦争犯罪を 犯したのは、欧米連合国であって、日本軍ではない。終戦までの九カ月間に、日 本に飛来したB29は、のべにして一万七千五百機、投下された爆弾は十六万トン、 死者五十万人、罹災者九百六十万人にのぼったのだ。

 個人のエゴを離れて、国や家族のために死んでいった人たちに対して「あやま ち」ですませたら、バチが当たる。そうだ。今のバブル崩壊は、戦後民主主義が 犯した「戦死者の犯罪者あつかい」に対する罰にちがいない。

 調べてみて驚くが、過去五十年余、戦中・戦後の証言として、大手マスコミが とりあげて、幾度も幾度も特集してきた「戦争体験記」「太平洋戦争史」の類も、 すべて一般庶民、いわば「銃後」の人々の被害の声ばかりだ。確かにすさまじい 空襲と、悲惨きわまる大陸からの引き揚げ体験をし、終戦直後のどさくさサバイ バルに、もみくちゃにされたのだから、それは無理もない。

 しかし、前線で実際に戦った兵士たちの声を集めたものが、ほとんどないのは おかしい。筆者の亡くなった祖父(母方)も、当時徴兵され、すんでのところで 広島の原爆投下から免れた経験を持つ。実際に銃弾をかいくぐり、激戦を生き抜 いた人々の声は、一体どこへいってしまったのか。

 兵士の姿を書いたものといえば、敗れたあとに捕虜となり収容所に入れられた 人々のリポートの類だけだ。たとえば『アーロン収容所』(会田雄次)とか、シ ベリア抑留の凄惨な体験記である。まるで、「戦争をしたから、こんなひどい目 にあったんだ」と、庶民から兵士にいたるまで、日本人全員がそう思ったかのよ うだ。

これは明らかな、大手マスコミによる偏向、報道管制である。

 また一九六〇年(筆者が母の胎内にあったころだ)、国会前の安保反対・三三 万人大デモで、東大生・樺美智子さんが死んだ。戦後左翼の人々は、彼女を殉教 者にしたてあげ、彼女ひとりの死に大騒ぎし続けた。樺さんと御遺族には申し訳 ないが、やっぱり冗談じゃないといわせてもらいたい。

 数の問題ではないにしろ、女子学生ひとりの死に大騒ぎしたくせに、戦争で死 んだ無数の人たちについては、当時の国会前の群衆??左翼政党、労組、全学連は、 なにひとつ騒がなかった。大東亜戦争で亡くなった二百万の兵士たち、また学徒 出陣で故国に帰れなかった学生たちがいたのは、厳然たる事実だ。安保反対を叫 びながら、戦争当時、命を捨てて国を守った人たちついて、左翼たちはなぜだれ も騒がなかったのだ。

 まあ、それも当然かもしれない。彼らが愛しているのは国や日本人という民族 ではなく、あくまでも「思想」だからだ。オウムなどの宗教と同じだ。国が滅ん でも、自分たちの「思想(宗教なら教え)」と組織と構成員さえ助かればいいと、 本気で思っている。本音では、神よりも、国よりも、会社よりも、先祖よりも、 親よりも、家族よりも「思想」が大事なのだ。そういう人間を、ひとことで「罰 あたり」というのだ。

 どれくらい罰あたりかというと、例の「女子高生コンクリートづめ殺人」の主 犯格の少年たちの親に、共産党員と創価学会員がいたという、当時のデータがあ る。偏見といわれようが差別といわれようが、あえて述べる。もし、その親たち が党員でも学会員でもなかったら、彼らの息子たちは、あの無残きわまる悪魔的 事件を起こさなかったのではないか?。

最近は最近で、「アダルト・チルドレン」なる心理学上の概念で、自分の弱さ を正当化する風潮があって、まことに嘆かわしいが、「神風」特攻隊で亡くなっ た十九、二十歳の若者たちは、「アダルト」になる前に天下国家のために死んで いったのだ。

 筆者が『戦争を知らない子供たち』をものすごく嫌う原因は、今いった思想大 事の左翼たちの代表歌であることと、「自己正当化」という点にある。「戦争を 知らない」ですむ問題か、といいたい。

自分の弱さや至らなさを、正当化しても得るものはないし、生むものもない。 ましてや、自分以外の家族や国や世の人々のために、何かをする、行動を起こす ということもできない。かりにそれを心がけたとしても全うしえない。

 自己正当化とは、「自分が一番大切」「自分のことしか考えていない」「わが 身かわいさだけで、自他にうそをつく」ということだ。もちろん、だれでも自己 正当化はするし、しないとやっていけない側面はあるが、あまりそれを大っぴら に認めて、恥ずかしいことだと思わないのはよくない。

 これがゆきすぎると、現代のアメリカ人を、とことん腐食し、合衆国を訴訟天 国にしてしまった「自己中心主義(ミーイズム)」となる。ひとくちでいって「 自分は悪くない。まずいことはみな他人のせい」と堂々と主張してはばからない、 夜郎自大きわまる卑しい心根だ。たとえ、自分が明らかなミスや失敗を犯しても、 それを認めず、みんな人のせいにして、押し通すのだから、始末におえない。

 今や、合衆国は「我執国」となり果てている。おまけに、人権思想もゆきすぎ て、「人権毒」に中毒して久しい。この日本でも「人権毒」にやられている人々 がいっぱいいる。いいかげん、その毒気を抜いて欲しいものだ。

 もともと人権思想や革命思想は、欧米大陸世界での猛悪な人種民族差別、極端 な貧富の差という社会病に対する一種の「薬(劇薬に近い)」として機能してき た。しかし、「薬」とは人工的な対症療法であり、基本的に「毒」なのだ。正常 に服用しても「副作用」があるし、投与しすぎたり、使い方をまちがえると、大 変なことになる。筆者が「人権毒」といったのは、そういう意味あいに解釈して いただきたい。

 薬は適量を守り、正しく注意書通りに使ってこそ、初めて有効に機能する。ほ とんどの薬は、使いすぎると麻薬的な中毒作用をもたらし、体をがたがたにして しまう。もちろん、病気でもないのに「薬」を使えば、逆に病気を引き起こして しまうことにもなる。かつて社会主義国家群が、人権・革命思想の必要もない国 に、さかんにそれらを「輸出」した過去の事例は、これに類する暴挙というか陰 謀であろうと筆者は考えている。

さて、このミーイズムと、「伯家神道」と、どう関係があるのかと、思われた 読者もいるかもしれない。これが、あるのだ。「伯家神道」というか、「神道」 そのものが、実は日米欧をぼろぼろにした「ミーイズム」への「薬」になりうる。 しかも、副作用も中毒性もなくである。その意味で、関係がある。

 なぜなら、本来的な「神道」と「ミーイズム」は、まったく対極の位置にある からだ。

 もちろん、キリスト教国でもイスラム教国でも、「ミーイズム」を国是として 挙げるような国家はない。ちゃんと、神と国家への忠誠、善性を重んじると、憲 法などで謳っている。ただ、それらは常に「教義」「教理」「戒律」などの、硬 直化しやすい外的・強制的な枠によって、おさえこむという構造をもっている。 「おのずから守る」「いわれずとも従う」「自然に道をおこなう」といった、日 本人特有の内的・自発的な徳への求心性とは、まるで異質な精神文化である。

