対談『日本の興亡はこれから始まる』
『歴史街道』1991年4月号特別増刊号(PHP研究所)

対談『日本の興亡はこれから始まる』
『歴史街道』1991年4月号特別増刊号(PHP研究所)

会田雄次(あいだゆうじ・京都大学名誉教授)
奈良本辰也(ならもとたつや・歴史家)

会田 結論から先に言えば、日本はヨーロッパのように「興亡」の歴史を経験していませんね。争いや対立があっても、自民党の中の権力争いみたいなもので、「興亡」と言うほどの危機はなかった。

奈良本 危なくなったのは、太平洋戦争で負けたときぐらいでしょう。それ以前は、外国に占領された経験がないですからね、日本は。

会田 そのアメリカも占領はしたけれど、併呑はしていません。あれほど徹底的な負け方をしたのだから、断固たる力でもつて四十九番目の州にしようと思ったらできたのに、しなかった。もしそうなつていたら初めて日本の滅亡ということで、決死の覚悟でアメリカ軍と戦い、長い抵抗を積んで、やっと占領から脱して独立を勝ちとるとかもあったでしょうが、そうなる前の段階でアメリカが止めてくれたわけです。(笑い)

奈良本 それに、天皇家だって続いている。だから興亡となれば、社会史的に見るしかないんじゃないですかね。

国土防衛を考えずに生きてこれた、希有な民族

会田 日本農業史を研究に来ていたフランス人に、江戸時代の天明の大飢饉で五十万人が死んだと言ったら、三千万人の人口のうち五十万人で有史以来の大飢饉かと驚かれたことがあるんです。日本人にしたらものすごい数字だという感覚があるけれど、十五、六世紀ごろまで、ヨーロッパでは慢性的に飢饉に襲われ、毎年のように人口の四分の一が栄養失調や、それを根本原因とする流行病で死んでいったといわれている。三千万人なら七百五十万。それだけの人間が栄養失調で死んでいったわけで、日本ではちょつと考えられない。

奈良本 流行病で潰滅的打撃を受けたこともそうないしね。

会田 ペストでずいぶんやられましたね。十五、六世紀ごろまで、農民は家畜と一緒に暮らしていましたから、衛生状態が悪くて、病気がはやるとあっという間に広がる。それに、エネルギー不足。中世末には製鉄製鋼などの鉱工業が発達し、石炭は使いこなせないとあって木を伐りすぎて、風呂にも入れないほど深刻な状態になった。入浴の習慣が減ったのはそのためなんです。現在ドイツでは天然林なんて一本もないんじやないですか。そうしたひどい状況をなんとかしようと、必死に乗り越えて近代化していったわけです。

奈良本 中国でも、戦後初めて南のほうへ行ったとき、山はみな丸裸でした。

会田 その点、日本は天然林が圧倒的。造林でも杉林なんて余りすぎるくらいある。

奈良本 日本でも、塩田の燃料として木を伐りすぎたことがあったけれど、ちょうどその時期に山口県で炭鉱が発見され、おかげでエネルギー危機にあわなくてすんだ。

会田 それはいつごろです?

奈良本 江戸時代の前期。で、塩を焼くには石炭でないといけないとなった。当然、塩田業も石炭を運べる範囲が大きな決め手になるわけで、赤穂などはまさしくそうです。当時の船では石炭は重すぎて、潮岬を回れませんでしたからね。まあ、それはともかくとして、エネルギー問題で言えば、石炭の発見は大きいですよ。

会田 それに森林の再生力は強いしエネルギー危機を知らなかったのは日本民族だけ。ローマ帝国が潰れたのも、収奪の範囲を広げすぎて再生産がきかなくなったからなんです。俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの、ローマ帝国の論理はこれですからね、実に単純明快。木を伐り倒し、食糧を奪い、また次の土地を収奪する。ローマの支配下になったら大変ですよ。木はなくなるわ、食糧は消えるわ、人口は減るわ。再生産がきかないほど搾り取られる。日本は幸いにして、そんな日にあっていませんからね。

奈良本 敗戦のときでも、占領したのがアメリカだから助かった。

会田 世界一金持ちで豊かなアメリカだから、食糧なんかもかえってもらったぐらいで、恵まれています。

奈良本 しかも、あれだけの敗戦を迎えながら、基本的な政体は変わっていないものね。それどころか、経済発展して、金満大国にさえなった。不思議な国だよね、日本は。

会田 だから、せいぜい社全体制の変化に応じて、権力が変わってきたくらいなもので、国がなくなったとか、人口が大減少して滅亡の危機にさらされたこともないんですね。室町・戦国時代の動乱があれほど続いたときも、社会は高度成長期で、生産力が上がり、人口がものすごく増えている。こんな国はないですよ。

奈良本 ヨーロッパとはそこが違うところで、やっぱり、島国というのが大きいね。

会田 大きいですね。高温多雨な島国の上、大陸と接している海が荒海だから、古い船ではちょっとやそつとでは渡れなかったでしょう。まして、兵士や武器、兵糧を継続的に送るなど不可能です。だから、国土防衛をほとんど考えずに二千年間生きてこれたわけです。

(以下略)


(令和1年10月10日)

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