第四弾(2):『汝、魂を売るなかれ』(続)

★ 3・ギャンブルと悪霊の危険な因縁

 話が亡霊や怨念に戻ったところで、占いと賭け事と神事の因縁に関する本格的 な説明に移ろう。

 これから解説することは、洗練された邪悪たるニューエイジ・ムーブメントな ど、氾濫する(堕落した)オカルティズムの実態と対処法を説明する上で、どう しても避けては通れない情報だ。

 幽霊ぎらい、オカルトぎらい、あるいはそれらを白眼視する方々も、どうか少 しの間、がまんしてお読みいただきたい。

 神事や占いについては、霊的な現象や見えない世界からの干渉や影響があると いうのは、読者のみなさんも理解がしやすいだろう。

 それが賭け事という、およそ神秘主義やオカルトとは無縁な現象と、どんな関 係があるというのか。

 大いに関係しているのである。神・占・賭の三つの現象は、次元と質の差はあ るにしろ、すべて霊的な世界の影響下にある。まさかと思われるだろうが、本当 のことである。

 たとえば、賭け事の世界でも「ツキ」というのがある。日常的にも「ツイて る」とか「ツイてない」とか表現するあれである。

 カタカナで書くから気づかないが、本当は「憑き」と書く。「ツイてる」とは 「憑いてる」なのだ。

 つまり、運がよくて調子がいいときは、自分のカだけでなく、何か神や霊の類 が自分や身のまわりに「憑依」して助けてくれている。そのことを、経験的に知 っている先人たちが残した表現なのである。

 神事ならば、神霊などの高級な存在が、神官や巫女に憑いて託宣を述べる。占 いでは、占い師のレベルによって、高級から低級までさまざな霊が「憑いて」、 未来を告げる。

 ただし、よほどの高貴な人格を持ち、なおかつ相当な修行を積んだ徳の高い霊 能者でもなければ、懸かってくる霊のほとんどは、低級霊である。どんな神の名 を名乗ろうと、過去の偉人の名を告げようと、偽りでありインチキ霊のたぐいと 見てよい。ましてや、何十冊もの霊言本を出版し、新宗教の団体をつくるに至っ ては、本気にする方がよっぽど愚かである。

 賭け事では、これはもうギャンブルを使って人を堕落させようという魔性の霊 や動物霊、よくても生前に賭け事が好きで、なおかつそれが原因で死んでしまっ た人間の不成仏霊などが、憑依するわけである。

 死んで無縁仏になってしまったようなバクチ者が、霊となって、賭博の場所に はたむろし、飛び回っている。これは何も鉄火場だけの話ではなく、カジノ、競 馬・競輪・競艇場、麻雀荘、パチンコ店、ゲームセンター、果てはドンブリにサ イコロふたつを転がす飯場でのチンチロリンに至るまで、およそ賭博性のある場 所ならば、どこでもそうだと思って頂いてよい。博打でスッたあげく、自殺した 人間たちの恨み辛み、怨念が渦巻く場でもあるのだ。

 マンガ家の永井豪さんが、ラスベガスヘ行ったときのこと。彼が空港に降りた とたん、その街の邪気・怨念のものすごさに、ひどく気持ちが悪くなり、ほうほ うのていで離れたそうである。空港から離陸するまで、博打で殺された人間たち のすさまじい邪気がたちこめ、ホテルから出るのも辛かったという。

 こうした場所にたむろする霊たちが起こす霊現象が、正しく清く明るいもので あるはずがない。かてて加えて、彼らは、そこに集散する人間たちに憑依して自 分も楽しむというわけである。

 よくいわれる話だが、博打を打つものは、後ろに人が立ったりするのを非常に いやがる。普通に考えれば「イカサマがばれないようにしてるんだろう」となる が、パチンコや麻雀でも、同様のジンクスがあったりするので、ただのイカサマ 保全策だとも思えない。麻雀などでも、「ツキ」が、雀卓を囲む四人の間で、あ っちこっち移動するという、めまぐるしい現象があることは、麻雀好きならつと になじみがあるはず。

