第四弾(1):『汝、魂を売るなかれ』

★ 1・占術〜堕落した神事

 本章では、日本のサタニズム解説の趣向を変え、占いやオカルト方面から、サタニズムに接近してみたい。

 中学生や高校生には、特に遊び感覚や好奇心で占いや霊的現象を体験しようとする傾向があるが、これは非常に危険である。その大切な教訓を、私自身の体験談も交えて例証していこう。

 遊び半分で触れる世界であっても、そこは厳然としてサタニズムのジョーズが遊弋(ゆうよく)する暗黒領域の水ぎわだ。汚染されて精神障害を起こすケースは、決して珍しくない。あらためて注意を喚起すべく、説明させていただきたい。

 世情が不安定になってくると、占いがはやる。だから、現代は占いが大はやりである。巷にあふれる占術の大半、いなほとんどがインチキだということを、見破れない人間が、これほど多くいるのには閉口する。

 この事実が示すのは、精神的に満たされず、現実的な処理が困難な問題を抱えている人々が、いかに多いかということだ。比較的、良心的な占術家や霊能者の弁では、占いや霊障鑑定に訪れる人たちの八十パーセント以上は、運命的な異常や霊的な障害とは関係がないという。

 では何をしに、客が来るかというと、つまるところ人生相談に訪れるのだという。いわば、占いや霊能鑑定を窓口としたカウンセリングのようなものである。そうした、精神安定剤的なカウンセラーとしての占術師たちはともかく、占いで商売している違中には、インチキや詐欺がすこぶる多い。

 前章で記した詐欺と誘惑を本業とする「白悪魔」の類と恩ってよい。特に「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)の連中は、街角の手相見や人相見に扮装し、色々と不安にさせる縁起の悪いことをいって「それじゃ、あなたの運を好転させる、すばらしい場所に御案内しましょう。そこへ行けば、きっと幸せな人生が送れるようになります」と、話を持っていくという。

 著者の知人にも、善人が多いせいか、このテのニセ手相見にひっかかり、しつこく勧誘された人が何人かいる。もっとも、うかうかついていったケースは皆無で、その場で眉につばをして、見料三千円也をドブに捨てるつもりで支払ったという。

 ロクな手相も見ずに、宗教勧誘行為をしたあげく三千円をとるのだから、これは立派な詐欺である。

 あきれたことに、タ方から夜中にかけて、どこからともなくやってきて、銀行や商店のシャッターの前に陣取り、客を待つ手相・人相見のほとんどが、この手合いらしいのだ。

 こうした詐欺的な占術商法については、『トンデモ本の世界」の著者のひとりで、著名なサイエンス・ライター志水一夫氏の『大予言の嘘〜占いからノストラダムスまでその手口と内幕』(データハウス社)や、「天中殺」を流行させてから占術家を廃業、一転して占いの嘘と欺瞞をあばく側に回った和泉宗章氏の著作などを、読まれることをおすすめする。

 このおふたかたの本を読んで、まず納得がいったのは「占い師というものは、当たった例だけ宣伝し、はずれた例は口をぬぐってひとこともいわない」という事実を、異口同音に語っていることだ。

 つまり、マイナスをひとつも言わなければ、あとに残るのはプラスだけ。欠陥商品の欠陥を隠し、いいところだけ宣伝するという、まがい物を売りつける商売にそっくりだ。

 かくいう著者も、中学高校を通じて「姓名判断」「西洋占星術」「四柱推命」「気学推命」「算命占星学(例の《天中殺》が出てくる)」「奇門遁甲」「紫徴斗数術」「易占」「タロットカード」などを、かじりまくる占い少年だったので、こと占術に関してはロック音楽同様、懺悔をもって警告しなければならない義務を感じるのである。

 まさか、あの当時、夢中になってやっていた各種の占いが、恐るべきサタニズムの走狗、すなわち人心をまどわす道具になるとは、想像もしなかったが。

 あまり指描されないが、占いと博打(賭け事)は、よく似ている。凝ってのめりこむ者の心理といい、そこへ引きずりこむ悪しき霊的存在のやり口といい、ほとんど同一の手口を使っている。その手口については、著者の体験にもとずき詳細に後述する。

 なによりも、占いも賭博行為も、その原型をたどれば、神事(かみごと)にたどりつく。テキヤ系のヤクザ組織が、組の襲名披露を、床の間に堂々と飾った天照皇大神や神農黄帝の掛軸の前で、にぎにぎしくとりおこなうのは、決して思いつきや偶然の産物などではないのである。

