第三弾(2):『戦慄のソドム化世界』(続)

★ 青い暴力、白い詐欺

 暴力信仰と悪魔崇拝に快楽を覚え、熱心になることが、サタニズムの本質であることが、これまでの検証で明らかになった。

 ところが、現実はさらに問題が多く、ことはそう単純ではない。じつは一見、 暴力と関係のない分野でも、このサタニズムの美学は蔓延しているのだ。

 たとえば、わけの分からない現代絵画や現代芸術、現代音楽の大半は、異様で グロテスクで悪魔的な狂気に満ちている。芸術は爆発だから、普通の人間が分か らないぶっとんだところがあるのは当然だが、見ているうちに、こちらの頭脳に 精神異常が伝染してくるようなのは拒否せざるをえない。

 それらのどれが、ミケランジェロやダ・ヴィンチ、バッハやモーツァルトにか なうだろうか。雪舟や狩野一派、横山大観、東山魁夷などの美しさに、現代日本 のいわゆる前衛的な芸術家が勝てるだろうか。

 音楽なら、典雅な雅楽や、各地の民謡、子守歌などの切なさ優しさに、現代の 金切声でわめきちらすロック音楽なぞ、どれも及ぶものではない。

 ロックといえば、まずビートルズだ。彼らがユダヤ資本の後援を受けて、音楽 破壊の尖兵として桧舞台に立ったというのは有名な話だが、「イエロー・サブマ リン」などは、ドラッグ体験を歌ったものだと言われている。

 現に、解散後も、メンバーだったポール・マッカートニーが、一九七八年に 『モンクベリィ・ムーン・ディライト』という、きたならしいへド声の歌を発表 している。ここでいう「モンク」とは、もともとは「僧侶」の俗語だが、現代で は麻薬中毒患者を意味する。「ムーン(月)」というのは、もちろん英語では精神異常の象徴だから、何を歌っているかはいうまでもなかろう。

 ジョン・レノンもまた、「ラブ・アンド・ピース」を提唱しているが、この 「愛と平和」には、いつもマリファナやハッシシ、LSDなど、麻薬の匂いが漂 っている。すでにビートルズ時代からして、そうなのだ。

 ドラッグの助けを借りないと得られない「愛と平和」とは、いったいいかなる 「愛と平和」なのか。うさん臭さ、この上ない。

 筆者は何も、ビートルズのすべての歌が、ポールやジョンの音楽活動の全部が いけないといっているのではない。ただ、その中に巧妙に織り込まれた、若者世 代を標的とする「麻薬肯定」「反社会性の煽動」を、見逃してはならないといっ ているのだ。

 一九六○年代から七○年代にかけて、<ヒッピー・ムーブメント>という、ア メリカの若者たちをとりこにした一大流行現象があった。その主旨は、麻薬肯 定、規範逸脱の煽動、政治・宗教・教育をはじめとする既存の秩序の否定だ。ジ ョン・レノンは、ボブ・ディランらとともに、そのシンボリックな存在だった。

 このいかがわしさ満点の<ヒッピー・ムーブメント>こそ、今日、猖獗(しょ うけつ)をきわめる<ニュー・エイジ・ムーブメント>の母体なのである。とこ ろが、日本人はそれらを、ほとんど無批判に受け入れてしまった。その証拠が、 今の日本の音楽芸能の堕落ぶりであり、新宗教や性格改造セミナーの蔓延であ る。

 新宗教とセミナー、変態性欲と麻薬、そしてビートルズは、こうして一本の黒 い糸でカ強く結ばれる。

 西洋の悪魔的な芸術にかぶれた人々は、今も昔もそのことを知らない。ヒッピ ー・ムーブメントやニューエイジの影響を受けた異様な創作物を、「芸術的」す なわち「かっこいい」と思って、いまだに制作しているのだ。

 もちろん、奇をてらって芸術と呼称する気取りもあるだろう。この「かっこよ さ」を愛する心、すなわち「きどり」「流行」「ブーム」を、悪しき存在という のはたくみについて来るのだ。

 箱根の『彫刻の森美術舘」や、長野松本の「美ケ原高原美術舘』は、そういっ たわけのわからない難解不毛かつ醜い作品ばかりを集めた場所だ。あそこにいっ て魂が洗われるような経験をした人など、おそらくほとんどいないだろう。