 今までツキまくっていたのが、後ろを人が通りかかったり立ったり、ささいな きっかけてで、たちまち転落、どツボにはまるといったことが起きる。

 つまり、うしろに「ツキ」を左右する霊が立ち、夢中になって札を張っている 人間に、ささやきかけるわけである。むろんそれは言葉でゴショゴショいうので はなく、ある種の直感や勘として、意識の波長がぴったり合った瞬間、脳裏にす っとヒラメキをさしこむ。

 だから、そういった二人三脚の作業をしている最中に、他の人間が立ったり、 通りすぎたりして「邪魔」をすると、せっかくの指南役が離れざるをえなくな り、「指導」が中断する。再び相互の波長が合うまで、かなりの時間がかかる仕 儀にあいなる。

 あたかも人形浄瑠璃よろしく、生きた人間が霊に左右されているとも知らず、 丁だ半だ、カブだブタだと目を血走らせているのだ。

 要するに一時的な憑依現象にみまわれながら、熱気と殺気にあふれたギャンブ ルが展開されているのである。

「悪銭、身につかず」と昔からいうが、決して高級ではない霊の「憑き」の助け を借りた金が、身銭になるはずもない。もうけた金は、彼のものであって彼のも のではない。よけいなお世話ともいうべき「憑き」を与えてくれた霊も、その金 を使おうとするからだ。

 霊にそそのかされたとも知らず、本人もなんとなく、どうでもいいようなこと に金を使いたくなる。「それじや、パーッといってみようか」とばかりに、あっ という間に使いきってしまう。だから、アブク銭というわけである。

 おっと、アブク銭で思い出したぞ。もうひとつ大事なスーパー・ギャンブルの 存在を忘れていた。

「株取引」である。株式投機で、ジョージ・ソロスだのリーマンブラザース、ク ーン・ローブなど、ユダヤ系列の投資家が、世界経済、特にアジア経済をひっち やかめっちゃかに、かき回して好き放題やっているのは、読者もよく知る通りの こと。

 先物取引など、もろ賭博といっていいコンピューターじかけのギャンブル世界 だ。「みんなで、お金を出し合って、いい会社つくって社会に貢献しようよ」と いう、この世で初めて「株式会社」を創った人々の理念など、そこにはひとかけ らもない。

 賭博性のある所ならどこにでも、それにふさわしい魔物や悪霊、不成仏霊・怨 霊のたぐいが渦巻くと、すでに記した。株の世界も例外ではありえない。どんな にハイテクを投入しようと、どんなにマスコミを席巻して世界に影響を与えよう と、ギャンブルはギャンブルだ。

 したがって、ハイテク・ギャンブルたる株式取引でもうけた莫大な金を使うの はだれか。またその使い道は、どうなのか。「悪銭、身につかず」は鉄則中の鉄 則だから、どうしようもなくロクでもないことに使っていることは、今さらいう までもない。前号に記した「アーク・インターナショナル」は、その氷山の一角 にすぎない。

 連中は聞く耳を持たないだろうが、言うだけはいっておこう。悪銭はしょせん 悪銭。いずれ何もかもチャラになって、壮大なアブクであったことを、彼ら自身 が思い知ることになるだろう。

 こうして、株の世界も、オカルト・サタニズムとちゃんと結びついている。

 今の世界を決定づける重大な要素の中で、サタニズムと無縁な分野は、ほとん ど無いといってよい。それらが、今このときにも、世界の命運に重大で致命的な 影響を与え続けているのだ。

★ 4・憑依現象の罠

 神につかえ、その神霊の導きを受ける神事が、神託の手段であった占いととも に堕落をくりかえし、今日の賭け事になったことは説明した。

 今度はギャンブルから、占いへとさかのぼり、本格的な非難の目を向けるるこ とにしよう。

 サイコロや小石をころがすアニミズムやシャーマニズム系の占いは、まだ害が 少ない。問題は、「コックリさん」やカード系の占いだ。これはズバリ、悪霊や 動物霊の憑依による精神異常を起こしやすい。

