『国学・神仙道が説明する
「天狗界(山人天狗界)」という死後の苦界について』

『国学・神仙道が説明する
「天狗界(山人天狗界)」という死後の苦界について』

八神邦建

  キリスト教や仏教の死後世界の説話にはまったくないか、あるいはごくわずかしかとりあげられていない死後の世界に「天狗界(山人天狗界)」というものがある。

 これは、「神仙道(宮地神仙道)」で詳細に取り上げられている。 「神仙道」とは、江戸末期から戦前にかけての平田篤胤派の国学による神道・霊界(異境・異界)観に、道教的な要素と表現が加わった独特の神道の流れのひとつである。

 神社神道の説と比較して、死後世界や神々の世界についての洞察と知見が詳細かつ広範に取り上げられるという一大特色がある。平たくいえは「人はどこからきてどこへいくのか。なぜ生まれてくるのか。人の本質はなんであるか」の根源的な三つの問いに、古事記・日本書紀などの神話をモチーフに解答を与えるものである。

 その死後世界の解説の中で、特筆すべき霊界として「山人天狗界」があり、これは他宗教における「煉獄界」または「地獄界」の内の一部の世界に比定される。

 すでに、江戸時代の仏教と僧侶を批判した平田篤胤が、『仙境異聞(仙童寅吉物語)』『古今妖魅考(ここんようみこう)』などでそこに収容される人間の性質を記している。

 そこでは、高慢な僧侶や修行者など、自分の地位・名誉・能力に慢心したものたちが収容されるという。  収容される人霊たちの生前は、宗教的に無知ではないし、知識や霊能や才能も高いのに、徳性を磨くことを怠ったために慢心した人々である。これは宗教的な関係者だけでなく、技芸・技能・美貌・才覚を誇って高慢になった人々をもふくむ。

 その高慢心を砕いてへりくだらせないと、それらの霊たちは神霊の世界に昇ってゆくことができない。そのため、ぎりぎりの限界状況に追い込んで改心させるため、凄絶な地獄的な苦行の繰り返しを余儀なくされる。あるいは、更に悪質な魔界に引き込まれ、魔性の先達に支配されて獣に姿を変えられて使役されることにもなりかねない。山人天狗界にもいくつもの階層があるので、その下層になればなるほど、狗賓界(ぐひんかい)という低級天狗界の領域に移り、魔界と区別がつかなくなるという。

 その世界では、上級神霊世界より指導を託された高級天狗霊と配下の指導霊たちが、そうした苦行の遂行を指揮している。逆らうことのゆるされない厳格無比にして酷烈な修行世界である。苦行には、現世の山伏たちのやるような行の何百倍も苦しい身の毛のよだつような行ばかりである。

 一部の例をあげれば、百日間のまずくわずの飢餓の行、赤熱した銅や鉄の玉を呑む行、溶けた銅鉄を呑む行、何日も巨大な滝の冷水に打たれ続ける行、風雪すさぶ寒冷地で何日も過ごす行、何日も眠らずにいる不眠の行、何日も大木にしがみついている行、熱湯と冷水に交互に入る行、火渡り行など、生身の人間には耐えられない死のない霊ならではの苦行ばかりである(『類別 異境備忘録』 著:宮地水位より)
 それに耐えられずに逃げ出す脱走脱獄組もいて、それらは魔物につかまって奴隷とされるか、地上の人間界に流れ着き悪さをする悪霊となる。

 注意すべきは、このような天狗世界に生前から引き寄せられて、死後にひきこまれるタイプの人種がいて、それは高慢な人々ばかりではない。  いわゆるオカルトマニアと呼ばれる、人格向上の気持ちのない霊的現象や怪奇現象を好む物好き連中、霊能や超能力を身に着けて人に誇ろうとする連中、私利私欲を目的に霊能や神霊的な力を獲得しようとする輩たちがそうだ。

 したがって、好んで山伏のまねをしたり、山にこもって修行などするのは禁物である。しっかりした正しい師匠の指導のもと、純粋に世の為人の為、わが身を度外視して修行するのでなければ、やってはならない。

 思いつきや好奇心や私利私欲で山籠もりをしたり霊能力を獲得して世間の注目を浴びてひともうけしようなどという輩は、生前の成功不成功にかかわりなく、死後には山人天狗界や狗賓界に収容されて凄絶な苦行を強制される破目となる。