 そうした前衛きどりのうっとうしい絵画や音楽や彫刻を生み出す人々は、ある 一定の好ましからざる霊的因縁によって支配されていると、筆者は推測する。  前衛芸術をきどる現代の芸術家たちの脳ミソを支配しているのが何であるか、 読者ならもうお分かりだろう。彼らの作品を、わけがわからないと思い、ぶきみ だとか、ついていけないとか感じるあなたは、人としてごくノーマルである。安 心してよい。

 やってる当人たちはともかく、現代芸術など、わからなくても全く実生活に影 響はない。だが、天地自然の美を感受できないということになると、いざという とき、サバイバルに問題が生じてくる。

 というのも、こんな話が伝わっているからだ。ナチス支配下のドイツ、アウシ ュビッツなどの収容所に囚われた人々は、疫病や栄養失調などで、次々と死んで いった。ガス室で殺されたという説は信用しないが、とにかく悲惨な環境下で、 多くの人々が死んだのは確かである。

 ところが、そのような苛酷な世界から生還した人々に、ひとつの傾向が見当た るのだという。人間が非人間化し、それこそサタニズムの培養槽ともいうべき生 き地獄の中で、ほんのときたま心に感じたことが、命を救ったらしい。

 すなわち、ごくたまにでも、空の青さや、収容所の庭に咲く野の花の美しさに 感動できた人々が、多く生き残っているというのだ。その有無が生死に直結す る、大自然(=神・仏)へのセンスの問題である。雲行流水、風流を解し、虫の 音、鳥の声にも、「もののあはれ」を感じる心が、地獄でも命をながらえさせ る。

 日本の戦国武将たちが、和歌を日頃からたしなみ、茶を愛したのも、こう考え るとちゃんと理屈にあう。

 いつ死ぬか分からない身でも、心に大自然という変わらざるもの、永遠なるも のを抱き、感じて生きられる。それができてこそ、生きる意味はより深められ る。その才能が世界の国々の誰よりも、発達しているのが、本来の日本人という ものではなかろうか。

 さて、ここで邪悪について、もうひとつ大切な知識を紹介しよう。

 邪悪には、大別して二種類の蛇の道がある。といっても、その内容自体は、こ れまでさんざん解説してきた「暴力信仰」と、セミナーやマルチ商法などの「詐 欺」に大別されるので、ここではレッテルを貼って整理するつもりで読んで頂き たい。

 西洋では伝統的に、悪魔をふたつに分けている。暴力と恫喝、流血、殺戮、破 壊などをもっぱらとする「青悪魔」。詐欺と奸計、誘惑にたけ、人心をまどわし 苦しめることを得意とする「白悪魔」である。いわば、犯罪学でいう「粗暴犯」 と「知能犯」に当たるだろう。 

 したがって、「酒鬼薔薇」は「青」の系統に属していることになる。ただし、 彼の場合は中学生ばなれした文章を書いて、警察に送っているので、知能的な 「白」の要素も濃厚に持っている。

 さしずめ「創価学会」「統一教会」「オウム」「法の華」に代表される、有象 無象の新宗教などは、宗教の粉飾とメッキをほどこした「白」悪魔の走狗といっ てよいだろう。

 やり口によって、脅迫=青、誘惑=白という分け方もできる。たいていは、こ の二つを適当に使いわけるのが普通である。猫なで声でうまい話をもちかけ、い ざ支払いの段になると、法外な値段をぶっかけて脅すボッタクリ・バーなどが、 その分かりやすい卑近な例といえる。

 こうして、日本の凶悪事件や大規模サギ事件などを「青」か「白」かと分別し てゆけば、どれだけのサタニズムが、どの年代、どの地域に分布しているかが、 はっきりと分かるはずである。

 これが、蛇とどう関係があるのかというと、蛇の毒も二種類に分けられる点が そっくりなのだ。

 まず出血毒、これは噛まれた箇所から肉が溶けて激痛を生じ、苦しみのうちに 死ぬ劇的な毒だ。おもにマムシやハブ、ガラガラヘビなどがこれに該当する。も うひとつは、神経毒、こちらは神経が麻痺してゆき、無感覚になって死にいた る。コブラやウミヘビの毒がそうだ。

 暴力と脅迫、破壊専門の青悪魔は出血毒に、詐欺と誘惑をもっぱらにする白悪 魔は神経毒に、それぞれ当てはまるわけである。悪魔や邪悪なものを蛇に当ては めた古代の人間は、天才的な観察力を持っていたものと見える。

 こうして青と白と双方のサタニズムがあいまって、住民全体がサタニストと化 した都市の例が聖書にある。旧約聖告の「創世記」に出てくるソドムとゴモラで ある。これまで、色々と告げてきたおぞましい悪魔崇拝の所業が、ことごとく日 常的に行われていた悪名高い背徳の町だ。

