『大東亜戦争・終結の詔書』

☆『大東亜戦争・終結の詔書』

 終戦の日、昭和二〇年八月一五日にラジオから流れた詔勅は、「堪えがたきを 堪え、忍びがたきを忍び……」というフレーズだけ、非常に有名だ。しかし、残念 なことに、筆者八神のような戦後世代は、その全文に触れる機会は、これまで絶無 といっていい状態だった。

 戦中をリアルタイムで過ごされた方には、詔勅の全文は今さら いうまでもない常識だろう。だが、大東亜戦争を過去のものとして生まれてき た、筆者のような世代は、それを教えられていない。

 もちろん、教えられなかったから知らないのは当然、というままでは単なるナ マケモノにすぎない。動物のナマケモノでさえ、陸上を時速一五〇メートル未満で 全力疾走し、樹上を一分間かけて二〇センチほど進むのだ。人間なら、もう少し頭 も体もすばやく回転させる必要があるだろう。そこで、知らないでは済まされるま いということで、一から勉強することにした。無知であることに、一種の危機感を 覚えたというわけだ。

まず、書庫をあさって「終戦の詔勅」の原文をさがした。さいわい、知人から ゆずりうけた昭和史の特集本に、原本のすべてのページが写真掲載されていたのを 発見し、喜んで読みはじめた。半世紀前の文なので、漢語がやたら難しく、漢和辞 典のお世話になったが、読みすすめるうちに、こみあげる涙でのどがつまるという 事態にたちいたった。

 こんな切々たる文章を、昭和天皇がどんな想いで起草し、読まれたか、想像す るだけで目頭が熱くなる。これはぜひ、同じ戦後世代の読者のみなさんにも、味読 して頂きたいと考え、原文をできるだけ読みやすい文字づかいに置きかえてみた。 その後に、筆者が、よりわかりやすい現代の言葉で訳したので、合わせてお読みい ただきたい。

 あの敗戦が決定した日に、当時の日本人の耳に届いた昭和天皇のお声(玉音放 送)が、何を語っていたのか、よく御理解いただけるかと思う。たしかに、この詔 勅を読めば、なぜこの終戦の詔(みことのり)が「昭和の御聖断」と呼ばれたか、 初めて納得がゆくのだ。

 分量にして、一二〇〇字足らず、四百字づめ原稿用紙で三枚程度である。それ だけの短い文脈にこめられた心は、あたかも今日の日本のありさまを、すでに五十 年以上も前に予期していたかのようだ。声涙くだる苦難に満ちた、やるせない痛み に縁取られた詔勅である。及ばずながら、筆者はそこに、昭和天皇の血を吐くよう な苦悩の深さを見る思いだった。


*『大東亜戦争終結ノ詔書』原文(昭和20年8月14日)

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収 拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ

 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣 範ニシテ朕ノ拳拳措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実 ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領 土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最 善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラ ス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ 所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族 ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如 クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ 是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ 表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタ ル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フ ニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕 善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キ ヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣 民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠 互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之 ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシ テ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ

(御名御璽)

 昭和二十年八月十四日
 [以下、内閣総理大臣・鈴木貫太郎はじめ、十六名の閣僚、連署]


*読み下し文[原文の難読漢字を開き、ひらがな文に書き替えた。]:

 『朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもっ て、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をし て、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。

 そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)をはかり、万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範 にして、朕の拳拳(けんけん)おかざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝 国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土 を侵すがごときは、もとより朕が意志にあらず。しかるに、交戦すでに四歳をけみ し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの 最善を尽くせるにかかわらず、戦局、かならずしも好転せず、世界の大勢、また 我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜 (むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもな お交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の 文明をも破却すべし。かくのごとくむは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、 皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れ るゆえんなり。

 朕は帝国とともに、終始、東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺 憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れ たる者、及びその遺族に想を致せば、五内(ごない)ために裂く。かつ戦傷を負い、災禍をこ うむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたき を忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。

 朕はここに、国体を護持しえ て、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情 の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互い に時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれ を戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、かたく神州の不滅を信じ、任重くして道 遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、 誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、 それよく朕が意を体せよ。』

(御名御璽)


*現代語訳:

 『余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を 収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。

 余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通 告させた。

 そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをとも にすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてき たもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、 実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て 他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではな い。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余 のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、そ れぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の 大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。

 そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を 殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続 けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文 明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって 億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよ いか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由であ る。

 余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同 盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した 者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、 余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦 争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっ ては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難 は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知ってい る。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを 忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出し たいと思う。

 余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実 とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情の おもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化 させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、 余のもっとも戒めるところである。

 そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を固く信 じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾 け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の 進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体 せよ。』

 いかがだったでしょうか。この詔勅にこめられた日本国民への期待と激励と痛 恨の想いを、いったいどれだけの国民が、戦後、おぼえていただろうか。

 原文の末に、『よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任 重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操 を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべ し。汝臣民、それよく朕が意を体せよ』とあるが、この言葉は戦後五十三年にわた り、国民からほとんど無視されてきたことがわかる。

 確かに『総力を将来の建設に傾け』『世界の進運におくれざらんことを期す』 という所だけは、必死になってやってきた。ところが、だれも『神州の不滅』など 忘れ、『道義』も軽んじられ続けた。『志操』もゴミ箱行きで、『国体の精華』な んて、国民体育大会の聖火としか思われないほど、精神性を捨て去ってきたのだ。 『挙国、一家』などという言葉すら、戦前の軍国主義への偏見やヤクザの一家とい う、ものすごく歪曲されたイメージでしかみられないという始末だ。

 物質的な建設と、世界のトレンドに遅れるまいとする姿だけ肥大し、精神にか わることを、放り出してしまったのである。『神州日本の不滅』『道義』『志操』 『国体』という意識を、とりもどさないと、この先、だれも生き延びられるまい。

 なにしろ、相手方の欧米やユダヤは、民族・国家意識にはすさまじいものをも っている。彼らの民族意識や国家意識に対抗し、つぶされないで伍してゆくために 必要なのは、今あげたような日本独自の民族意識・国家意識の復活なのだ。

 それのない日本人は、欧米流のやりかたにおしつぶされ、奴隷的な生を送るし かないと、筆者は感じる。まっとうな民族意識と国家意識を、復活させることは可 能なはずだ。それが『国体の精華を発揚』するということなのだ。

 なぜなら、民族意識こそ、国家にとって民族にとって、最大最強の武器である からだ。それゆえに、五十三年前、マッカーサーは、まず最初に日本の「民族意 識」を、新憲法によって無力化したのだ。

 彼らがもっとも恐れたのは、この国の軍事力ではなく、それを支えつづけた日 本人の民族意識・精神力だったことが、これからもわかる。日本人の精神力を骨な しにし、アメリカに魂を売らせることが、最大の武装解除を意味したのである。だ からこそ、売ってしまった日本魂を取り戻さなければならない。それこそが、昭和 天皇の悲願だったのではないだろうか?

TOP PAGE