「コックリさん」を知らない人はいないだろう。五十音と数字、「はい・いい え」などを、まわりと真ん中に書いた解答用の紙を用意し、その中央に鳥居を描 く。そして、そこに呼びだした霊がよりつく依代として十円玉を置く。あとは、 巫女や神官ならぬ普通の児童生徒が二人ないし三人で人さし指の先を、十円玉の 上に触れさせ、「コックリさん、おいで下さい」などと唱えて質問を開始する。 類似のものには「キューピッドさん」や「エンゼルさん」「守護霊さん」などが あるが、いずれも同じものを言い換えたにすぎない。

 だいたい「コックリ」とは「狐狗狸」と書くくらいで、「キツネ・イヌ・タヌ キ」のことだ。子供の興味半分の霊術ごっこに呼ばれて出てくるのが、高級神霊 であるはずもない。名付けた通り、キツネやイヌやタヌキなどの獣霊、もしくは それに等しい低劣な霊が、子供たちを脅かし驚かせてやろうと、意地悪い魂胆で やってくる。

 と、今は偉そうにコックリ批判をしているが、かくいう筆者も中学二年のとき に、この霊術あそびのせいで、大変に怖い経験をしている。昭和四十八年ごろ、 コックリさんが大はやりだったが、ちょうどそのあたりの話である。その日、筆 者はたまたま、休み時間に、無人の教室にいた。天気がよかったので、クラスメ ートたちは外へ出払っていた。

 そこで、何を考えたか(何も考えていなかったのだと思う)、机の中から、は やっていたコックリさんの解答用の紙をひっばりだし、十円玉を鳥居に置いて、 一人で質問をおっぱじめたのである。

 これがどんなに危険なことか、霊的な問題について無知かつ幼稚な中学生だっ た当時は知るよしもない。二人ないし三人でやらねばならぬところを、一人でや ったということは、憑依の危険をぜんぶ一人の身に受けることを意味する。

 この手の霊術あそびを、二人以上でやるというのは、万が一、厄介な事態にな ったときも、複数の人間によって危険を分散させるという、それなりの意味があ ったのだ。

 あろうことか、ただでさえ非常に危険な状況なのに、無知ゆえの大胆さで、物 故したある大物宗教家の霊を呼び出そうとさえした。コックリふぜいにかかるよ うな人物では、もちろんないのだが、中坊(中学坊主)のやることである、本気 で十円玉にその霊の解答を乗り移らせようと試みた。

 すると罰があたったものかどうか、十円玉が動かなくなった。異様にぶきみな 雰囲気が、あたりに漂いはじめる。きもち悪くなって「お帰り下さい」と頼みこ むが、まるで動かない。

 もしかすると、ひどくまずい事になったのではないかと直感した。

 取り憑かれた!と思った瞬間、ものすごいことが起こった。腹の底から、いて もたってもいられない恐怖が、真っ黒な雷雲となってわき上がってくる。完全な パニックに支配されたのだ。

 一気に深海の底に沈んだかのような非現実感とともに、全身から血の気がざー っと引いてゆく。心臓の鼓動が極端に早まると同時に、体が冷たく乾いていくの がわかった。

 ただちに、視覚と聴覚に異常が発生した。ちょうどそのとき、授業の開始のベ ルとともに、クラスメートが次々とやってきて、がやがや騒ぎはじめていた。

 たとえようもない恐怖とともに、ぎゆ−っと視野の周辺がせばまり、暗くなっ ていった。強度の視野狭窄が起こっていた。耳から入る音声が、異様に遠く、く ぐもって聞こえる。ちょうどプールにもぐって、水中から地上の音を聞いている 感じにそっくりだ。