 その中のソドムが、どうであったかが、聖書外資料《アガダー》という伝説集 に、よりくわしく記されている。ちなみに、この《アガダー》は、現代でもユダ ヤ人の経典「タルムード」の三割を占める伝承として通用している。

 聖書とともに《アガダー》の一節を聞いて、多くのユダヤ人が育つ。いわばユ ダヤ教の教育的な説話集というべきものだからだ。

 では、以下にその内容の一部を、大人向けに書き直した上でご紹介しよう。

 …ソドムの人々は非常に悪質であった。ソドムには、豊富な金銀があり、樹々に はあまたの良い果物がなった。ぶどう、いちぢく、くるみ、アーモンドなどだ。

 ソドムの民は、日常的に、それらを食べた。豊かな産物を食って、飲んで、満 腹していた。

 貪欲な彼らは、こういいあった。

 「ソドムには、客など来ないように。やってきた客に、われわれの食べる果実 が、食べられてしまう。われわれのぶどう酒も飲むだろう。そしたら、われわれ の分がなくなってしまうではないか。だから、ソドムに客など来ないように」

 そこで、彼らはこうもいった。

 「ソドムに、以下の法律をもうける。『だれでも客を家に招くものは、罰せられ る」

 こうしてソドムに新しい(邪悪な)法律が施行された。

 「善なることは……悪である。悪なることは……善である』

 善と悪を逆転させる。これがソドムの民のつくった法律だった。

 たとえば……

 『飢えたものに、食物を与えるものは、殺される』

 『傷害事件の場合、傷つけられた方が、傷つけた方に、金を払わねばならない』

 『他人の家畜の耳を断ち落とした場合、家畜を傷つけたものは、それを自宅に連 れてゆき、耳が再び生えてくるまで飼うべし』

 また川の上に橋があり、橋を渡る関税4ズズ(貸幣単位・日本円での換算は不 明)をソドムの人間はとった。

 ある人が、橋を渡る金がないので、川の中を渡って向こう岸へたどりついた。 すると、橋の監視人たちが待ちかまえていて、その人にこういった。

 「8ズズ、よこしなさい。橋を渡るものは4ズズ、川の中を渡るものは8ズズ払 わねばならないのだ」

 川を渡った人は、答えた。

 「お金はないんだ」

 監視人たちは、その人が悲鳴をあげるほど、殴るけるの暴行を加えた上、法廷 にひきだした。裁判長は、どちらのいい分も聞いた上で、こう判決を下した。

 「被告は、川を渡ったから8ズズ支払いなさい。さらに、監視人たちが、被告を 傷つけ、血を流してくれたのだから、被告はお礼に、もう8ズズ払いなさい。血 を流すことは健康によいし、体にも効果がある」

 川を渡った人は、無一文であった。ソドム人は、彼を逮捕し投獄した…。

 一時が万事、ソドムはすべてこうであった。

 邪悪な儀式や変態性欲のあふれる町だっただけでなく、はなはだしい暴力や詐 軟、極限の貪欲とミーイズムの狂気が、大手をふってまかり通っていたのであ る。

 すなわち忘恩、無慈悲、無節操、無礼のきわみをつくし、ソドムの外では善で あることが、市内では悪に、外の悪が内では善になっていた。このソドムの姿こ そ、人間が到達しうるサタニズムの極致といってよい。これに高度に発達した物 質文明(特にアメリカ型の都市文明)をつけ加えてみよう。

 すると、驚くなかれ、現代の世界は、まさに邪悪の巷と化している。なんとソ ドムのありように、肉迫していることか。

★ ソドム、滅び去るべし

 ソドムは徹頭徹尾、逆理、逆神の都だった。善が悪、悪が善という逆理を延長 すれば、創造は破壊、破壊は創造。愛は憎悪、憎悪は愛。敬意は嫉妬、嫉妬は敬 意。美しいことは醜い、醜いことは美しい。きれいなものは汚い、汚いものはき れい。正直は嘘、嘘は正直……など、すべてが、このようにひっくり返ってゆ く。

 ソドムの民の脳裏を汚染していたのは、こうした救いようのない悪魔の美学で ある。そこでは、「悪魔が神に、神が悪魔に」なってしまうからだ。

 すなわち、われわれが神や善や正直さを愛するように、彼らは悪魔や悪、虚偽 や演技を、こよなく求め愛しているのである。

 これからもわかる通り、邪悪というものは、まっとうな価値観の逆をゆくの が、今も昔も大好きなのだ。

 その証拠に、中世から現代にいたるも"悪魔の書"と呼ばれるものは、ほとんど が逆つづりや裏返し文字で書かれ、魔道士は呪文や祈祷文を、逆から読み上げて ゆくのが通例だ。