 これは、たとえば市街を清潔に保つという行為ひとつにも、その差が現れてい る。有名な話だが、シンガポールでは道に吸殻ひとつ投げ捨てても「罰金」であ る。罰則があるのでゴミを捨てられないから、街はとてもきれいである。ところ が日本では、そういった罰金制度は、微々たる一部では存在するが、全国的には 普及していない。しかし、大都会から田舎の村まで、おおむね日本じゅうの道端 や軒先は、毎朝のように掃ききよめられ、とてもきれいである。

 このように市街の清掃保全という結果は同じでも、そこまでもっていくプロセ スとアプローチが、シンガポールと日本ではまるっきりちがうのである。前者は 他動的・強制的、後者は自発的・奉仕的??この違いが、日本と諸外国の大きな埋 めがたい精神生活のギャップなのである。

 この自発的に徳と奉仕へ向かう精神が、戦前の日本人の教育には満ち満ちてい た。たとえば、戦前の学校教育の中に「修身」という授業があったが、これは儒 教の『大学』にある「修身斉家治国平天下(しゅうしん、せいか、ちこく、へい てんか)」という言葉から来ているすなわち、「天下を治めるためには、まず身 を修めることだ。次に家庭をととのえ、次に国を治める。そうすれば、天下を平 らかにできる」という意味である。

 この概念の構造は興味ぶかい。「身を修める」という個人の行為が、すべて 「家」「国家」「天下」といった自分以外の、かつ高次・広範・集団的な対象の ために、段階的に目的化されているのだ。

ところが、ミーイズムの人間は、自分以外のもののために、自己を目的化する なんてことはない。平たくいえば、家のため、国のため世のため、集団のために 生きる気など寸分もないので、「修身」の立場とはまるで逆であるといえる。

 いわゆる、今日の「オタク」たちの基本的な精神態度は、それを如実に現して いる。自分のことしか考えない、自分の世界しか大切にしない。自分と異なるも の、興味の対象がちがうものは、受け入れられない。ちがうものには、無視か排 除か、いずれか一方の態度しかとれない。「度量」「器」を広げる努力、人格的 な向上心が見られない。放っておくと、いつまでもおのおの勝手な絵ばかり書き なぐって、いっしょに遊ぼうとしない。これは、まさにひとり遊びになれた幼稚 園児の姿である。彼らの生い立ちのさびしさ、親との関係の希薄さが、しのばれ るではないか。

 さて「修身」「ミーイズム」は、それぞれ具体的には、以下のようになる。

*「修身」の精神??私は、私以外の存在のためにある。彼らのために、私は全力 をつくす。私にはその義務と責任がある。私は、彼らに対して報酬や見返りは求 めない。

*「ミーイズム」??私以外の存在は、私だけのためにある。私だけのために、ほ かの人間は全力をつくすべきである。私だけには、そうしてもらう権利と資格が ある。私が、彼らに何かをしてやる必要はない。

ではなぜ、整った秩序体系のもとである「修身」的価値観と、ミーイズムが逆 の位置にあるのか。それは、秩序とは無秩序から生まれるものだからだ。無秩序 というひどい状態で、さんざんいやな目にあった者たちが、それにかわるよりよ い状態を希求した結果、生まれてきたのが秩序というものなのだ。親がむちゃく ちゃだったので、息子はそれを反面教師にして立派な人間になった、というわけ である。逆になるのは自然のなりゆきだ。

 つまり、皮肉なことだが、まずはじめにミーイズムがあって、その反省から秩 序が生まれたらしいのだ。

 「修身」の語を生んだ儒教そのものが、中国古代の秩序壊滅期「春秋戦国」時代 の中で生まれてきた。その原因は、中国の天皇家、天子にあたる「周王朝」の衰 退にあった。洋の東西を問わず、王朝の衰退は、国家国民の乱れにつながる。人 工疑似王朝たる「ソヴィエト政権」でさえ、なくなったら現今の東欧・露国のあ りさまである。

 余談だが、たぶん近いうちに、ロシアにはものすごい「秩序」が生まれるであ ろう。軍事的なものか、思想的なものかは分からない。それが、思いもよらない 世界的な行動につながる危惧はある。

儒家も、そういった混乱の中で生まれた。諸子百家が大陸を縦横にかけめぐり 、それぞれの思想・立場から、それぞれの秩序を確立しようと、すさまじい思想 的な闘争をくりひろげていた頃だ。

 秩序・法規・戒律などを生ませたのが、無秩序という悪しき親なら、その親の 不快な姿は、割りと簡単に再現できる。秩序と無秩序の位相が逆ということは、 裏表の関係にあるということだ。ならば、裏返して検証すればいい。これは、古 来の聖賢の教えやさとしにも、すべて通じる検証方法である。

 具体的にはこうだ。たとえば「修身斉家治国平天下」を全部否定形にする。 「不修身争家破国乱天下」などと読み替える??身を修めざれば、家争い、家争え ば、国破れ、国破れれば、天下乱れるというわけだ。こうした、争い、破れ、乱 れの実例を山ほど経験した、民衆の血涙の中から、「修身」の語は生まれてきた のである。

 また新約聖書の中でも、キリストが有名な“山上の垂訓”の中で「幸いなるか な、貧しきもの〔原語では“乞食”の意だそうである〕。神の国はあなたたたち のもの」といっている。これも裏返しにすると「わざわいなるかな、金持ちたち。 神の国はあなたたちのものではない」となる。現に、同じ新約聖書の「ルカによ る福音書」の中では、「しかし、あなたがた富んでいる人達はわざわいだ。あな たがたは、(神からの)慰めを受けてしまっているからだ」と、キリストが貧し い人々について説いたあと、対句で告げている。

道徳律や倫理、規範というものは、こうした逆検証、裏返し、善悪の対句表現 に耐えるものでなければならない。そうでないと次世代に説明することができな くなる。説得性と威厳にいちぢるしく欠け、次世代を無秩序へと逆行させること になる。

 ミーイズムがいかに国家や一族の現在・未来にとって有害なものか、江戸時代 からずっと知っていた戦前の人々は、「滅私奉公(=私心をなくして、自分以外 の人や集団のために生きる)」という言葉を、当然の道徳律として、教育の中に 組みこんできたのだ。

 それらは、国家や民族や一族など、集団的な存在を、ひとつの象徴の名のもと にまとめ、あがめる習慣をつちかった。たとえば、「菊」といったら「皇室」、 「葵」といったら「将軍家」、「殿」といったら大名の家、および家臣団全体を さす。象徴のために死ぬことは、すなわち国家、民族、一族のために死ぬことを 意味した。

ここで、戦前の人たちが「天皇陛下のために死ぬ」といった言葉の意味がよう やく分かってくる。つまりそれは、天皇個人の権威やその地位のために死ぬとい うことではないのだ。あくまでも「天皇に象徴される日本という国家、国民全体 のために死ぬ」という意味あいなのがはっきりしてくる。「天皇陛下万歳」とい うのは天皇個人に対して万歳なのではない。「日本万歳、日本国民万歳」という 意味にとるべきなのだ。