 そういう連中は、死後に自分が生前の志向の段階から、天狗界と縁づいていたことを激しく後悔し、人間世界がいかにすごしやすく良い世界であったかを、苦行の苦痛にもうろうとしながら夢のようになつかしむという。

 そんな風にならないためにも、一人間としてまっとうに生きて徳性を磨き、奇を好み怪を愛することなく、与えられた環境の中で誠実を尽くす生き方をすべきである。

 それらを証拠だてる文書を以下に引用する。

※以下の引用文の現代語訳は八神による。なお読みやすさを考えて段落分けと改行を適宜ほどこした。

☆平田篤胤著・『仙境異聞(仙童寅吉物語)※』より

※仙境異聞は、文政三年(一八二〇年)に平田篤胤の前に現れた少年・寅吉が、幼時から山人・天狗界に通い、師匠の仙人のもとで修行し、その異界での経験や有様を、平田篤胤ら多くの人々に問われるままに答えたものを記録した本。
 岩波文庫(青三六-三)『仙境異聞・勝五郎再生紀聞』に詳しい。

『仙境異聞』第三巻 本文

「ある人が、ふざけて寅吉に言った。『私はこの世に住みあきたので、山人(*1)になりたいと思うのだが、あなたが山に帰るときには、ぜひ私も連れていってください』

 寅吉は、その言葉を真に受け、居住まいを正して言うのには

『それはもってのほかです。神をのぞいては、世の中に人間ほど貴いものはないのに、山人・天狗などの暮らしを聞いてうらやましく思うのは、心得のよくないことです。
 人は、この世に住んで、この世の当たり前のことを努めてまっとうするのが、まことの道です。
 山人・天狗などは自由自在なこと(*2)があるといっても、山人には毎日、いろいろな種類の修行があって苦しく、天狗にもいろんな種類の苦行があります。
それゆえに、あちらの世界では、人間というものは楽なものだと、いつもうらやんでおります。
 こちらの世界では、あちらの世界をうらやみ、あちらの世界ではこちらの世界をうらやむ。
 みな、実際にその道にはいって見たことがないゆえのことですが、人と生まれたからには、人の道を守って、ほかを願ってはならないのです。
・・・(中略)・・・
 ですから、好んで山人・天狗になりたがるなど必要ないことです。
 それよりは、人間として相応の勤めを第一に、身の行いを正しくして、死後には神(*3)になるように心を固めることが肝要です』

(*1:天狗の類。人間世界から抜けて、山中の霊界で修行する霊的行者たち。寅吉もその一人で、通常は人間の目には見えない霊界で生活し活動する)
(*2:空をとんだり念力でものを動かしたりといった、人間にはない通力・超能力)
(*3:八百万の神のうちに加わる一柱の神のこと。ゴッドのような全能の唯一神のことではない)


☆『仙境異聞(仙童寅吉物語)』第二巻より

寅吉いわく
「悪魔(*1)どもは、いずこに住むかということは知らないが、それぞれの群れがあって、その徒党手下の類は多い。常に大空を飛行してめぐり、世の中に障害・阻害・妨害をなし、悪い人間にはますますその悪を増長させ、善人にはその徳のある行いを妨げて悪に向かわせ、人々の慢心と怠慢を見つけては、その心に入り、様々な禍いと難儀を発生させ、邪まな方に曲げさせて、仏・菩薩や美男美女などの姿を見せ、地獄・極楽の光景などのほか、何でも人々が好むところに従って、その形や現象を起こしてたぶらかし、ことごとくを自分の徒党・手下の群れに引き入れ、世の中をほしいままにしようと企むものである」

(*1:悪魔=悪霊・魔物・邪霊のこと)
「世の人々は、悪魔が多くいるということを知ったなら、道徳を積むべきである(*2)」

(*2:悪霊邪霊にたぶらかされないためには神の御守護がなければいけないので、そのためにも道徳を守ることが、悪魔につけいる隙を見せないで自分を守る方法だという意味)

☆『仙境異聞(仙童寅吉物語)』第三巻より

寅吉いわく 「すべて学問というものは、魔道に引きずり込まれることで、まず良くないことである。その理由は、学問するほど善いことはないけれど、真の道理を究極まで学んでそこに至る人はなく、たいていは中途半端な学び方で書物をたくさん読んで知識があることを鼻にかけ、知識のない人を見下し、神などいないとか、仙人・天狗などいないとか、怪しいこと(*3)などないとか、そういうものが存在する道理はないとか言って、自分は正しいと主張するが、これらはみな中途半端な学問による高慢な態度で、心が狭いためにそうなる。書物に書いてあることでも、直接にその物事に触れてみると、書いてあることと実際が違っている場合はいくらでもある。