 これを、現代のロック・ミュージックが音楽的にとりこみ、大量の若者の耳に 吹きこみ続けている。

 たとえば、ハードロック・グループの《レッド・ツェッペリン》が出したある レコードを、逆回しにかけると、そこに悪魔をたたえる声が聞こえるという話が ある。この噂が本当なら、邪悪なサブリミナル効果を狙ったものというほかはな い。

 実際のところ、サブリミナルどころか、欧米のへビメタ(ヘビー・メタル)ロ ックには、本当にロクでなしの、サタニズム丸出しのものが多い。たとえば、 《AC/DC》《ジューダス・プリースト(裏切り者ユダの喜び)》《ブラッ ク・サバス(黒いサバト)》などが、最も代表的なサタニスト・へビーメタル・ ロックグループである。

 欧米のへビメタ・ロックは、とにかくその悪影響につき、要注意である。著者 も少年時代、前述した《レッド・ツェッペリン》や《ジューダス・プリースト》 にはまって、何度も聴いているうちに、悪魔主義に染まりかけたことがある。

 それらを何度も愛聴していると、一時的に暗く熟いエネルギーにひたり、活力 を得られるような錯覚が起こる。だが、その実、心の中にある憎悪や憤怒、復響 心、呪詛などのネガティブな感情が増殖拡大し、コントロールできなくなるの だ。

 人の憎悪と慣怒、呪いの感情を爆発させるのに、へビメタ・ロックというの は、すさまじいカをもっている。精神的に不安定な人間に、くりかえし聞かせた なら、必ず精神異常におちいり、凶悪犯罪をはたらくことうけあいである。

 現に、今あげたへビメタ・ロックを間いていた米国の少年たちが、「酒鬼薔 薇」をはるかにうわまわる悪魔そのままの猟奇殺人事件を起こしている。さらっ てきた人間を、家畜を屠るように殺害し、解体して悪魔に捧げるという事件(ま たは、その疑いの強い事件)が、毎年、とんでもない数で起こっているのだ。

 海外のキリスト教会の「エクソシスト」すなわち「悪魔祓い師」の間では、悪 魔や悪霊にとりつかれる人間の大半が、へビメタロックの愛好者や麻薬中毒者だ という事実が、なかば常識になっているくらいだ。

 これは人ごとではない。人は邪悪な現象にさえ、何度もさらされると、慣れて しまうものだ。そればかりか、かえって好ましく恩う倒錯状態さえ、ひき起こす のだから。

 ここで、かつて著者がへビメタ・ロックを愛聴するあまり、憎悪と呪詛を制御 できず、糟神に変調をきたしたときの体験を、よりくわしく懺悔をこめて伝えよ う。後学のためである。

 そこで起こったのは、精神が汚染されてゆくプロセスだった。当時、十八歳の 著者の心は、ロックを愛聴する以前から、家族や学校や社会への破裂しそうな憎 悪と憤怒、生きることへの虚無感で、まさに一面マグマのごとく煮えくり返り、 その裏側では氷河のごとく凍りついていた。

 そんな楕神状態に、ロック・ミュージックは、恐るべき効果をもたらした。は じめのうちこそ、どこかうるさいと思って聴いていた。ところが、何度も聴くう ちに、次第に心地よくなってきたのである。

 しまいにはロックを礼讃し、ロックこそ最もカッコイイ、先端の音楽シーンの 主役なのだと、心から信じてのめりこむようにさえなった。

 そのとき、たしかに著者は、へビメタのサタニズムの波動に汚染され、マイン ド・コントロール状態におちいっていた。

 心はソドムの住人と同じだった。すなわち、殺意や憎悪や呪いの心こそ、人間 の赤裸々で正直な姿であり、もっとも真実な感情だと本気で信じてしまったので ある。愛も正直も清らかさも、すべての美徳は偽善と嘘に感じられてならなかっ た。憎しみと恨みと呪い、怒りと復讐の心だけが、もっとも人間らしい嘘偽りの ない本当の姿だと、心の中で獣のようにほえ続けたのだ。

 人間は、もともと悪であると認識することが、最高に「かっこいい」まことの 善で真実だと、しんそこから思えたものだ。

 しかし、著者は過去の自分自身に告げよう。悪がどんなにカッコよく感じられ ようと、邪悪が人の本質だと思いこもうと、悪の美学にまみれたソドムが、まっ たく滅んだのは事実であると。