 海外の非常にわかりやすい例でいうと、イアン・フレミングの『007』シリ ーズは、“女王陛下の007”と呼ばれるが、別にジェームス・ボンドが英国女 王個人の生活のためにスパイしているわけではない。女王陛下といったら「大英 帝国」全体を意味する。女たらしでかっこいいボンド君は、大英帝国の国益のた めにスパイ活動をしているわけで、それを“女王陛下の007”といいならわし ているのである。

 天皇についても全く同じことがいえる。天皇イコール日本国、日本国民総体の 意味を持つとみなしていいのだ。だから、「皇室を廃絶せよ」というのは「日本 国を廃絶せよ」といっているに等しい。「天皇はいらない」という論法は、意味 の上で「日本人はいらない」といっていることになるのだ。

 だから、戦前の「皇軍」とか、今あげた「天皇陛下万歳」という言葉も、その 言葉通りに解釈するのは愚の骨頂だ。もし、「天皇陛下の軍隊」という言葉を、 字義通りに受け取ったら、天皇という独裁権力者の個人的な権力欲のための軍に なってしまうではないか。そんなアホなことがありますか。たかが一人の独裁者 の権力欲のために、二百万人からの青年たちが、あたら戦場に若い命を散らしに ゆくものか。いくら戦前でも、国内で暴動や反乱が起こりますがな。

◎2:頭が高いぞ“亜性外人”

天皇=独裁者、皇軍=天皇個人のための侵略軍事組織。このあまりにも愚かし い、象徴性や抽象性に欠けた小学生レベルのことばの解釈が、今まで戦後五十有 余年、ずっとこの国ではまかり通ってきたのだ。

 この愚かしさは、アメリカの占領軍がおしつけた価値観による。当時のアメリ カ軍とアメリカ政府が、日本の天皇と国民に対し抱いていた無理解が、露骨に現 れた証拠なのだ。

 当時の占領軍は、はじめは本気で「天皇ヒロヒト」をヒトラー的「独裁者」、 ゴッド的権力存在と見ていたようだ。「天皇=日本国・国民」という「象徴=全 体」の構図が、どうしても理解できなかったのである。理解できなくても仕方が ない。アメリカにもヨーロッパにも、天皇のような王はいないし、日本人のよう に国王と家族的な紐帯で結ばれた国民も、歴史的にいなかったからだ。

つまり、マスコミを通じて反天皇を叫んできた人たちは、アメリカの占領政策 にのせられた、日本人でありながらアメリカ人の目で天皇を見ている「亜性外人」 (日本人の皮をかぶった異人)なのである。

 愚かしいアメリカ軍の目を正しいと信じ、本来の日本人としての視点や価値観 をなげうった、いわばアメリカに魂を奪われた人々なのだ。

 それゆえに、日本人は今日、独立国家の国民としてのプライドもへったくれも ない、信じられないような自己否定民族に成り下がったのである。

 戦前には、彼らのような「亜性外人」を表現するいい言葉があった。「非国民 」である。この言葉は悪用されることもあったが、非常にわかりやすい。戦後日 本は、戦前の「非国民」たちの天下となった。大手をふってまかりとおり、あま つさえ各界を支配してきた。

 極端ないいかたをあえてしよう。「非国民」とは戦前には「犯罪者・不穏分子 ・国家秩序の破壊者」を意味した。つまり、戦後社会は、戦前の「犯罪者・不穏 分子・国家秩序の破壊者」たちが表舞台に堂々と現れ、主権を奪ってやりたい放 題してきたのだ。いわゆる民主主義者・左翼運動家・左翼思想家というのがそれ である。

 だから、日本が今のていたらくになるのは、当然すぎる帰結である。これは逆 に、本当に真剣に日本と日本国民を愛する真の「国民」が少数派におとしめられ てきたことを意味する。

 ゆえに筆者は、戦前の「非国民」たる「民主主義者」「左翼的知識人」に加担 する言動をとるマスコミ、出版、政治関係者を、一切信用しないことにしている。 国家国民に対する犯罪者・秩序破壊者たちを、どうして信じられるだろう。

たとえば、素朴な感覚で考えてほしい。ここに一人のイギリス人がいて、「わ が国の女王はてんでだめでさ、なーんで英国王室なんかあるんかね。なくてもい いのに」と、面と向かっていわれて、いい気持ちがするだろうか。また、あるタ イ人がいて「タイの国に王なんかいらない。私たちタイ国民は、タイに王室がい まだあることを恥ずかしく思っている」なーんていわれて、「こ、このタイ人、 自分の国にプライドっつーもんがないのか」と反射的に思うはずである。

 この不愉快なイギリス人、タイ人のたとえと全く同じことを、今の日本人は堂 々と恥ずかしいことだとも思わずにやっているのだ。だから、天皇陛下を否定す る日本人を、ちゃんとした王家をいただき、かつ自国にプライドを持っている国 の人は、「なんちゅーやつらだ」と見ているはずである。尊敬されるわけがない。 むしろ、バカにされ、白い目で見られ、なめられるのがオチで、事実そうなって いる。

 日本はいつでもお金の引き出せる「国際的財布国家」とみられ、日本人も「歩 くお財布」でしかない。言葉を変えれば、これは「金融植民地」にされていると いうことだ。読者の諸兄諸姉、独立国家の一国民として、これでいいのか。われ われ日本人は、いつまで「アメリカ人のりそこない」の立場に甘んじているつも りなのか。

 また《天皇=国民全体》の図式からいえば、「天皇の戦争責任」というのも 、「国民の戦争責任」と同義になる。天皇ひとりが悪いとするのは、まちがって いる。もし、本当に天皇個人に戦争責任があるなら、イタリアのムッソリーニの ように死刑にされたはずである。

 あれだけの大戦争に敗れ、なおかつ処刑されず、亡命もしないで無傷だった国 王・王室など、古今東西に例がない。カンボジアのシアヌーク国王の大変な人生 と、よく比べてみればいい。その意味で日本の天皇・皇室は、史上唯一といって よい。

 ではなぜ無傷だったのか。一説には、フリーメーソンのものと酷似するという 「ガーター勲章」を、昭和天皇が一九二六年にロスター公爵から贈呈されていた ことから、当時の英国女王が、秘密結社がらみで助命を願ったといわれている。 また、日本国民が暴動を起こす危惧があったとも伝えられる。

 それらが主因とは思えないが、とにかくあれだけの強権発動した占領軍も、世 界を裏からあやつる欧米の「黒い貴族」層も、昭和天皇を処刑できなかった。ご くごく順当に考えるならば、処刑する理由がでっちあげられなかったということ であろう。

 マッカーサー占領軍司令官は、フリーメーソンの高級幹部のひとりで、日本の ユダヤ化の使者として、厚木に降り立った。彼の公の言動は、日本や米国に対す る報道であると同時に、彼の御主人さまであるユダヤ結社“ブナイ・ブリス”“ イルミナティ”へのメッセージでもあった。