(*3:霊的現象や目に見えない世界や存在に関すること)

(中略)

 すべて、慢心・高ぶる心ほど良くない心はない。魔道に引きずり込まれる因縁になるからである。それゆえに、顔立ちの美しい人や諸芸の達人、金持ち、権勢家なども、おごりの心があるために多くは魔道に入る。(*4)
僧侶は、だいたいが身分の低い者から出て、位が高くなって人々に尊敬されるために、みな高ぶりの心があって、たいていは魔道に入る。

(*4:死後に霊魂になってから魔道に堕ちることをいう)


☆顕幽順考論(けんゆうじゅんこうろん) 第四巻
  (著者・六人部是香=むとべよしか・平田篤胤の関西における高弟・神職にして産土神社・氏神と死後世界についての記述多し)

[現代文]

顕幽順考論 四巻

   誠実さのない儒学者(学者)・医者・詩歌の師、または本業以外の諸芸能に耽(ふけ)る農工商の徒なども、死後にともに凶徒界という地獄界・魔界に相当する世界に収容され、妖魅(ようみ)というまともな人間の形を失った姿で群れをなしてさまよっている。それというのも、現世にいる間、儒者は真実の教えによらずに、知らず知らずのうちに人をあやまった道に導き、欲深い医者はごまかしやさかしい手段で治すべき患者の命に損害を与え、あるいは詩歌の師匠たちは、本来の歌道・詩の道・文芸の精神に従って教えず、ただ自分の生活のために詩歌づくりをもてあそび、自分を偉くみせるためだけの手段にする。これは、いわゆる見世物や物乞いの態度というべきである。

 そのほか、現世的にも霊的にも、ともに有益な生き方に資することのない諸芸能をもって、本業やまっとうな生活態度をおざなりにさせ、人の生き方を誤らせるようなことは、どれも神霊・霊人たちの世界をしろしめす大国主神の忌み嫌われることであることはいうまでもない。ゆえにこれらの輩は、いずれも死後に凶徒界(※)に収容するようはからわれるのである。

(※凶徒界:生前に悪人だったものや、主君に対して下剋上をなしたもの、高慢傲慢だったもの、不道徳な言動を常としたものなどが行く世界。仏教やキリスト教やイスラム教などのいう「地獄界」「魔界」に当たる。)

 その一例として、13世紀に成立した「撰集抄(せんじゅうしょう)」という神仏の功徳や霊験を記した説話本に、次のような逸話がある。 「小倉百人一首にも選ばれた大納言・源経信(みなもとのつねのぶ)が、京都の八条のあたりに住まわれていたころ、旧暦の九月の夜で月の明るく昇っている景色を、屋敷の中から眺めていらっしゃった。

   近所から洗濯物を打つ砧(きぬた)の音がしてきたので、思わず『から衣 砧声(うつこえ)聞けば月清み まだねぬ人を 空にしるかな(意味:清らかな月の下に、衣を打つ砧の音。まだ寝ない人がいるのを知ることよ』と四條大納言(藤原公任)の歌をお詠みになった。すると、前庭の植え込みの方から『北斗星、前を横切る旅の雁、南楼、月下に砧(たた)く寒衣(さむごろも)(意味:北を見れば北斗七星の前を横切って雁の列が鳴きながら飛んでゆく。南を見れば都の南の楼門の方から、砧を打つ音がしんしんと聞こえてくる)』という詩を、まことに興趣ぶかいこの世のものとも思われない声で高らかに詠ずる者があった。

 誰だろうか、こんなにめでたい声をしているとはと思って、驚いて声の方をごらんになると、身長が三メートル以上もあるような、髪の逆立って生えた化け物がそこにいた。

 これはなんとしたことか、八幡大菩薩、お助けくださいと祈り念じられると、化け物も祟(たた)るに及ばずと思ったか、かき消すように失せてしまった。このように和歌の道に秀でた歌人に匹敵するほど優秀であっても、化け物になり下がっている例があるという話である。

 また、18世紀はじめに蓮盛(れんじょう)が書いた「善悪因果集」という仏教説話集には、次のような話がある。

「武蔵の国は江戸の浅草に、称名寺(しょうみょうじ)という寺があった。そこの長老の和尚は、聖俗いずれの分野でも、非常に賢かったので、自らの賢さに高慢になって万人を見下し、心も激しくたかぶって攻撃的であった。