 邪悪のかぎりをつくしたあげく、ソドムは神ヤハウェの怒りによって、火と硫 黄の豪雨、灼熱の天然アスファルトの洪水に呑まれ、住民ごとこの世から焼きは らわれてしまった。

 当然のことである。それは天罰であるだけでなく、彼らの「悪魔の美学」が求 め呼びこんだことだからだ。

 彼らの逆転・倒錯した感覚には、神によって改心し救われることの方が「堕 落」であり「絶望」と映る。嘘と演技を、真理真実と置きかえる彼らにとって、 神の定めた世界の道理の逆を生きることこそが、正義であり真実だったのだ。し たがって、自殺・自滅は、もっとも喜ばしい生命の謳歌に等しかったろう。

 ここで、どうしても思いだすのは、ロック耽溺サタニスト少年だった当時、よ く読んだフランスの作家カミュのことだ。

 彼は『異邦人』という作品で有名な文学者である。「不条理の哲学」という、 実に不条理で不愉快な哲学を提示した。『シーシュポスの神話』という本の冒頭 に、この男はこんなことを書いている。

 『真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ』(清水徹・訳 /新潮文庫)

 これが、二−チェとはちがった意味でサタニズムに汚染された、いわゆる近代 西洋哲学というものの正体である。

 キルケゴールからはじまり、サルトル、ハイデッガーなどにいたる『実存哲 学』の正体は、学問的な気取りと、けれんで飾りたてたサタニズムそのものであ る。それが、既存のキリスト教会への絶望を背景に、余儀なく生まれざるをえな かった事情は分かる。だが、結果は悪魔の思想なのだ。

 なぜなら、実存主義の本質は「神なしで、いかに人は救いうるか」というテー マにあるからだ。神を亡きものにし、人間の力のみで間題を解決しようとするこ とが、第一のサタニズムであることは前章でふれた。

 もし、人間の力でどうにもならない事態が発生し、なお神を認めないとすれ ば、その先に待っているものは、海面下から獲物を狙うジョーズのごとき悪魔の牙である。

 日本は今、その凶暴無比にして邪知にたけた悪魔の大鮫の顎に、かみくだかれ 飲みこまれようとしている。

 何よりも、日本の若い世代を、このままサタニズムの影響下に置き続けるわけ にはいかない。サタニズムの影響を長く受け続けたものは、放置しておけば、人 の形をした悪魔になってしまうからだ。

 その意味で、十八歳だった少年の八神邦建の内面は、現代日本の少年少女たち のすさまじく荒れ狂う心と、全く同一のものだ。

 彼らはなぜ、大人の想像を絶する凶悪無惨な行動に走るのか。いうまでもな い。彼らにとって、大人の善や美徳は悪に、悪や不道徳は善に映っているから だ。心は、かぎりなく邪悪に近い。親兄弟をふくめ、他人が苦しめば苦しむほ ど、ゆがみきった喜びにひたってゆくのだ。

 彼らをそうさせたのは、戦後民主主義をはじめとする行きすぎた自由思想、マ スコミや学校、あらゆるジャンルに蔓延したサタニズムである。今の若い世代 は、右も左も、サタニズム漬けの状態で育ってきたのである。

 現代の若者たちのネガティブな心に、海外発のサタニズムは根を下ろして繁殖 した。土壊となったのは、まともな「しつけ」を受けられなかった「家庭教育」 の不備。ならびに、民主主義、受験教育、マスコミ等が、子供の自己管理能力 (秩序づけ習慣)の発達を阻害したことによる感情制御の不全。その二つを基盤 とする家族や学校、社会への出口なき憎悪と怨恨、呪誼である。憎しみや呪いの 心のあるところ、邪悪はたくみに、いつでもいくらでも卵を産みつける。

 知って欲しい。ソドムの廃墟は今、魚も住まない死海の底、塩と泥の層のはる か奥底に眠っている。この地上に、ソドムがあったという証拠は、唯一、聖書の 記述をのぞき、こんにち何ひとつ存在していない。

 いまや、世界全体(厳密には先進国の都市文明、ならびにそれに追いつこうと する発展途上国の都市文明を中心とした文明圏)が、かつてのソドムと等質の存 在に変じつつある。ソドムの運命が、今後の日本と世界の運命を暗示していない と、いったい誰が保証できよう。

第四弾(1):『汝、魂を売るなかれ』