 彼の有名な言葉に「日本人は十二歳」というものがあるが、これは「中学生レ ベル」という意味に、当時の日本人は解釈して呆然とした。が、本当はちがう。 これは、ユダヤ結社に対するメッセージだったのだ。

 なぜならユダヤ民族では、十三歳(女子は十二歳)が「成人」の歳とされる。 そのとき「バル=ミツパ(律法の子)」と呼ばれる儀式が行われ、法的・宗教的に一人前と認められ、大人たちの中に座を占めることが許される。

 ただし、この十三歳は、日本人の感覚でいえば「義務教育を終えた」「就職可 能な最低限の年齢に達した」というレベルであって、決してエリートになるとか、 重要な立場をになえるという意味ではない。いわば「労働力のひとつ」になった というだけの話だ。実権をにぎったり、国や民族の政治を左右する面については、 ほとんど将来性がない事を前提にしている。

その一歳前の「十二歳」を、日本人にあてはめたのは、「あと一年で、日本の ユダヤ化が可能です。日本人はユダヤ人に非常に近い素質を持ち、あと一押しで 適当に役立つ労働者になりましょう」といった隠れメッセージだったと、筆者は 信じている。

少なくとも、当時のマッカーサーは、日本人に関し、ユダヤ結社が喜びそうな 報告をしていたことはまちがいなかろう。その中に、今あげたような日ユ同祖論 者がうれしがるようなコメントもあったのだろう。まったく冗談じゃない。

こうしたいきさつもあり、マッカーサーが昭和天皇についても、当初信じてい たような認識を、改めたことはありえる。すなわち、天皇はゴッド的現人神「独 裁者」として、日本を支配していたのではないと分かったのだ。そうでなければ、 昭和天皇は、まずまちがいなく処刑されるか、皇室ごと廃絶させられていただろ う。だが、皇族のおひとりとして処刑されず、処分もされなかった。

 連合国(最近では“多国籍軍”といいかえることがある)側は、結果として天 皇を「独裁権力者」とみなさなかったのだ。色々と調べて検証してゆくうちに、 向こうもどうやら「天皇=日本国民全体」という構図が、次第にわかってきたの だろう。

 つまり、見せしめとしての「極東軍事裁判(東京裁判)」を開く一方で、日本 を徹底的に変えるためには、天皇ひとりをどうこうするだけでは、どうにもなら ないことを米軍や欧米権力層が認識したのだ。

 そうしてとった結論は、「天皇も国民も、日本をまるごと、何から何まで変え てしまう」というアメリカ=ユダヤ式“文化大革命”だったわけである。いみじ くも、戦後左翼の言論人の中には、敗戦によって起こった日本の変容を「八・一 五敗戦革命」と呼び、称賛する者までいた。そうして半世紀あまり、日本は彼ら の思惑以上に、何から何までアメリカナイズされ、国民の大半がかつての《非国 民》化するという事態におちいっている。

 この国辱的な状況は、天皇と国民が、戦後、同時に変容し(させられ)てきた ことに原因がある。

 最近、小林よしのり氏が、『戦争論』という名著をものし、大変喜ばしくまた 痛快きわまりないほどゴーマンかましまくっているので、ささやかながら筆者も まねして、日本一ゴーマンな言葉をぶつけさせていただこう。

「現状の日本から脱却するには、国民だけでなく天皇陛下ご自身も変わるべきだ 。もとい、お変わり戴き、本来のお姿にお戻り願わねばならない。『天皇=国民』 一心同体の構図は、この日本においては普遍的なものだからだ。
 天皇だけが変わる、国民だけが変わるということはない。変わるときは同時に 変わるし、また同時に変わらねばならない。それが皇祖神・天照皇大神の御意志 でもあると信じるからだ」
と、いうことです。

 あ、そうそう。お変わりいただくついでに、国民と陛下の間を、いらざる分厚 い壁をつくってへだててきた宮内庁も、この際、勅命でおとりつぶし下さいませ。

 もったいなくも、一国の王と御一家を、制度の檻の中に囲いこみ、半世紀にわ たって国民から切り離した宮内庁の罪は、万死億死に値するほど重いぞ。現代の 日本がこうなった責任の一端は、天皇隠匿、菊のカーテンで覆い続けた宮内庁の 役人たちにもある。天皇家の真の歴史を究明する考古学者たちにも、宮内庁の顔 色をうかがうことなく、日本史の真実を追求できるよう、配慮してもらえるとあ りがたい。

 五十年一日の宮内庁のことはともかく、実は戦後、そこが変わってしまったた めに、日本のアメリカ=ユダヤ化を無制限に進ませる原因となった分野をあげた い。否、連合国側に、やっきとなって変化を強制された結果、骨抜きになってし まったものがある。あるいは、キリスト教やユダヤ教側から、原始的でとるに足 らぬとなめられ、等閑にふされてきたものがある。

 それが、「伯家」をふくめた日本の「神道」である。

 もちろん、ひとくちに「神道」といっても、色々とある。儒教・仏教・道教の 影響が混在した各種各派の「神道」と、それら大陸宗教の影響をできる限り排し、 より古く原型に近い「惟神(かんながら)の道」を再現しようとする「復古神道 (古神道)」の二つだ。ちなみに「惟神」とは、「随神」とも書き、“神々の御 意志のままに”というほどの意味。

 いずれにせよ、日本を本来のあるべき姿に戻すには、神道の本来化しかないの だ。キリスト教にも仏教にも、戦後生まれの新宗教にも、その力はない。これは 断言してもよい。

◎3:戦後と戦前、神道の変容

 神道といえば、読者のみなさんは何を思い出すだろうか。まず神社に関するも ろもろの行事、初詣、地鎮祭、お祓い、祝詞??なんか、ゆったりやっとりますな あ、というのが、正直なところだろう。その「ゆったり」が、実は「厳粛」とい うものなのだが、わかってほしいものである。

 今の神道と、戦前の神道は外面的には、何も変わっていないように見える。庶 民に対してやっていることは、あまり変わっていない。ところが、敗戦を境に、 核心的な部分、つまり本当に大切な、二つの大黒柱が、すっぽぬけてしまったの だ。

 そのふたつの重大要素が、何かはすぐにご説明しよう。とにかく、それが喪失、 あるいは希薄化したため、日本人の日本人らしさも、喪失、もしくは希薄化して いるのである。国民生活の何から何まで、戦前の本当の日本らしさは、ほとんど がアメリカらしさに置きかえられてしまった。

 こと神道の分野については、神職から庶民にいたるまで、仏つくって魂入れず 、というか、植物状態で生き長らえている患者というべきか、生きてはいるが、 意識が回復していないという状態に近い。

 二つの大黒柱とは何か、それは「天皇(皇室)への拝礼」「産土(鎮守)への 拝礼」なのだ。この自分の国の首長と、自分の住む地域の地神への崇敬が、非常 に低いレベルでしか扱われていないのである。

 くりかえすが、ここでいう「天皇」とは「天皇個人」のことではない。あくま でも「天皇=日本国民全体」のことである。だから、本当は日本そのものを拝む でもよいのだが、ものごとには御神体というか、拝む対象が必要である。あえて いうが、もし日本全体を拝むことができるほどの人なら、天皇を拝む必要はない。 視野におさまりきらない広大なものを、直観的に礼拝できる大自然神の崇拝者な らば、拝む象徴は必要ないのである。