 そんなある日の夕暮れ、十五歳ほどの小童(こわらべ)が、衣装も大小の刀も華やかな姿で訪ねてきた。そのいうところには『私は主君を持たない浪人です。和尚が、もし私をかわいそうだとおぼしめして、私をお使いになるとおっしゃるのであれば、お仕え申し上げたいと思って参りました』といってやってきた。

 長老の和尚は、それをただちに聞き届けて了承し、お付きのものとして養うことにしたが、この小童は大変に賢い者で、何事を為すにも長老の心に、ことごとにかなう勤めぶりで、長老もことさらに喜び可愛がった。

 ある時、京都に赴く用事があり、今度はこの小童も連れて出発したが、そろそろ往路の半分ぐらいまでは行っただろうかと寺のものたちが思っていたところ、和尚が一人だけでなぜか戻ってきた。声もなくそのまま休息所に入ってしまい、ものも言えず憔悴した様子であった。

 弟子たちは突然のことで、「わけがわかりません。いったいどうなさったのですか?」と和尚に問いかけると、長老はこう答えた。
『恐ろしい目に逢(あ)ってすっかり動転してしまった。

 私が箱根までたどりついたときのことだ、まわりを見ると、とても立派に造られた大きな家々が、たくさん立ち並んでいる場所にいた。そのあたりは、これまで何度か通ったことがあるが、こんな景色は見たことがなかったので、いつのまにこんなに家が立ったのだろうと、不思議に思った。

 その家々に住んでいる人たちを見れば、みながみな、最近、世間に知られた歌舞音曲や工芸や詩歌文芸の著名人たちであった。同行していた童が、『この土地に私の叔父がおります。そこへ行って休息をおとりください』というので、ついていくと、ことに群を抜いて立派で大きな家に連れていかれ、童は奥へ姿を消して、私は玄関で待たされた。

 しばらくそうしていると、また童がやってきて、美麗を尽くした大広間に案内し、また奥へと姿を消した。

 ずっと待っていると、やがて華麗な袈裟を着た八十歳あまりの老僧が、しずしずと入ってきた。その眼ざしには、尋常の人をはるかに超えた高圧さがあり、高く迫って威圧する状(さま)は言葉にするのも難しい。私は、それをひと目みて、思わず頭を垂れてしまった。

 そのとき、その老僧が『浅草の称名寺の、よくぞ来られたな。そなたは、ことのほかに高慢である。ゆえに、わが小童を遣わして、こうして召し寄せたのである。誰かいないか、あれが長老に熱銅を飲ませよ』と言ったかと思うと、鼻高く顔つきの異様な僧どもが、銚子に入れたどろどろに溶けた真っ赤な熱銅を、鉄の茶碗に注いで私に与えた。

 その怖ろしさは、とても言葉にはできない。思わず『わたしは、無知と愚かさのゆえに、こうした高慢になる誤りを犯しました。とにかく、このたびはお許しください。今から後は、末永く高慢になることはありません』と、再三にわたって詫び言をいったので、たやすくは許されなかったけれども、遂には、『そこまでいうなら、今度だけは帰ることを許す。いまの誓いを破れば二度目はない、是非なくここへ連れ戻すぞ』といって帰るのを許された。

『普通の人ならば、こういうときに言い逃れなど思いもよらないだろうが、この私だったからこそ、再び帰り来ることができた』と語ったものだが、またもその夜、長老は行方がわからなくなり、ついに戻ることはなかった」とあるのを見ても、儒者・医者などの類だった者たちが、死後に妖魅(※)という魔物化した霊物になって群れをなしている事を悟るべきである。

 また、近年、ある人が書いたもので、荻生徂徠門下の儒学者・漢詩人の服部南郭(はっとりなんかく)の亡霊が、木曽の山中にいるという事蹟も見える。ただし、儒学者や医者といっても、それらのすべてが妖魅になるというわけではない。職業がなんであれ、まず仁・慈・忠・誠(公平無私・いつくしみ・奉仕・正直)の真心を失わなかった人は、死後に神位界(八百万の神の位の高い霊的段階に達した神人だけが住む世界)に挙用されて、このような妖魅やその世界と接することなどまずありえないものである。

