『国体の本義』を解説する〜趣意・目次・緒言〜

『国体の本義』 (昭和13年・文部省編纂)を読む

☆『国体の本義』を解説するにあたって☆

  「国体の本義」とは、昭和13年に当時の文部省が、当代、一流の学者たちを結集して編纂した「日本とはどのような国か」を明らかにした書物である。この本は、各学校に配布され、今日の教育大学や教育学部にあたる「師範学校」でも必修科目に取りいれられた。
当時は、各種学校の入学試験や教員試験に、この「国体の本義」からの出題があり、この書を学ぶことなくしては、入学したり教員になったりできなかった。
 また、たとえに多少の相違はあるものの、今日の「教育指導要領」のようなものとしても発行された。
 もちろん、一般にも市販され、わずか2〜3年で60万部とも100万部ともいわれる数が発行された超ベストセラーである。
相当な分量ではあるが、さいわいすでにテキスト化されたものがネット上で閲覧できる。また「国体の本義」全文と解説が掲載された古書などを参考に、ご紹介をこころみる次第である。


☆「国体の本義」解説を読まれるにあたっての御注意☆

※本書のテキスト文は「日本文学学術的電子図書館(J-TEXT)」によった。

※「J-TEXT近代文学本文」欄の「作品名五十音順」を開き、「か行」に「国体の本義」がある。そのHTMLファイルと『国体の本義精解』東洋図書株式合資会社・昭和15年5月20日発行6訂増補105版の原文に準拠した。

『国体の本義』の原文本文は、太字の書体で示した。解説・説明の部分は通常のフォントで区別した。また、原文の本文中『古事記』『日本書紀』等の文書からの引用部分は「紫色」のフォントで区別した。

※以下、後ろに★と数字がある語彙・単語には、原文とは別に八神が注をほどこした。また、難読漢字や現代ではあまり使わない表現には、★をつける替わりに、原文中で( )の中に読み仮名と意味を適宜おぎなった。


○『国体の本義』編纂の趣意(文部省)

「国体の本義」

一、本書は国体(国柄。国の存在理由、存在の意義、民族性、歴史等を総括した言葉)を明徴(めいちょう=明らか)にし、国民精神を涵養振作(かんようしんさ=養い育て振るい立たす)すべき刻下の急務に鑑(かんが)みて編纂(へんさん)した。

一、我が国体は宏大深遠であつて、本書の叙述がよくその真義を尽くし得ないことを懼(おそ)れる。

一、本書に於ける古事記、日本書紀の引用文は、主として古訓古事記★1、日本書紀通釈★2の訓に従ひ、又神々の御名は主として日本書紀によつた。


★1「古訓古事記」(全3巻)は、「古事記伝」で有名な国学者・本居宣長(もとおりのりなが)の著作(ただし正確には門人の長瀬眞幸が「古事記伝」から訓読を集めて編纂・出版)。享和3年(1803年)に発行された。現代に出版される「古事記」でも底本の一つとして、また古事記の由来に言及する材料として用いられることが多い。今日、もともと漢字でのみ書かれた古事記が、ひらがなまじりの文章で読めるのは、本居宣長先生のおかげである。また「本居」とはもともと「産土(うぶすな)」を意味する。

★2「日本書紀通釈」(全70巻)は、本居宣長の没後門人の国学者・平田篤胤の、また没後門人という国学者・飯田武郷(いいだたけさと)の著。嘉永5年(1852年)に起稿し、50年後の明治33年、死の直前に脱稿した畢生(ひっせい)の労作。飯田は信濃高島藩士で、維新後は岩倉具視を助けた。東京大学、慶応義塾大学、國學院(現在大学)、神宮皇学館(現在大学)などで、「日本書紀」を中心に皇学(国学思想)を講じた。


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目次

緒言

第一 大日本国体
 一、肇国
 二、聖徳
 三、臣節
 四、和と「まこと」

第二 国史に於ける国体の顕現
 一、国史を一貫する精神
 二、国土と国民生活
 三、国民性
 四、祭祀と道徳
 五、国民文化
 六、政治・経済・軍事

結語
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「国体の本義」緒言

 我が国は、今や国運、頗(すこぶ)る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途、弥々(いよいよ)多望な時に際会(さいかい=遭遇)してゐる。
 産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。
 夙(つと=特に)に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむながら)の国体に醇化(じゅんか=融け込んでよりよいものに変わること)せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。
 文物・制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、万葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民(みたみ)吾(われ) 生ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」★3と謳ふ(うたう)であらう。
 明治維新の鴻業(こうぎょう=大いなるわざ)により、旧来の陋習(ろうしゅう=あやまった慣習)を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を途げ、その分を竭(つ=尽)くし、爾来(じらい=以来)七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。