ただ、大抵の人は、日本全体を拝むといっても雲をつかむようで、八百万の神 々といっても、なかなか実感がわかないはずだ。だから、まず日本を象徴し代表 する天皇という、わかりやすい体現者の方を拝礼することからはじめた方がよい。 これはいわゆる偶像崇拝というのとは全くちがうものだから、心配はいらない。

 偶像崇拝というのは、あてにならない御託ばかりをならべる新宗教や新々宗教 の教祖たちを、生き神のように崇めてだまされ続けることをいうのだ。世間を騒 がせ害毒をたれながす、さまざまな戦後宗教や、疑似宗教というべき左翼思想こ そ、偶像崇拝というものだ。

 拝礼といっても、戦前の「御真影」??天皇皇后両陛下の写真??をかかげて拝め というのではない。心の中で、感謝する、お祈りする、あるいは個々の家庭の神 棚で礼拝するということだ。これみよがしの礼拝は、古今東西のまっとうな宗教 では、みな「みっともないもの」とされている。本当に素晴らしいことは、人知 れずこっそり、奥ゆかしくやるものだ。

 いうまでもないが、終戦前は全国あげてこれをやっていた。もちろん戦勝祈願 や出征した父や夫や兄弟の無事を祈る行為がほとんどだったろう。しかし、そう なる以前、幕末・明治維新の原動力が「尊皇(天皇を尊崇すること)」だったこ とは、まぎれもない事実だ。

 大政奉還という、鎌倉幕府以来七百年弱の武家政権を、いさぎよく朝廷に返し た徳川慶喜も偉かったが、もし当時の幕末維新の志士たちが、今日の「民主主義」 を崇敬していたら、今ごろ日本の国は、現在の何十倍もひどい国になっていただ ろう。どこかの大国の完全な植民地と化し、北朝鮮やロシアのようになっていた かもしれないのだ。

 神道の本質は、「なぜ天皇と皇室を崇敬するのか」「なぜ自分の住む地の神霊 を、まつらねばならないのか」を説明し、それを国民に理解してもらうことにあ ると、筆者は考えている。それをやらない神職や、神道研究家は、神道という名 を肩書に入れてはならないはずなのだが、今日、大手をふってまかり通っている。

 神道は、本来、日本独自のものなのだから、日本という国と日本人であること に、自尊心と誇りを持たせるものでなければならないはずだ。しかし、現代神道 にはそうするだけの力がない。

 たとえばパレスティナ・アラブの人間が、爆弾を腹に巻きつけて、イスラエル 人の乗ったバスごと自爆する覚悟が、いったいどこから出てくるか、考えて見た ことがあるだろうか。巻き込まれて重傷を負ったり、死んだりした人々には気の 毒だが、被害者についての論議は、ひとまず置いて思いを凝らしてほしい。

 イスラエルから追い出されたアラブの人たちは、自民族の大義のため、アッラ ーへの信仰に裏打ちされた決意をもって、自分をいけにえにして爆死する。狂信 といわれようが過激派といわれようが、とにかくものすごい決死の意志力がなけ れば、あんなことはできない。

 これを、単なる狂信や野蛮さの結果だとみなすのは、それこそ野蛮な見方であ る。爆弾テロをしたりされたりすることのない安全圏にいる人間だけが、そうい う見方にひたれるのだ。外国人の目にどう映ろうが、パレスティナのアラブ人は、 イスラエルと「戦争」している最中なのである。

彼らの大義や信仰の是非は、当事者ではない筆者に論ずることはできないし、 イスラエルとアラブの善悪についても、断を下せる立場にはない。しかし、国家 や民族のために、あえて自殺行為を選択させるものはなんなのか。戦後の日本人 は、それを見つめることを避けて通ってきた。そして、神道も日本人のプライド も極度に衰退した。

 『聖戦(ジハード)』とアラブは叫ぶ。そして自爆して、敵国民(イスラエル人 )をまきこんで死んでゆく。イスラエル軍と比べると、パレスティナ・アラブに は武器も弾薬もない。物量的に、まったくの劣勢であり、圧倒的に不利である。 それは、およそまともな戦争とも呼べないような状況である。しかし、意識はま ちがいなく「戦争」なのだ。

 その姿が、似ている。かつて、大東亜戦争で神風や回天の特攻隊で亡くなった 兵士たちに、よく似ているではないか。

人は誰でも、簡単に死を選ぶものではない。自爆するには、それなりのものす ごく重大で深刻な理由がなければならない。それなのに、日本人は海外マスコミ の報道通り、彼らの行為を、ろくな検証もせずに「蛮行」「狂気」と批判する。 無理もない。特攻隊で死んでいった人たちに対してさえ、同じ国民でありながら、 全く同一の批判をしてきたのだから。

 戦後民主主義者にとって、戦争は是非もなくとにかく「悪」であり「狂気」だ 。いわゆる暴力団どうしの抗争も「狂気」。この伝を拡張すれば、家どうしのい さかいも「狂気」、子供のケンカも、会社の市場争奪戦も「狂気」になってしま う。生存競争や序列や順位をつけることも、みな「野蛮」「非進歩的・反動」で ある。すると、この地上にあるすべての生態系は、「狂気」の産物になってしま うではないか。

 正当な怒り、勝利への意欲、強靱な闘争力、命がけで守ろうとする意志の力、 猛々しいサバイバル能力、これらは皆、「悪」なのか、「野蛮」「狂気」「時代 おくれ」なのか。後に続く世代のために、みずから時代の捨て石となる覚悟をも って、自己を犠牲にできる精神が、なぜ「悪」「狂気」なのか。むしろ、それら を狂気とおとしめる人間こそ、狂気にとりつかれ、善の仮面をかぶった悪の思想 に、むしばまれているのではないか。

 人を誇り高くし、尊くするものこそ真正なる生命の力の源泉なのだ。もっと平 たくいおう。肝心かなめの所で、「なめられない」態度が大切なのだ。もちろん、 その前提として相手を「なめてかからない」ことが、まず第一だが。

 プライドを失った人間、民族は、なめられる。誇りを失っていいことは、ひと つもない。たとえ滅亡をまぬがれたとしても、わが身わが家だけが大切な、奴隷 道徳が横行する。日本で蔓延した戦後「マイホーム主義」が、それだ。家族や会 社を越えるレベルでの戦いを、すべて放棄した奴隷の道だ。

 十代、二十代の人たちが、二人きりの世界に浸って、恋の快楽をむさぼるのが 当然といった恋愛至上主義も、極度の視野狭窄という点で、奴隷的である。電車 や駅で、人目もかまわず抱き合ったりキスしたりペッティングしたりするカップ ルが激増しているが、これはもう恋の奴どころではなく、はっきりいって家畜的 な恋である。