(※妖魅:いわゆる妖怪や魔物の類。現世の人間をたぶらかす誘惑をなすので魅の字がはいる。妖魅はもともと人間の霊だが、その心の姿が怪物に見える。)


☆『江戸怪談集・上』(岩波文庫/1989年)P140-141
 (「宿直草[とのいぐさ/1677年開版]」智ありても畜生はあさましきこと)より
  ※ここでいう「畜生」は、当時の通念で「動物に生まれ変わった者」という意味をもふくむ。

[現代語訳]

 天正年間に、京都の方広寺のあたりで罠をしかける浪人がいて、狐をたくさんとったが、一匹、老狐がいてなかなかかからない。
 その狐は餌にひかれて近寄っては危険を感じて離れ、また誘惑されて近づくということを繰り返していた。
 この調子だと、老狐もそのうち罠にひっかかるにちがいないと浪人は待っていた。

 そのあたりに、一人の天台宗の僧侶が住んでおり、深夜に本を開いていると、灯火の影に人の姿がある。
みれば綿帽子をかぶった老婆で、僧侶はぞっとして「なにものか」と声をかける。
すると、老婆が答えて「私はこのあたりに住む狐でございます。お頼みしたいことがあって現れました」という。
 事情をきいてみると、くだんの浪人が罠をしかけて狐をとりまくるので、自分の一族もみな狩られてしまい、自分もいつ罠にかかるかわからない。 ついては、その浪人に罠をしかけるのをやめさせてほしいということだった。
 もし、その願いをかなえてくれたなら、自分がかつて学んだ大乗・小乗問わない仏教の学問を教えて差し上げようという。

 僧侶が、「罠をやめさせるのはたやすいが、自分で罠のことがわかっているなら、なにもわざわざ人に頼まなくともよいではないか」ときくと 「私は畜生なので、罠とわかっていても餌の誘惑に耐えることができません。万物の霊長といわれる人間ならば自制心を保つこともできましょうが」という。

 さらに僧侶が「そんなあなたが、どうして私に仏教を教えようというのですか」と反論すると、
「前世で学んだことです。間違った解釈をしていたので、こんな姿に生まれ変わりました。しかし、知識というのは大変な宝です」
 そう述べて、「では、私が前世で僧侶だった証拠をお見せしますので何か質問してみてくださ」という。
 僧侶が試しに質問してみると天台宗の難解な教義の極意をすらすらと話してみせる。

 驚いた僧侶が「それほどの智恵がありながら、どうしてそんな姿に生まれ変わったのですか」ときくと、
「私が僧侶だったころ、智はあっても徳がなかったのです。そのせいでこんな姿になりました。
 今もさまざまな宗派の僧侶たちがおりますが、どんなに智があったとしても徳がなければ、みな野狐(やこ)の性(しょう)です」と答える。
「智と徳は別物ということだろうか」と問えば「両者はつかず離れずで、間髪をいれぬほど一体であると同時に、呉越のごとく相容れない。
(けれども)それらは私のあやまった理解だったのです。ああ、どうか、それを察してください」

 僧侶が、「世の中に、あなたのような人は、また多いのですか?」ときけば、
「道を求めるに多岐亡羊(たきぼうよう)ということです。道を誤る人は雲霞(うんか)のごとくおります」と答える。
 僧侶はとても驚いて言葉もでないでいると、狐は「夜が明けたら、どうか罠をしかけるのをやめさせてください」と約束して狐は去った。

 僧侶が、その日の朝になって浪人のところにいくと留守だった。その翌日は僧侶に来客があって行けなかった。やっとその次の日に浪人に会えたので伝えると、
「その狐なら、ゆうべ罠にかかったよ。このところ捕まえられなかったが、貴僧に約束したので、もう罠はしかけられていないと油断したのかもしれない」と答えた。
 僧侶は「私のせいで殺してしまったようなものだ」と涙を流して落胆して帰ったということだ。


☆『宮地神仙道要訣』清水宗徳・著より
 (※清水宗徳は、宮地水位・宮地厳夫・宮地威夫と三代続いた宮地家の神仙道を継承した四代目。昭和六十三年師走没)

『宮地神仙道要訣』内 「神仙界の実相及び天狗界の消息」より

「いかに高邁なる理想のもとに正しき神法道術を修行するものと雖(いえど)も、些少(さしょう)とも慢心の影の宿る間は本物ではなく、それは天狗界の下賤の行と同類項となるもので、知らず知らずそうした気線と相結んで、死後は天狗界のそれ相応の境界に編入せられ再試練を受けるのである。