 併(しか)しながら、この盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ち国体の本義は、動(やや)もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を有し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然(さんぜん)たる文化は内に薫蕕(くんいう=善悪)を併(あわ)せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。
 今や我が国は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影、相共に現れた感がある。
 併(しか)しながら、これ飽(あ)くまで発展の機であり、進歩の時である。
 我等は、よく現下、内外の真相を把握し、拠(よ)つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々(いよいよ)国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。



★3「御民(みたみ)吾(われ) 生ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」
 この歌は、万葉集(「まんようしゅう」ではなく「まんにょうしゅう」と読む)巻六(三〇)の歌。天平六年(734年)、海犬養宿禰岡麿(あまのいぬかいのすくねおかまろ)による応召歌(=勅命によって天皇に詠進する詩歌)。

 意味は次の通り。

「天皇の御民として この栄える大御代に生まれてきたわれわれは まことに生きがいのあるよろこばしいことである」

 御民とは、臣民が天皇を意識していう自称。天皇が臣民を呼ぶときは「大御宝・おおみたから」と表現されるが、原意は「大御田子等(おおみたこら)」であり、水田耕作に従事する農民の意味。


 現今、我が国の思想上・社会上の諸弊(しょへい=諸種の弊害)は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動(やや)もすれば、本を忘れて末に趨(はし)り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化(じゅんか)をなし得なかつた結果である。
 抑々(そもそも)我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或(あるい)はその延長としての思想である。
 これらの思想の根柢(根底)をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於(おい)て国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。
 従つて、そこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。
 かかる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て、我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於(おい)て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。

 我国の啓蒙運動に於ては、先(ま)づ仏蘭西(フランス)啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸(ドイツ)の国権思想等が輸入せられ、固陋(ころう=かたくなで劣った)な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。
 かかる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂(いわゆる)欧化主義時代を現出した。
 然(しか)るに、これに対して伝統復帰の運動が起つた。
 それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃(ほうはい=みなぎりあふれる)たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。
 蓋(けだ)し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡(いび=なえしぼむ)せしめる惧(おそ)れがあつたからである。
 かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来(きた)し、思想は昏迷(こんめい=暗くなり迷うこと)に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就(つ)くべきかに悩んだ。
 然(しか)るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発(かんぱつ=詔勅を発布する)せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国(ちょうこく=国のはじまり)樹徳(じゅとく=徳をしっかりと立てる)の聖業とその履践(りせん=履行)すべき大道とを覚(さと)り、ここに進むべき確たる方向を見出した。
 然(しか)るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘(かかわら)らず、未(いま)だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。
 即(すなわ)ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟(きし=はたじるし)の下に実証主義及び自然主義として入り来(きた)り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又(また)続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起(じゃっき=ひきおこす)し、国体に関する根本的自覚を喚起(かんき=叫んで目覚めさす)するに至つた。

 抑々(そもそも)、社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激(きげき=偽り過激である)なる思想は、究極に於(おい)ては、すべて西洋近代思想の根柢(根底)をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。
 個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容(い)れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄(す)てんとして、全体主義・国民主義の勃興(ぼっこう)を見、ファッショ・ナチスの擡頭(台頭)ともなつた。
 即ち個人主義の行詰(ゆきづま)りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。
 久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰(ゆきづま)りを如何(いか)に打開するかの問題は暫(しばら)く措(お)き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還(かえ)り、万古不易(ばんこふえき=永遠に変わることのない)の国体を闡明(せんめい=あきらかにする)し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而(しか)も固陋(ころう)を棄(す)てて、益々(ますます)欧米文化の摂取・醇化(じゅんか)に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量(こうりょう=度量の広大な)なる新日本を建設すべきである。

 即(すなわ)ち、今日、我が国民の思想の相剋(そうこく=葛藤)、生活の動揺、文化の混乱は、我等(われら)国民がよく西洋思想の本質を徹見(てっけん=見ぬく)すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。
 而(しか)してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰(ゆきづま)りに於(おい)て、その打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。
 ここに我等の重大なる世界史的使命がある。
 乃(すなわ)ち「国体の本義」を編纂(へんさん)して、肇国(ちょうこく)の由来を詳(つまびらか)にし、その大精神を闡明(せんめい)すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促(うなが)す所以(ゆえん)である。


(緒言終わり)
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