 恋をするのは、うれしはずかしでドキドキするし、結婚すれば“こんなはずじ ゃなかった”的苦労がどっと増えるから、せめて恋をしている間に楽しめばよい。 視野狭窄もある程度までは、当然の心理である。しかーし、やるなら人としての 最低限の節度をもって恋をしてほしい。節度をもって、我慢するところを我慢す るから、のちの楽しみも、おいしさも、快感も倍増するわけだ。がっつくやつは、 それがわからない不調法ものなんだな(笑い)

若い人たちに人気のあるバンドやミュージシャンたちにも、ひとこと文句があ る。

 「きみだけが大切、あなただけしか見えない」と、恋愛だけが最高の価値観であ るかのように、歌いすぎるのだ。これは、一種のマインド・コントロールである。 親子・家族への愛や、同志、国家、君主、プライドのための歌が、まったくない のでうんざりする。さまよえる青年たちが、恋愛や性の快楽を最高の価値にせね ばならないほど、この国は精神的な極貧状態にある。

 むろん、大半の人々が誇り高く生きることを阻害され、教えられなかったとい う事情はある。自分の意志や意欲の向け先を失った世代が、心のよりどころとし て「マイホーム」を目指すほかはなかった。筆者もそうだが、ほかに選択肢を与 えられず、奴隷的人間の型に、鯛焼きよろしく、わが身を合わせざるをえなかっ たのである。

 問題は、自分や自分の家族より大切な、より大きなもののために生きるという 「大きな幸福」を忘れたことにある。「ささやかな家庭の幸福」に、どんなにも ぐりこもうとしても、結局は、頭かくして尻かくさずである。世代を経るごとに、 国民性がスケールダウンするのは当然のことで、家族のためだけでなく、国のた め、民族のためにも、自分の家があるという認識が、まるで欠落してきた結果で ある。

 人間には、誰しも、できればより大きな、より広い高次のもののために生きた いという願いがある。自分の命よりも大切なものはある。そのために生きるとき、 人は本当の生命の充実を感じることができるのだ。その生命の充実感を、誇りと かプライドという。

もちろん、その願いを逆手にとって、オウム真理教などの新宗教・カルトが蔓 延してきたのも事実だ。誰かのために、何かのために、身を呈したいという、身 もだえするような気持ちがあるのはいいが、ちゃんと相手を選ぶかしこさも必要 だ。とにかく、日本という国と日本人であることにプライドを持つようになれば、 オウムのような邪教に、もはや若者たちが心を吸いよせられることはない。

日本人が、日本人としての誇りを取り戻すことは急務だ。その前提として神道 の復活が求められる。だが、今のままではいけないということは述べてきた。

神道の根本となる「天皇拝礼」「産土拝礼」がおろそかになっている。そのた め、誇りとなる根拠が失われて久しい。戦後神道は、他の宗教でいうなら、キリ ストを崇めなくなったキリスト教、仏陀を拝むことをやめた仏教、マホメットを 捨ててしまったイスラム教みたいなものである。いうも愚かな脳死状態、要する に存在理由を失っているのだ。

 もちろん、神社が全く死んでいるわけではなく、お参りしたりお祓いすること によって、なにがしかの浄化作用や、神霊のご加護がいただけることもある。し かし、その浄化の程度や加護の強さが、戦前に比べていちぢるしく低下したこと は否めない。

天皇と産土神に対する敬愛の念なくして、まことの神道は成立しないのだ。

 新約聖書でいえば、キリストが、ユダヤ教の本質は何かと、敵対する祭司たち から詰問されたとき、「心の限り、思いの限り、力の限りをつくして、神を愛せ よ」「隣人を自分のごとく愛せ」といってぐうの音もでないほどやりこめたこと がある。

 旧約聖書すなわちユダヤ教の大黒柱も、「神への無私の愛」「隣人愛」の二つ に集約される。それを実践しそこねて、陰謀をかますのは、本質からはずれた人 々の行為だ。すなわち、現代のユダヤ教も、本来の姿からへだたっているのであ る。

(筆者注:この伝でいけば、ユダヤ教の秘儀奥伝を、祖父からさずけられて予言 したという“ノストラダムスの予言詩”も、非常に疑わしくなってくる。ユダヤ 教が真の姿をとりもどしていない段階でおこなわれる“秘儀”が、正しい予言を なしうるだろうか?

 その証拠に、ユダヤ教の秘儀や密儀(カバラ)をとりこみ、無数の黒魔術理論 、“薔薇十字団”“黄金の夜明け”などの魔術集団、アレイスター・クロウリー や、サミュエル・メイザース、イスラエル・リガルディーといった黒魔術家が生 まれているのである。いわゆる“フリーメーソン”や“イルミナティ”と呼ばれ る国際結社も、カバラ的魔術を教義とする、国際的な陰謀実践集団である。

 たとえ、一五六六年に亡くなったミシェル・ド・ノートルダム氏に、すぐれた 予知能力があったとしても、たいてい予言者が未来を当てうる範囲は、死後二百 年前後までが一番多い。またノストラダムスは、自分の死期を当てたと、大騒ぎ する人たちがいるが、自分の死ぬ日を予言して当てた予言者や宗教家など、世界 じゅうにごまんといる。自分の死ぬ日を当てたからといって、死後の数世紀のこ とまで当てられるというのは、牽強付会が過ぎるのではなかろうか。

 キリスト、釈迦クラスなら千年、二千年先も予言できるだろう。が、少なくと も、一九九九年に、何か重大な事変が起きると、ずばりと断言できるほどの能力 が、ノストラダム氏にあったかどうかは、疑わしい。

 彼の没後から四三〇年以上が過ぎた。二百年どころか、すでに彼は死んでから 一三四年後のこともはずしている。「一七〇〇年のこと、大群衆が持ち去られ、 北半球のほとんどを征服するだろう」と予言詩一?四九を残しているのがそれだ。 その成就と認められる歴史的な事件は、西暦一七〇〇年の世界では起こっていな い。この予言がはずれたことは事実だ。一九九九年がはずれないと、だれが断言 できようか。

 もちろん、その予言を利用して、何か実際にやらかそうとしている陰謀結社が あることも、また十分に考えられる。万一、来年の夏に何か起こっても「当たっ た」と騒ぐことはない。当たったのではなく、当たったことにされてしまう、人 為操作の可能性の方が、はるかに高いのだから。)

こうしてユダヤ教を例にあげはしたが、本質となり核心となる部分は、神道に おいても、きわめてシンプルなものなのだ。

 その単純にして重要な点を抜きにしては、いくら盛大な儀式をおこなおうと、 さまざまな秘儀密儀の類を編み出し、何百冊もの本にしようと、まるで意味がな い。正しい神への愛と、隣人愛を失ったユダヤ教が、選民思想に走り続けている ように、神道もこの先、核心を失ったまま、存在し続ければ、ユダヤ教とはちが った形での悪しき変質現象を重ねるおそれがある。

単純にして肝要な所さえ分かれば、後は瑣末(さまつ)といっていい。天皇や 産土(鎮守)について触れることを避けながら、神道を説明する現代のオカルト 神道研究家たちは、その意味で、本質からズレたどうでもいいことをやっている。 もちろん、本当は天皇と産土の重要性を知りながら、語りたくても語れないとい うのが本音かもしれない。しかし、そろそろこの辺で勇気を出して、何が大切か 力説してほしいものである。