 現代では形骸化してしまったが、冠婚葬察や、重大な問題に関して、古来、神前で警いやおうかがいを立てるのは当たり前のことだった。その名残りである。それでは、神事と占術と賭け事の接点はなにか。

 たとえば、博打に不可欠のサイコロ。これも元々は、古代の族長や巫現(ふげき=巫女や男性の神霊職、シャーマン全般)が、神の意志をたずねるための道具として、特別に選び出した小石などが原点だ。牧畜が盛んな地域では、家畜の骨を使ったりする。サイコロ自体、もともと骨製のものが元祖だったようである。

 定められた盤の上に、小石を転がして、その散らばり方や、ころがる音や反射する光の具合、またその場に生じた全体の雰囲気への直観などを総合し、みえざる神の意志を把握する。

 大ヒットアニメ『もののけ姫』のはじめのあたりに出てくるシーンを知っていると分かりやすい。女族長が、貴石の数個を転がして、村に起こった大事件の原因と経緯、対策法を洞察するシーンなどは、的確にその辺の事情を活写している。

 また、今日ではその名残りすら感じられないが、実は麻雀も原点は神事・神占いの儀式なのだ。四人の神官が牌(ぱい)を取り合って、そこに出来た役の形で、天意をうかがい、ものごとの吉凶・作物の出来・不出来を占ったという。

 このように、賭け事にもなるさまざまなゲームの道具は、ほとんど、占いの道具としても使われる。代表例は、今あげたサイコロやトランプ、マージャンパイなどだ。

 特殊な例としては、わが国の相撲だ。これも元々は、天皇の御前で力士が取り組みし、その勝敗によって、その年の作物の出来ぐあいを見るという朝廷犠式が原点にある。これが堕落すると、八百長試合になるわけである。

 相撲の特異な点は、サイコロやカードやパイの替わりに、人体そのものを神のメッセージのとりつく媒介=依代(よりしろ)とするところだ。そう考えると、なぜ土俵に塩をまくのか、力士のまわしに注連縄(しめなわ)と紙垂(しで・ギザギザの白い和紙の飾りのこと)がついているのがが分かる。

 神にうかがいをたてる儀式では、そこで使用する用具一式を、すべて専用のものとし、日常使用のものとは厳格に分けて扱う。

 このように、神事や儀式の場でのみ用いるように、道具を特別に取り分けて扱うことを、西洋風には「聖別(せいべつ)」という。場合によっては、用具一式と儀式の空間を塩できよめたり、キリスト教会などで祈祷をかけた「聖水」などをふりかけ、神前にさしだすにふさわしい清純なものにする。

 力士の場合は、彼らの肉体そのものが、神前で御意志をうかがうための道具として「聖別」されている。だから、まわしに神杜の注連縄と全く同じ白い和紙の紙垂が下がっているわけだ。

 土俵そのものも、常に塩で清め続ける「聖別」された空間である。場所ごと に、土俵を新調するのも、そういう意味がある。

 宮大工が寺杜だけを手がけ、決して民間の家づくりに手を染めないのも、同じ発想からきている。寺社という「聖別」された建物を造営するには、それをつくる職人も「聖別」されねばならぬという当然の摂理である。

 日本に限らず、おおかたの宗教の儀式では、この「聖別」のシステムが確立されており、崇拝対象への形式的な儀礼のひとつとなっている。聖なるものと俗なるものが、共存しうるかどうかは、ひとえにこの「聖別」が、あらゆる領域できちんと行われているかどうかにかかっている。

 神霊の影響下に属するものと、人間生活の影響下にあるものは、本来、画然と分かたれているべきだ。そこに、崩してはならない社会秩序の根本があるからだ。

★ 2・「大和」は国の基(もとい)なり

 社会の秩序ということばが出てきたので、ここで秩序の問題にふれたい。

 そもそも「社会」という言葉は、明治時代に外国語の「Social」を訳してできた言葉で、日本にもとからあった言葉ではない。(「思想」「哲学」「主義」など、学問的な熟語の多くは、明治時代に外国語を翻訳するにあたって、造語されたものである。日本はおろか、支那にも無かった言葉も多い。「科学」などは、その典型といってよい。)

 おそらくは、「神社」で「会合」するという意味を持たせたのだろうと思われる。神前でおうかがいを立て、また誓ったことを、人間の世界で実行に移すことを前提にして「社会」は始まったと、翻訳した人間は考えたのかもしれない。