 パニックに襲われて、心身喪失に近い状態で見た周囲の世界からは、もはや親 近感もなじみ深さも失われていた。異質の感受性にすりかわってしまったらし い。すべてが存在としての立体感を失い、まるでモノクロ写真を呆然とながめて いるようだった。教室の机も、椅子も鞄入れのボックスも、クラスメートたち も、目に入るすべてが色を失い、二次元的なスクリーン上のように、縁遠く手の 届かない感覚に襲われたのだ。

 それは、まさに真昼の悪夢だった。自分だけ異質の世界に放りこまれた、とん でもない孤独と絶望感にさいなまれた。意識は陰気のきわまった全く別の次元に 属していたのである。憑依現象とは、こういうまるで異質の意識状態におちいる ことなのだ。

 そのときの筆者の感じた心理状況に酷似する雰囲気を持っているビデオが実在 する。『ゼイラム』という特撮SFホラービデオだ。けっこう人気が出て、パー ト2もつくられている。

 その中で、雨宮慶太なる不気味なキャラデザインの得意なイメージ・メーカー が造形した、異星の人型殺戮兵器と、それを迎えうつために作られた無人の人工 空間の暗さが、実にあのときの猛烈な恐怖を、まざまざと思い起こさせるのだ。 興味のある方は、『ゼイラム」を試みに見ていただきたい。

 特にファンというわけではないが、憑依体験を持つ者として、筆者は雨官慶太 氏の身を案じている。映画『エイリアン』の異星人モンスターを造形したギーガ ー氏に対しても同じだが、まずい霊的世界と因縁を形成していなければよいが、 と思ってしまうのだ。

 ちなみに、このコックリさん、日本古来のものと思いきや、さにあらず。なん と明治十七年に、欧米から入ってきたものなのだ。一説には、伊豆下田で、難破 したアメリカ人の船員の伝えたものが原点だという。(こう見ると、外国から入 ってくる霊術には、ロクなものがないようだ)

 ヨーロッパ生まれの「テーブル・ターニング」や「プランセット盤」という、 霊がかりの自動書記に用いる道具がもとになっている。いわば輸入されたもの を、日本風にアレンジして広まったというわけだ。

 さて、そんなこととは露知らず、コックリ遊びがこうじてポゼストされてしま った八神邦建少年は、いったいどうやって、そこからまともな世界へ帰還したの だろうか。

 忙しい方もいるだろうから、結論からまずいおう。

 太陽〜あの空に輝くお日さまの光に救われたのである。二〜三時間、戸外で直 射日光を浴びることにより、憑依が解けたのだ。

 要するに、次のような経過をたどって治ったわけである。

 パニック状態のまま、ふらふらしながら次の授業のために教室を移動した。技 術家庭の時間で、木工室で本立てをつくり、ラッカーを塗って最終仕上げをする 段階に入っていた。

 シンナーなどを使うため、教師の指導で教室からベランダヘ出て、塗り方をは じめる。外はうららかに日が照り、快晴だった。技術の時間割は、二時限連続だ ったので、そのまま休み時間も遊ばず、日光を浴びながら塗り続けた。

 そうして、本立ての塗装が終わるころには、パニックは去り、なじんだ世界が 戻ってきていた。

 そのときは、何が理由で憑依が解けたのかわからなかった。しかし、十年以上 も後に、霊的なことにくわしいある人物に、「悪霊のたぐいは、日光や外気がき らいなので、戸外で散歩する習慣をつけるとよい」と教わり納得した。日本神話 的にいうなら、天照大御神の御力は、実に偉大である。

 つまり、日光浴や森林浴、アウトドア活動は健康によいだけでなく、霊的にも 悪しき力からの予防・治癒効果があるということなのだ。古神道系の悪霊ばらい の行法にも、「アマテラスオオミカミ」を、何百回も連呼しながら、憑かれた者 のまわりをぐるぐる回るというものがある。実在の太陽のみならず、太陽のイメ ージを心に描くだけでも、サタニズムのカを駆逐してしまうらしい。

 アマテラスオオミカミについては、女神か男神かという論争があるようだが、 こと対悪魔、対悪霊に関していえば、どっちでもいいのである。要は「燃え輝く まばゆい白光の太陽」のイメージが大切なのだ。

