『五箇条ノ御誓文/完全版』

『五箇条ノ御誓文』(明治元年または慶応4年3月14日--原文)

掛巻も畏こき天神地祇の大前に今年三月十四日を生日の足日と撰定めて禰宜申さく今より天津神の御言寄しの随に天下の大政を執行はむとして親王卿臣国々諸侯百僚官人を引召連て此神床の大前に誓ひ奉らくは近き頃ひ邪者の是所彼所に荒び武びて天下さやぎにさやぎ人の心も平穏ならず天下の諸人等の力を合せ心を一つにして皇らが政を輔翼奉り仕奉らしめ給へと請祈申す礼代は横山の如く置高成て奉る状を聞食て天下の万民を治給ひ育給ひ谷蟇の狭渡る極み白雲の墜居向伏限り逆敵対者あらしめ給はず遠祖尊の恩頼を蒙りて無窮に仕奉る人共の今日の誓約に違はむ者は天神地祇の倏忽に刑罰給はむ物ぞと皇神等の前に誓の吉詞申給はくと白す

(八神注:以上は「国是誓約ノ御祭文」と呼ばれる前文。原文は漢文)

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一 上下心ヲ一ニシ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公動ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

我国未曾有ノ変革ヲ為サントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ニ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ

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<読みくだし文>(1868年3月14日)

掛巻(かけまく)も畏(かし)こき天神地祇(あまつかみくにつかみ)の大前(おおまえ)に、今年三月十四日を生日(いくひ)の足日(たるひ)と撰定(えらびさだ)めて、禰宜(ねぎ)申さく。今より天津神の御言寄(おんことよさ)しの随(まにま)に、天下(あめがした)の大政(おおきまつりごと)を執行(とりおこな)わんとして、親王(みこたち)卿臣(まえつぎみたち)国々(みくにみくにの)諸侯(みこともちども)・百僚官人(つかさつかさのひとども)を引居連(ひきいつらね)て此(この)神床(かむどこ)の大前に、誓(うけ)ひ奉(まつ)らくは、近き頃(ころお)い邪者(よこしまなるもの)の是所彼所(ここあすこ)に荒び武(うと)びて、天下さやぎにさやぎ人の心も平穏ならず。この故にもって天下の諸人等(もろびとども)の力を合せ、心を一つにして、皇(すめ)らが政(まつりごと)を輔翼(あなない)奉(まつ)り、仕奉(つかえまつ)らせ給へと請祈(のみ)申す。礼代(いやじろ)は横山の如く置(おき)高成(たかなり)て奉る状(さま)を聞食(きこしめし)て、天下(あめがした)の万民(よろずみたみ)を治給(おさめたま)い、育(ひたし)給い、谷蟇(たにぐく)の狭渡(さわたる)る極み、白雲の墜居(おちい)向伏(むかふす)限り、逆敵対(まつろわぬ)者あらしめ給わず、遠祖尊(とおつみおやのみこと)の恩頼(みたまのふゆ)を蒙(かがふ)りて、無窮(とこしえ)に仕奉(つかえまつ)る人共の今日の誓約(うけい)に違(たが)わむ者は、天神地祇(あまつかみくにつかみ)の倏忽(たちまち)に刑罰(つみない)給わむ物ぞと、皇神等(すめがみたち)の前に誓(ちかい)の吉詞(よごと)申(もうし)給わくと白(まお)す 一 、広く会議を興(おこ)し万機公論に決すべし 一、上下心を一にし、盛(さかん)に経綸を行うべし 一 、官武一途、庶民に至る迄(まで)、各(おのおの)其(その)志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめん事を要す 一 、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし 一 、智識を世界に求め、大(おおい)に皇基を振起すべし 我が国、未曾有(みぞう)の変革を為さんとし、朕(ちん)躬(み)を以って衆に先んじ、天地神明に誓い、大(おおい)に斯(この)国是(こくぜ)を定め、万民保全の道に立たんとす。衆また此(この)旨趣(ししゅ)に基(もとづ)き、協心努力せよ。
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<現代語訳>

言葉にするのも畏れ多い天津神国津神の御前に、今年三月十四日を、生命が生き生きと栄える日、活力が満ち足りている吉日と選び定めて、禰宜(神官)が申し上げます。今より(神話時代に)天津神の御命じになられた通りに、天下のまつりごとを行おうとして、皇族、大臣貴族、藩主、そのほか百官の役人たちを召しだして、この神棚の御前にお誓い申し上げ奉りますのは、このところ、悪しきものどもが、あちらこちらに現れては荒れ狂い、天下は騒ぎに騒ぎ、人心も穏やかではありません。それゆえに、天下の国民の力をあわせ、心をひとつにして、天皇の御政治をお助け申し上げ、お仕え申し上げさせてくださいませと、御祈願を申し上げます。
 ご祈願の捧げものの品々を、広い山のように置き高く盛り上げて奉献いたす様を、ごらんいただきまして、天下の万民をご統治くださり、愛育していただき、谷々の蝦蟇が連なり渡る果て、山々の上に湧いては降りる白雲が、はるか向こうまで伏して流れる果てまで、反逆者や敵対者の存在をお許しになられず、歴代天皇、ご先祖の諸霊のお恵みお蔭をこうむり、限りなくお仕え申し上げる人共による、今日のこの神前誓約に違反する者がいましたならば、天津神国津神によってたちまちに神罰をいただくことになると、皇祖皇宗の御前に、誓いの吉事のお言葉をおっしゃった次第であることを申し上げます。

一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。
一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。

 我が国は、いまだかつてない変革を成そうとし、朕(ちん)みずから身をもって国民に率先して、天地神明に誓い、大いにこのような国是を定め、万民保全の道に立とうとしております。国民もまた、この趣旨にもとづいて、心をひとつにして努力しなさい。


<解説>

「五箇条の御誓文」の本旨は、「御誓文」=「お誓い申し上げる文」であり、「神にお誓い申し上げた」のである。
 この「御誓文」について、社会科・日本史の教科書やその他の資料でも、「国是誓約ノ御祭文」という「前文」について、まったく触れていないものがほとんどである。五箇条のそれぞれが、大変に重要な条文であることはもちろんだが、本来なら、それを明治陛下が、御神前に奏上あそばされたという形とその意義を、きちんと紹介すべきではなかろうか。
 まず「神(皇祖皇宗)ありき」なのである。ご自分のご先祖の神々に「誓約」した条文なのだから、この五箇条にこめられた明治陛下の叡慮は、いかばかりであっただろうか。
 この「神前の誓い」をぬかしての、「五箇条の御誓文」の紹介は、いわば不完全版であり、このたびアップしたこの「前文付き五箇条の御誓文」を「完全版」とした理由は、上のごとしである。


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