◎4:日本神話はハルマゲドンも失楽園もけとばす

 お気づきの方もいらっしゃるかもしれない。神道の教典ともいうべき『古事記 』『日本書紀』(以下、まとめて『記紀』とする)には、なぜか「終末予言」が ない。これは、西洋、西アジアの世界規模の宗教には、見られない傾向である。

 また「かつて、大洪水、大火災があって、世界が一度、めちゃくちゃになった ことがある」という伝承も、『記紀』にはない。洋の東西、南北、先進国、発展 途上国をとわない、ほとんどの民族に、過去の世界破滅の記憶というか伝説があ るのに、日本には目立った形では残されていない。

 もちろん、終末予言については、民間レベルでは色々とある。代表的な例をあ げれば、天理教の開祖・中山みきの『おふでさき』、大本教開祖・出口ナオによ る『大本神諭』、その女婿にして二代目・出口王仁三郎の予言、岡本天明の『日 月神示』、江戸時代にさかのぼれば作者未詳の予言書『をのこ草紙』、如来教の 開祖キノが残した予言などである。

 過去の破滅の記録についても、『竹内文書』をはじめとする、いわゆる「古史 古伝」には詳しく書かれている。文書化されない地方伝承に残されている可能性 はあるが、ほとんど研究家の目にとまったことがない。それこそ、口伝でしか継 承されないような昔話のレベル。地元の古老の口から聞いて、初めてその存在が わかるといったありさまである。

しかし、ここでは正統史書の立場による、諸外国の諸宗教との比較が主題であ る。今あげた民間レベルの終末予言や古史古伝については、取り上げたいのは山 々なのだが割愛する。正統史書に書いてあることがすべてだとは、もちろん思わ ないし、書いていないことでも大事なことはある。それを承知の上で、先へ進み たい。

世界の三大宗教と呼ばれる「キリスト教」「仏教」「イスラム教」には、いず れもそれぞれの根本教典に「終末予言」が掲載されている。キリスト教は『新約 聖書』、仏教は『法滅尽経』『月蔵経』、イスラム教は『コーラン』に、しっか りと「世の終末にはこうなる」というくだりが、かなり凄惨な描写で載っている。 キリスト教の母体となったユダヤ教の『旧約聖書』もそうだし、ゾロアスター教 の教典『ゼンド・アヴェスタ』やヒンズー教にも、終末予言がある。

 まるで、この世界が終わってしまうことを前提にして、大宗教が成立している かのようである。もちろん、終末だからといって、何もかも終わるわけではない。 その後に、理想境ともいうべき素晴らしい世界が生まれる。最終的には、楽園生 活を人類が送るようになる、というユートピア予言が、最後にある。仏教でも『 観弥勒下生経』というのがあって、そういう点でも、各宗一致している。

 「終末予言」と「地上楽園予言」は、一冊の本の前編後編のように一セットなの である。その意味では、大本教が発した「立替え」「立て直し」予言、その系譜 にある『日月神示』も、この構造をそっくり踏襲している。

ところが、日本のみならず、東アジア全域でも、「終末予言」「ユートピア予 言」のセットが、その国独自の宗教の経典に載っている例は、ほとんどない。中 国発の宗教を見ても、儒教・道教いずれの典籍にも「終末予言」は見られない。

 おそらく、「終末・ユートピア予言」をもつ宗教が発祥したのは、インド以西 ではないだろうか。厳密にいえば、バングラデシュのガンジス河を境に、以東と 以西では宗教の成り立ちや内容が、大きく異なるのではないか。

 あるいは、もしかすると、日本には天災がすこぶる多いので、過去の破滅や終 末予言を記した文書があっても、とっくに灰になり四散して、残っていないのか もしれない。

 天災ではないにしろ、戦災で焼かれたことも多いだろう。ある歴史学者など 、「応仁の乱(一四六七年)で、ほとんどの記録が焼かれてしまった。それ以前 の歴史を文書によって、正しく再現するのは不可能に近い」とまでいっている。

 中国に、破滅記録や終末予言の書がないのも、同様の理由なのだろう。秦の始 皇帝の「焚書抗儒」はじめ、戦争のどさくさで、焼き捨てられたものは山ほどあ るはずだ。その証拠に、戦乱が及ばなかった中国南西部の奥地の少数民族の間に は、「過去に大洪水があって、生き残ったひとにぎりの男女が、村の先祖になっ た」という伝承が、今もそれぞれの民族に、祭りの歌(叙事詩)の形で伝えられ ている。

 日本でも熊野の山奥に、「昔、巨大な津波がやってきて、それを大狼の遠吠え がしりぞけた」とか「大津波に巻き上げられた船が、山の頂を越えた」とか、地 元の人しか知らない数々の伝説がある。観光地で有名な和歌山と三重の境の瀞峡 は、その大津波によってえぐられてできた地形の跡だという。

 そういえば、紀州熊野の海岸や川原や山々には、丸石の原や角のとれた巨岩が 多い。津波が去ったあとの状態によく似ている。筆者の生まれ故郷近くの海岸が、 三陸大津波の被害にあった場所なので、地形が一変した跡のことはよく知ってい るのだ。津波によって運ばれた丸石と土砂で、海岸や河口が埋められてしまうの だ。峠の斜面に、津波ではこばれたという巨岩が、植林の杉林の奥で鎮座してい たりする。たびたび大津波にみまわれる三陸海岸には、こうした丸石の海岸が非 常に多い。

まるで映画『ディープ・インパクト』だが、熊野の場合、面白いことに、こう した大洪水伝説の残る地点の標高が、みな八百メートルと一致しているという事 実があったりする。つまり、はるか太古に、波高八百メートルの想像を絶する大 津波が、熊野の山奥までどっと押しよせてきたらしいのだ……。

 話を戻そう。少なくとも終末予言が、日本の『記紀』にないという事実は、注 目に値する。おそらく、近代先進国家として存在する国のうち、代表的な宗教に 「終末・ユートピア予言」がないのは、日本だけではないか。

 ないのも当然だ。『記紀』の内容に忠実である限り、終末予言などさかさに振 っても出てきはしないのだ。

 では、いよいよ「天皇崇敬」の根拠についてお話しよう。現代の神道研究家や 解説本は、タブーのように全く触れないが、戦前には常識だった概念がある。そ れについて説明する。これによって、なぜ日本に土着の終末予言がないのかが、 はっきりと分かるのだ。

 天皇崇敬の根拠は、むろん『記紀』にある。おもに『日本書記』の記述からだ が、肝心なものは、『神道経典』(神道研究会/国の礎本部)によれば、以下の イ〜ニの四点である。

 イ.三大神勅
ロ.三種の神器
 ハ.大嘗祭(だいじょうさい)
 ニ.八神殿(はっしんでん)

 この八神殿というのが、伯家神道と吉田神道を語る上で不可欠なのだが、これ については、イ〜ハまでの解説を終えた時点で詳述したい。

 覚えておいていただきたいが、現代の神道家たちやオカルト研究本などでは、 天皇について特集する時でさえ、イとニについてはまず触れない。こういう他人 がいやがってタブー視することを、公然とさらすのが、筆者は大好きなので、遠 慮も臆面もなくやらせて頂こう。