 それを象徴するように、日本の大祓いの祝詞の中でも、天にそむく罪として 「天津罪(あまつつみ)」という悪徳が述べられている。その最初に「畦放ち (あはなち。あぜはなち、ではない)。溝埋め(みぞうめ)」というのがある。

 これはスサノオ神が、高天原(たかあまはら。タカマガハラではない)で水田の畦(あぜ)を崩し、水路の溝を埋めるなどして暴虐を働いた神話に由来する。その内包する意味は、田の畦や水路のように画然と世界を区分けする秩序体系の破壊は、天地に対する第一級の罪であるということだ。

 なぜなら、秩序とは神の意志の体現された現象だからである。

 自然界の生態系を見れば、一目瞭然のことだ。蛙の子は蛙であり、木に登っても、そこに魚はいるわけがなく、瓜のつるにナスビはならない。

 秩序の原点は、神と人との間の「聖別」をふくむ、根源的にして絶対的な秩序感覚だ。それから「君・臣・民」「親子・兄弟姉妹」「長幼」「男女」「主人・僕」「上司・部下」「先輩・後輩」などの人間社会の秩序が派生してきたのである。

 つまり、畦や水路とは、社会秩序そのものをたとえているのだ。大きな水田は大きな水田なりに、小さな水田もそれなりに、畦があり給排水する水路があってこそ、初めて稲が実り、ちゃんとした収穫を得ることができる。

 また、畦があるからこそ、それぞれの田の所有者や責任者がひとめでわかる し、どの田のどの収獲米が、どの人のものになるかが、誰の目にも明らかとな る。

 もし、スサノオ神がしたように、水田の畦をくずしてとっぱらい、水路をことごとく埋めてしまったら、そこはただの泥の湿原・原野となってしまう。どろどろの無秩序・混沌が渦巻くばかりである。

 なによりも、満足な収穫が何ひとつできなくなってしまう。仮に米ができて も、どの米が誰のものか分からなくなるため、醜い奪いあいが起こる。ゆきつくところは、その米の秩序だった分配によって維持してきた村落や社会の壊滅である。

 ゆえに、戦後民主主義が蛇蛾(だかつ)のごとく忌みきらってきた「身分制 度」は、決して悪でもなんでもない。むしろ、神にならい自然界を模倣してつくった先人たちの知恵の産物そのものである。

『論語』に目を通してみればわかるが、ニ千五百年以上も前、孔子の時代の中国でも、すでに本来的な意味での「身分制」の理想は崩れ、孔子たちがそれを復活させようと努力を続けていたくらいだ。

 日本人がめざすべきは、理想的な民主主義社会などではない。孔子や孟子にもできなかった全く別種の理想国家を志すことだ。

 従来の身分制や封建制の欠点を克服した上で、皇室(君)・内閣国会(臣)・国民(民)が一体となって、理想的な秩序国家をつくりあげることなのだ。

 あえていうなら、戦前の軍国主義の時代は、決して皇室と軍部、すなわち君と臣の間の秩序感覚が理想的だったとはいいがたい。形式的に、天皇より軍務大臣が拝命する形をとってはいたが、もし昭和天皇がかたくなに戦争反対を唱えられたなら、軍部がどんな無茶をやらかすか分からなかったのだ。

 大東亜戦争は、たしかに石油生命線を絶つABCD包囲網や、「このようなものをつきつけられたら、モナコ公国の国民でも銃をとって宣戦布告したであろう」と外国の法学者にいわしめた「ハル・ノート」などからもわかる通り、日本にとって、ほかにとるべき遣のない、やむをえない戦争だった。

 しかし、戦争に破れた一番の原因は「敵を知らなすぎた」ということだろう。まさか欧米帝国主義の背景に「サタニズム」があるなど、軍部で真剣に対処しようとしたものなど、ほとんどいなかったにちがいない。

 在野では、けっこう具眼の士がいて、大本の出口王仁三郎なども、熱心に海外陰謀論の恐ろしさを広めた。だが、大本徹底弾圧という事実から推して、国政までとどくことはできなかった。

 つまり、軍部という臣が、「敵」の正体を知らないまま、天皇という君を凌いで政策を動かしてしまったということが、最大の問題だったのだ。国民大衆も、四民平等、苗字を名乗ることを許されたものの、大正デモクラシーという秩序破壊の嵐に浮かれていた。

 実に、今目の日本の惨状の遠因は、この大正デモクラシーにあったといっても過言ではない。この民権運動の反動のように軍部の進出がはじまり、大敗を喫する大東亜戦争へとなだれこんでゆくのだ。

