『天つ罪国つ罪を唱えて身心を清める』

『天つ罪国つ罪を唱えて身心を清める』

『日本を語る 皇室と伝統文化篇』所収
(神社本庁編/小学館スクエア/H19.3.27初版)
 岡野弘彦「和歌は古代の優れた魂を感受する命綱」
より引用

 私は伊勢と大和の国境にある神社の神主の家の生まれです。

 私は長男でしたので、本来この神社の三十五代目神主となるべきでしたが、国学院大学で折口信夫先生の学問に感動し、学問の道に入りました。  私が子どものころ、伊勢の農家の人たちは、なにかことがあると必ず神社にやってきて、『延喜式』の大祓(おおはらい)の祝詞(のりと)を唱えていったものです。そのなかには当然、先に挙げた須佐之男命の犯した天つ罪や国つ罪のくだりがあります。                                          昔の人は、ひとつひとつの罪を、自分でことばに唱え、心に尋ね、そして水無月晦日(みなつきみそか)と師走晦日(しわすみそか)の一年二度の大祓の日に、自分たちが罪を犯さなかったか、もし犯したらそれを真剣に償わなければならないという心をもって、大祓の祝詞を唱えたのです。

 ところが戦争が激しさを増していったころ、どういうわけか、天つ罪国つ罪の部分を神前で唱えることをやめるようになりました。

 祖父はこうした風潮の中でも、天つ罪・国つ罪をきちんと神前で唱えていました。ここを唱えなければ、大祓の祝詞のいちばんたいせつなところが消えてしまうのだ、といっていたのです。しかし私の父は養子にきたものだから、そこのところがわかっていないので、当時の祭式を守って、天つ罪・国つ罪のところを唱えなくなりました。

 すると古くからの信者たちが承知しません。熊野から講社を結成してやってきた世話人の老人が、一晩私の父を責めていたのを覚えています。

「先代様は必ずここで天つ罪・国つ罪を朗々と唱えられましたぞ。それを聞いて私どもはそのひとつひとつの罪を、半年の間に犯さなかったか自分の身を振りかえつて反省し、そして自分の身を清めたのです。あれを唱えてくださらなければ、祝詞のいちばんたいせつな部分が、魂が抜かれたものになつてしまいますぞ」

 そのとき父は返すことばもなく、苦しい弁解をしていました。聞いていた私は、子ども心にも、世話人の老人のいうことが正しいと感じたものです。

 これに限らず、近代社会において日本人が連綿と受け継いできた、たいせつな心の伝統は失われていったのです。そして敗戦の悲劇にまで至ってしまう。莫大な若い命が失われたのです。日本神話の、いちばんのエッセンスともいうべき祝詞のなかで、我々が忘れてはならない罪を、遠い祖先たちは示していてくれました。日本人の倫理の根底をなす天つ罪・国つ罪は、『延書式』の大祓の祝詞にきちんと示されています。一見小さなことに思うかもしれませんが、日本人が大切に守ってきたこうした文化伝承を捨て去ったことが、敗戦という悲劇にもつながったのではないでしょうか。

(了)


(令和1年9月26日)

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