 ただし、野外で日光を浴びるのがいいからといって、何ヵ月も戸外でテント生 活するような極端さに走ると、今度は意識が野生動物に近くなり、野蛮化(野 卑・粗暴な性格が発現)してしまうから、気をつけねばならない。日光を浴びさ えすれば元の人格までよくなるというわけではないので、その点、悪しからず。

 サタニストや悪霊は、暗いところ、または不潔なところ、屋内でこもっている ような状況が、いちばん好きだという事実を、覚えておいて欲しい。吸血鬼と同 じく、陽光がきらいで、人工の照明を好む。ゴキブリやドブネズミの習性を持っ ているといえば分かりやすいだろう。ドラキュラが陽光を浴びると灰になるとい うたとえは、端的に「太陽嫌いの悪魔の習性」を表現しているのだ。

 人工照明といえば、ディスコや風俗産業に、過度にいりびたっていると、人格 がネズミやゴキブリ、あるいは悪霊に接近してくるので、ギャンブル同様、遊び はほどほどにしておいた方がよろしい。

 そこで気になることがある。

 最近の大学からは、登山部や山岳部が、次々に消えているという。山の素晴ら しさを堪能するのは、オジサン・オバサンばかりとか。若い人たちは、もう山登 りになど興味を示さない。もっぱら室内でパソコンゲームにうち興じる方が多数 派となっている。

 いわゆる「オタク文化」と呼ばれるものは、すべてこの傾向を帯びている。ま た新宗教やオカルトにはまることも、もちろん含まれる。これらを総合して考え ると、霊的にものすごく危険な状況が、日本の若年世代を席巻している。ロリコ ン犯罪など、そのほんの一部分でしかないのだ。

 このまま、若い世代が親になったとしても、その悪しき霊的因縁は、子孫にま で悪影響をおよぼす。現に、セックスして子供は生んだものの、母親になれない 若い女性が増えており、昔は「孤児院」と呼んだ養護施設に、そういった女性た ちの子供らが多数あずけられているというのだ。

 若くして子持ちになるのは致し方ないとしても、母親となって子育てをする能 力がないというのは、もはや生き物としての機能まで壊れていることを意味す る。これが「学級崩壊」にもつながる戦後教育のひとつの結果なのだ。

 父親がどんなにグウタラで酒乱で、ほかに女をつくって家をあけるようなロク でなしでも、母親がしっかりしていれば、子供はなんとかまともに育つ。しか し、母親がどうしようもない場合は、子供もどうしようもなくなる場合が実に多 い。今の若い世代に「将来、ちゃんとした母親になること」を期待できる女子 が、いいにくいが一体どれだけのパーセンテージで存在するだろうか。

 そればかりではない。食品汚染等の問題もあわせて考えれば、凶暴なキレる子 供たちだけでなく、生気が薄く虚弱な子供たちや、心身に障害をもった子らが激 増することは目に見えている。このまま手をこまねいていては、一家断絶、ひい ては国家や民族の存亡にかかわる。

 一億総白痴化どころか、総無力(病人)化、総奴隷化の進行である。日本国に とって、未曾有の危機といってよい。サタニスト国家アメリカの国民の多くは、 すでにサタニズムの奴隷と化し、荒廃いちぢるしいものがある。

 とにかく、とりつく側にしてみれば、現代日本ほど憑依しやすい、精神異常を 起こすのにうってつけの環境もない。まったく悪霊天国とでもいうべき状況が生 まれているのである。「小人、閑居して不善をなす」というのは、そういうこと だ。英語のことわざにも、「怠けものには、悪魔が仕事を探してくれる」という のがある。

 日本全国で頻発する二十代前半の無職男たちによる犯罪は、そういう観点で見 ると、きわめて好ましくない現象が深刻化していることを証する。プータロウの みなさん、どうか自分の心に御注意あれ。

第五弾:『いまわしき邪霊のシャッフル』