 当時の日本は、知らざる敵によって、追いつめられていた。「大きくすべてをつつみこんで、異なるものとの対立を解消し、丸く平和におさめる=大和」の精神も、臣・民ともに、見えざる敵には通用しなかった。

 あまつさえ、大艦巨砲主義に固執し、平和と四海同胞を意味する「大和」の名を、超弩級戦艦に名づけてしまう。こんにち、米国の核ミサイルに「ピース・キーパー(平和の監視者)」というのがあるが、この自己矛盾の兵器名称を、戦艦「大和」は先取りしていたのである。(もちろん、「大和」をつくった技術力は、世界一と誇るに足る。)

 日本には、古来「鬼」はいるが「悪魔」はいない。「鬼畜のふるまい」は理解できても「サタニズム」は理解できない。これは、現代でも同じだ。平均的な日本人には、悪魔主義といってもピンとこないはずだ。それが健全な日本人の証拠でもあろう・・・。

 さて、大和といえぱ、戦後世代は『宇宙戦艦ヤマト』を思いだすが、あのアニメには、ゾッとするような暗合がある。

『ヤマト』は、鹿児島沖で撃沈された戦艦大和の「船魂(ふなだま・船に宿る一種の物霊。船の精霊)」と、運命を共にした海軍兵士二千四百人のうらみが、アニメという形で復活したのではないか。筆者は、そうなかば本気で信じている。

 考えすぎかもしれない。しかし、『ヤマト』はその後、テレビアニメや劇場版において、何度も沈んでは復活している。しまいには、死んだはずの沖田艦長まで復活してしまうのだから、これは戦死した人問の亡霊そのもの。沖田十三は、うかばれずにさまよっている戦艦太和の英霊たちのシンボルとしかいいようがない。

 一般の国民は「またヤマトの復活か」と、しまいには呆れ果ててしまったが、はたして制作サイドの欲だけが、その原因であろうか。

 戦艦大和の怨念が、まだ鎮魂されていないのだと、箪者の目には映る。とにかくガミラスはじめ、ものすごい物量の敵に無茶苦茶にやられ、満身創痍となっても、なお戦い続け、最後に怨みの一発・波動砲で、敵軍を殲滅してしまう。

 まるで戦艦大和の怨念が乗りうつり、勝てなかった米軍のかわりに、異星人という敵を得て、怨みを晴らし続けるかのようだ。

 平成九年、この『ヤマト』を当初から制作指揮したウェストケープという会社が倒産した。その会杜の経営者でもあり、『ヤマト』を最初からプロデュースしていた西崎義展は、麻薬所持で逮捕されてしまうし、戦艦大和の怨みは、果たして終息したのであろうか。

 日本史上に類のない結末を迎えた大東亜戦争で死んだ者たちの怨みは、こうした形でまだまだ日本人の血脈の中に残存し、忘れたかと恩うと、地下水脈のように、どこからともなく噴出してくる。

 たとえば、マンガ家の星野之宣の大傑作『ヤマタイカ』に、海底からヤマトが復活し、沖縄の米軍基地を砲撃し、巡洋艦と原潜を撃破するシーンが登場する。拡大延長するなら、かわぐちかいじ氏のマンガ『沈黙の艦隊』もまた、その見えざる日本軍の復活を描いたものとすることができよう。

(八神注・かわぐちかいじ氏は、平成十二年八月より、太東亜戦争の渦中へ自衛隊のイージス艦がタイムスリップする『ジパング』という作品の連載を開始している。)

 この二例だけでなく、近年、ある顕著なブームが起こったことがある。SF作家の荒巻義雄さんを嚆矢(こうし)とする、いわゆるバーチャル戦記ものだ。

 あれも、日本人の意識の地下水脈があふれた一例ではなかろうか。その代表 作・『紺碧の艦隊』と周辺作品群は、昭和二十年に日本軍が敗退せずに勝利を重ねる世界だ。山本五十六や有数の参謀たちの魂をもった人間が現れたため、歴史に異変が生じ、連合艦隊が大活躍、現実には試作開発、もしくは設計図上で終わってしまった幻の超戦艦や潜水艦、巨大爆撃機を擁し、七つの海を戦い続けるというストーリーだ。

 これが、若い世代にも、非常に受けて読まれたのである。ゲーム感覚で戦争をバーチャル体験するというのが、ヒットの要因だろうが、本当にそれだけが原因だろうか?