天皇の存立と継承の根拠は、まずイの「三大神勅」をもって、初めて成文化さ れる。

この「三大神勅」を語らずして、神道や天皇に関して論議するのは、まったく のナンセンスである。逆にいえば、一般の日本人は、「三大神勅」を信じてまっ とうに生きていれば、ノストラダムスもハルマゲドンも、へっちゃらである。そ れぐらい、大切なことなのだ。

 神勅というからには、神さまから下されたものである。ここでいう神さまとは、 天照大御神(日神=アマテラスオオミカミ)のことだ。太陽神たる天照大御神が、 初代の神武天皇のひいおじいさんに当たるニニギの命を、神の世界「高天原(た かあまはら。タカマガハラではない)」から、地上つまり日本国に派遣して統治 させようと決めた。

 もちろん、事前に土着の国津神、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)・ 事代主命(ことしろぬしのみこと)の親子から、日本の国土を譲ってもらう「国 譲り」が行われていた。とはいえ、いきなり何もない原野を譲られたわけではな い。須佐之男命の系譜を祖とする国津神たちの尽力によって、あとは最高権威を お迎えするだけという、平定体制がほぼ整っていたわけである。

 ニニギの命は、天照大御神の孫でもある。ニニギの命の父は、「天之忍穂耳命 (アメノオシホミミノミコト)」といって、須佐之男命(スサノオノミコト)が、 天照大御神の勾玉を連ねた髪飾りを、かみ砕いて生まれた神である。だから、天 照大御神の子孫となる。

 こうして、ニニギの命は天照大御神の孫として、その意志を受け、日本を統治 するべく高千穂峰に降りてくる。随行は特定の役目を持った五柱の神々。また、 地上世界への引っ越し荷物は、高天原の神々の霊的権能のみを宿らせた「御霊代 (みたましろ)」の品々、三種の神器、ならびに高天原特産の稲の種である。

 これを「天孫降臨」という。この《天照大御神--天之忍穂耳命--ニニギの命-- 神武天皇--現代の皇室》という直系の系譜が成り立つので、皇室の始祖は天照 大御神ということになる。それゆえ、皇室の祖先神として、天照大御神は崇めら れ、「天照皇大神」や「皇祖神」とも呼ばれる。

 それにしても、国をゆずってもらって、神さま直伝の統治をするという、日本 神話ののどかさよ。なんとまあ、マイルドな優しい神話であろうか。『旧約聖書』 の「創世記」、とくに“エデンの園追放”のくだりと比べると、ほんとに安心感 がある。聖書にあふれるような、人間の絶望と苦悩をあからさまにした、殺伐た る描写は、ほとんど出てこない。

 正直いって、ほっとする。『記紀』の創世・肇国(ちょうこく=国をはじめる こと)神話には、「創世記」の“楽園追放=失楽園”の深刻さ、救いのなさは一 切ない。

 そこには、ゴッドが、人間を試すかのように植えた「知恵の木」の実もなけれ ば、女を誘惑してだます「蛇」もいない。神への罪深い掟破りもなければ、魂に 烙印された「原罪」もない。

 失楽園とその前後のくだり(「創世記」三〜四章)は、読みこめば読みこむほ ど、ストレスがたまって叫びだしたくなるような、重苦しさ、救いのなさに満ち 満ちている。そこにたたずむ人類の祖アダムとイブの悄然たる絶望の影には、「 ゆるされざる者」としての姿しかない。「創世記」を書いてまとめた人間がだれ かは分からないが、そいつはきっと人生の無残な場面を体験しつづけた者なのだ ろう。本人が、熾烈な人間憎悪の持ち主だったか、あるいはまわりにいた人間た ちが、よっぽど劣悪で人非人の集団だったにちがいない。

 こうした目で見ると、『聖書』には、「人間って、こんなにダメなやつら」と いう深刻な人間不信と、悪への峻烈な裁きと告発、糾弾がある。創造された直後 から、人類は罰せられるべき存在であり、ゴッドはひたすら恐ろしい。 「創世記」では、人が神を裏切った結果、人類は楽園を失い、どうしようもなく 苦しみ悩む破目になったという。夢も希望もない、断罪と流浪の運命を負わされ た展開。女は産みの苦痛を味わい、男は畑や牧場で重労働にあえぎ、アダムとイ ブから初めて生まれたカインとアベルの兄弟は殺しあう。みなを裏切った罰だと、 「創世記」のゴッド・ヤハウェは、まずイブに告げる。

「私(ゴッド)は、大いにおまえ(イブ)の懐妊の苦しみを増さねばならない。 おまえは苦しんで子をうむことになるのだ。また、おまえは夫(アダム)を慕う が、夫はおまえを支配するだろう」

 ついで、アダムにもいう。

「おまえは、妻のことばに乗って、食べるべからずと命じた木の実を食べた。そ れゆえ、土はおまえのために呪われる。おまえは、一生の間、苦しんで、そこか ら食物を得るだろう。土は、イバラとアザミを、おまえのために生やすことにな る。また、おまえは野の草を食わねばならない。おまえは、顔に汗して食物を食 べ、ついに(死んで)土に帰るだろう。おまえは、土から取り出されたものだか らだ。おまえは、塵なのだから、(死ねば)塵に帰るべきなのだ」

とまあ、アダムとイブに呪いと裁きの言葉をなげかけるヤハウェというゴッド は、断じて日本人が親しく感じ、崇敬し続けてきた「カミ・ホトケ」の姿などで はない。そこには生まれ変わりも前世もなければ、死後(生前)の世界も、神霊 の世界もない。

 そればかりか、まるで人類は、生まれた時から「懲役」を課せられ、現世を苦 悩と辛酸に満ちた徒刑場として生きねばならないかのようだ。これでは、現世で 苦労する西洋人は、みんなアダムとイブを恨まねばならない。当然、知恵の木の 実を食べたイブ、つまり女が悪い、女がすべての苦しみの原因とされ、徹底した 女性差別へともつれこむ。

 西洋では、レディ・ファーストといって女性を尊重するかのように見せかける が、次のような恐るべき起源譚がある。すなわち、領主が万一、敵や暴民に襲わ れたとき、弾よけ暴漢よけの楯がわりに、まず奥方を先に立たせたのが、真意だ ったというのだ。

 『旧約聖書』の創世神話たる「創世記」の過酷さと乱暴さ、流血ざた、苦悩と悲 哀の記述は、もうたまったもんじゃありません。それに比べて日本の『記紀』の なんと穏やかな、なんとソフトな、なんとおおらかな天孫神話であることか。思 わず、心がほわーっと温かくなってくるじゃありませんか。

 おっと、ほわーっとばかりも、してられないっちゅーの。気をとりなおして先 を進めよう。

(第二章終わり)

※以降の内容は、自費出版した書籍『白き王家の道(全編)』か、大和維新塾機 関誌『石笛』バックナンバーでどうぞ。くわしい入手方法はトップページをごら んください。

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