 そこは大世帯で太っ腹な幽冥界のこととて(中略)何流も彼派もその中間位のものも実力相応に、因縁相応に、正邪善悪、大小高下、それぞれの位置に据えられるので、自分だけの理想のごとく、いきなり衣冠束帯で神仙界の宮殿に鎮座して、というわけには参らぬのである。 天狗界には僧侶の入りたるが最も多しというのも、実にさもありぬべきで、このほか神主、山伏、修験者、仙人志願者の出来のよくないのは大抵この界に収容されて、再修行の生活に入っているのである。

 よき師を得て正しき神法道術を授かり、苦行密修して相応の得力を得たとしても、それだけで印可証明というわけには参らぬのが幽冥の道で、慢心や擬装の念影が些少でも投影する間は、いかに道中の心得を説諭して青切符を握らしておいても駄目である。

 そのよき実例として、水位先生の厳父・常磐(ときわ)先生の門人に山尾寅吉という門人がおり、幽冥の道を好み、神明に通ずることをも得て土佐桐嶋神社の神官とさえなっていたが、その帰幽に際しては宮地先生父子を招待し、盛宴を張りて自ら鼓(つづみ)を鳴らし大音声に謡(うたい)をうたい、その席上で美事大往生を遂げたほどの徹底ぶりであったが、後日、常磐先生が窃(ひそ)かに水位先生に語られ、「残念なるかな、山尾寅吉は狗賓界(ぐひんかい)に堕ちたり」と洩(も)らされたという事実がある。

 況(いわん)や後進青襟(こうしんせいきん)の徒の修行途上、最も陥り易き道骨軟化症を徹底的に矯正するには、水火寒熱飢、文字通り冷暖自知の五行の苦行も必要で、さればこそ、天狗界の下層底流には、自ずから魔界へも交流する狗賓界以下の下賤なる苦界も用意されているのであろう。


※八神の追記

 たとえ、自分のことだけではなく他の人のためになることをするにしても、自分の人間性を高める努力を払わず、内省を怠りながら、利他の行動に走るものは、高慢さの罠にとらわれる。内省なきゆえに、利他の行動そのものが、高慢心の増長の理由にしかならない。たとえば、さまざまな被災地救援や障碍者のためのボランティアたちの中にも、不作法でうぬぼれ屋で横柄なものたちがいるように、同じ善行でも心がけが悪ければ、ありがた迷惑になってしまう。

 せっかくボランティアに来てもらっているのだからと、助けてもらう側も注意や指摘をしにくい状況の中で、愚かなボランティアはますます増長して手がつけられなくなる。増長してうぬぼれたボランティアや慈善家も「天狗界」の住人である。奉仕心は「させていただく」ものであって「してあげている」では奉仕にならない。

 あたかも、天狗行者が自分の高慢さと向き合うことなく、神通力や超能力を求めて修行しているようなものである。

 自分を育てることなく、自我を折ることなく、技量や収入や知識や名声を得ても、それは高慢心を育てるだけで、うぬぼれ地獄が、死後に、ひどい場合は生前の段階から待っている。自分の善行・善意が、おのれの自我ではなく、より高い次元の世界からもたらされたもので、表面的には自分のものであっても、本質的には自分のものではないということを理解しないからである。

 自分の言動によって人を救えたとしても、それは自分が救ったのではなく、高次の神的存在が自分の肉体を通して救ったのである。ゆえに、おのれの善行善意を誇り高ぶる心や、他からの称賛や見返りの利得を欲する気持ちがあるうちは、まことの善行ではない。「自分」という自我意識が救ったのではなく、産土神や祖先神やゆかりのある神々が救いたもうたのだという事実認識が何よりも大事である。

 天狗になるというのは、自分の内なる愚かさや幼さや至らない点に目を向けず、そのため幼稚な自己顕示欲が修正されないままであることを意味する。善なる行為は「自分」に対する称賛や報酬を求めず、功績を正当な行使者である神々にまるごと帰することによって完全なものとなる。

 自我我欲のとれない天狗心の持ち主は、自分が偉くてスゴイことを証明して見せつけたがる幼児的な自己顕示と自己満足が、利他行為の動機にふくまれる。それゆえに、彼らは超能力は身につくが、貧しい幼稚な人格性は変わらない。だから、どんなに酷烈な苦行をしても、自分を変えることが困難なのだ。


(令和1年9月27日)

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