 しかし、バーチャルゲームで人は死なないが、戦争では肉親友人知人が死ぬのである。筆者の親類の中にも、戦死者がいる。祖母の弟が、わずか二二歳にして、ガダルカナル島において戦死している。そこは、餓島と略称されたほど、飢餓と病気にさいなまれた悲惨きわまる戦場だった。「絶食、既二一週間二及ブ(既に一週間、食料を口にしていない)」という前線からの報告電が大本営に入ったのは有名な話だ。

 正直な話、武器をとって戦死した兵より、餓死・病死した兵士の方が多かったという。わが大叔父がどんな状況で死んでいったか、思うだに胸に迫るものを禁じえない……。

 なぜ、これまで長々と「秩序」について書いてきたかというと、サタニストたちは「秩序」が大きらいだから、これの破壊を熱心におこなって来たという事実をいいたいのだ。民主主義、人権思想、平等主義、近代共和制、これみな秩序破壊の道具である。こんなものを奉じていては、いつまでたっても、理想国家の建設などおぼつかない。

 北朝鮮の現在の惨状を見るがいい。「朝鮮民主主義人民共和国」は、その民主主義、人民共和のゆえに、金親子に牛耳られ、国家廃滅の危機に立たされている。

 われわれは、隣国から多くの痛ましい教訓を得なければならない。

 したがって、こんにち運動会で一位からビリまで順位差をつけることを、まったく止めてしまった学校教師に、徹底的な疑念と非難の目を向ける必要がある。

 現今の学校教師は、だいたい三つのタイプに分かれるという。三分の一は、昇進にしか関心のない「昇進組」、三分の一は退職後の年金生活だけをあてにして奉職する「年金組」、残りは、教師にデモなるしかない、教師にシカなれない、いわゆる「デモシカ組」である。

 心ある教師たちもいるにはいるが、少数派なのはいなめない。なにしろ日教組という愚民養成のための教職組織がある。はっきりいって日教組は、日本壊滅をめざすサタニスト国際権力の手先になりさがっている。

 彼らの信じている平等主義や民主主義たるや、お粗末きわまる。日の丸を挙げるの降ろすのというレベルに終始する幼稚このうえない感情論者たちである。その幼稚さが、別の職種なら、笑って「バカだね」とうそぶいていられるが、子供らに影響を与える職業となれば、話は別である。

 国家の将来にとって、彼らはきわめて重大な危険を今この瞬間にも、自覚することなく、営々と生み出し続けている。それとも、日本が滅んだら、その責任は日教組に属する教員諸君がとってくれるだろうか。まあ、無理だろう。幼稚とは、すなわち無責任ということだから。

 つい先日、グアム島で昭和四十七年に発見され、帰国した横井庄一さん(終戦時は兵長)が七三歳で亡くなられた。戦後二八年間も、終戦を知らず、グアムの密林で戦友とともに雌伏していた人物だ。

 その二年後には、ルバング島で、上官の命令を守って、三十年近くも潜伏していた小野田寛郎さん(終戦時は少尉)が、やはり帰国している。

 この最後の日本兵とでもいうべき二人のうち一人が、亡くなった。横井さん は、一九七二年に帰国したとき、こんな心境を吐露している。

「なにがなんだから分からない。みなさんが、アメリカ人に見える」

 終戦当時の目を持っていた横井さんが見た昭和四十七年の日本人は、すでにして「亜性米人」の姿をそなえていたのだ。それも、今から二十五年前の話である。

 もし、今この時代に、第三の最後の日本兵が現れたなら、彼はなんというだろうか。小野田少尉も、帰国第一声で「わたしは、今日まで戦い続けてきたのです」と述べたものの、その後、多くは語らなかった。

 しかし、彼にとって戦後日本の変容は耐えがたかったのだろう。数年のうち に、やっと帰ってきた母国日本を捨て、南米にわたって農場を営んでいる。その気持ちは分かるような気がする。南米などに渡って苦労した日系移民の老人たちの方が、すっかり変貌してしまった本国人よりも、より純粋に「戦前・戦中の日本」を残しているからだ。

 横井さんや小野田さんは、生きて帰ってきたけれど、亡くなった二百万の兵士たちの魂も、われわれを見ているかと思うと、恥じ入るほかはない。

 戦後生まれの日本人が、どれほど民主主義や人権を受け入れ、邪悪な潮流に溺れてしまおうと、先の大戦で亡くなった英霊たちの怨念は、決してそれを認めはしないだろう。

 もはや、いいわけは一切通用しないのだ。サタニズムにここまで骨がらみで毒された日本を、国のために散った兵たちの霊は、絶対に許してはくれまい。

第四弾(2):『汝、魂を売るなかれ』(続)