第五弾:『いまわしき邪霊のシャッフル』

★ 1・タロットが招く恐怖と狂気

 コックリ遊びの危険については、ひと通り終わったので、次はカード系の占い をまな板の上に載せる。

 最も危険なので、もしやっている人がいたら、すぐにやめるよう警告したいの は、タロット・カードである。はまると悪魔憑きや、精神異常を起こすほど、す さまじい邪気を放っているからだ。

 タロットは占いカードの体裁をとっているが、実はユダヤ密教カバラの暗黒面 を、集大成した黒魔術の書の側面がある。このタロットについても、ひどい目に あった経験があるので、それを例にして、その危険性を指摘したい。

 ロック音楽と同様、精神的に不安定な人間がやると、恐ろしい悪の効果を発揮 する占いである。十代のころの私だけでなく、知人にも数年前、タロットにはま った女子高生がいて、かなりきわどい精神状況におちいったことがある。

 タロットカード占いは、やりはじめるとまず情緒不安定になってくる。タロッ トカード自体が持っているサタニズムの邪気がかまけ、人格に異常な影響力を与 えるのだ。ついで自意識過剰の状態が続き、やがては被害妄想や精神分裂状態に いたる。(もちろん個人差はあって、ぜんぜん平気な人もいるが、霊的に敏感な 体質であればあるほど被害は大きくなる)。

 これは筆者自身が、タロットカードを自分で製作するほど、のめりこんで経験 したことだ。やりすぎると、オーバーでなく精神科送りになるところまで行く。

 知人の女子高生も、タロットをやりはじめ、あまりに当たるので夢中になり、 次第に家族も首をかしげるほどエキセントリックになっていったという。ささい なことにも神経質になり、ヒステリックな反応を示すので、兄でさえ怖がるよう になった。

 オカルトに汚染された者が示す、典型的な強度の自意識過剰状態である。その 兄から相談を受けたのだが、かなり悪い状態だったようだ。

 タロットをやっている妹の部屋のすみに、「もやもやした、何か気持ちのわる い黒いもの」がうずくまっているのが見えたりするという。ペットを飼わない家 なので、動物のたぐいではありえない。タロットの邪気が、魔性妖魅の類をこの 世に呼び出してしまったのだ。

 筆者はすぐに、タロット占いを中止させ、部屋の四隅に半紙に自然塩を盛り塩 したものを置くように指導し、ことなきを得たということがあった。それ以後、 彼女はタロットから離れ、普通の女子大生になっている。

 ここで、彼女がタロットにのめりこんだ理由「あまりにも、よく当たるので」 というのがクセモノである。「当たる」のは、魔性妖魅のたぐいが、見えない世 界からの情報を与えるからだ。ドブネズミやゴキブリが、床下や天井裏をかけま わるように、彼らは常にいやらしい情報収集活動をおこたらない。

 また随時、透明なスパイとなって、公私を間わない人間生活をのぞいているの で、悪魔たちもたいていのことなら知っている。「わたしの好きなあの人は、わ たしをどう息っているかしら?」などという、他愛ない恋占いの答えなど、「あ の人」の私生活をのぞきにいって見れば、難なくわかることだ。

 そうしたのぞき情報をエサに、タロットの魔性の波動に巻き込んでゆくのだ。 「白悪魔」の手口のひとつである。この手口は、イカサマ博打とそっくりだ。胴 元は、はじめに客にどんどん勝たせて、いい気にさせる。ある時点から一気に負 けこむようにし、客の方はとりかえそうと張る額がどんどん大きくなってゆく。 最後には、身ぐるみはがされ、莫大な借金のせいで、家屋敷女房子供が人手に渡 るということになる。

 占いも同じである。はじめに「よく当たる」というエサをちらつかせ、いい気 にさせて、やがて全然当たらないようにする。「おかしい、さっきまでよく当た っていたのに」と、何度もくりかえしているうちに、すっかり精神を侵食されて いるというわけだ。

 冒頭に、博打にはまるものと占いに夢中になるものの心理は同じ、誘う手口は 同じといったのは、そういうことなのである。これはタロットだけでなく、「当 たるも八卦、当たらぬの八卦」の筮竹を使った易占いも、固様である。タロット を西洋の悪魔派とすると、易占いは東洋の悪魔派である。

 もちろん、孔子がまとめたとされる『易経』そのものは、素晴らしい東洋哲学 の粋なのだが、それを占いレベルに落とすと、とたんによろしくない現象が起こ る。もともと『易経』は『論語』などの儒教文書とセットで読むように書かれて いる徳のテキストだ。それを『易経』だけ取り出して論ずるのはインチキであ る。

 そもそも易は、王が政治をどうおこなったらいいか、神意を問うための特別な 神託用の技術だった。それこそ一般庶民から厳格に「聖別」されていた「帝王 学」なのである。天下国家を一身で統冶する王者や君子が天意をうかがうために のみ使うものだ。今日の易者ふぜいがやるような占術は、本来あってはならない 邪道である。

 ここにも、神事が博打や占いに堕落した好例が見られる。タロットも易も、質 はちがうが、どちらも何度かくりかえすと、必ずある種の「邪気」がかまけてく るので、すぐにわかる。『易経』にも、「山水蒙」の卦に「同じ質問で三回占う と、けがれが生じる」と書いてある。

 けがれというと神秘的だが、だます側からすれば、巧妙なイカサマの介入にほ かならない。当たったとしても、それはインチキ手品と同じで、真正の神霊とは 関係がない。そうして人心をまどわし、狂わせていくのである。

 占いによく「邪気」がかまける証拠には、タロットや易のみならず、職業的な 占い師には病弱だったり、精神的に問題があるケースが、けっこう多いのだ。

★ 2・『感謝の心』が悪魔を祓う

 こうしたサタニズムや魔性・妖魅のたぐいの「邪気」が接近したときには、自 覚できる諾症状がある。人によって、発現する症状は違うと思うが、だいたい次 のような初期の変化がある。情緒不安定や自意識過剰状態になるのは、この初期 の変化のひとつ、あるいは複数が継続してからのことである

1.心身に原因不明の恐怖や冷気・うすら寒さを感じて眠れなくなる。この際の 恐怖は、とろ火であぶられるような、または、底無しの断崖の縁を歩いていて、 今にも墜落しそうな、耐えがたいものがある。

 これが継続すると、夜は不眠、昼に寝るといった不規則・不健全な生活になっ てくる。この、原因不明のとろ火であぶられるような恐怖の感覚は、サタニズム に対する一種の魂の防御反応らしく、ほかにない特有のものだ。合理的な説明を いっさい受けつけない種類の情動である。

(これは応用編だが、もしあなたがだれかに会う予定があるとき、またどこかへ 行く約束をもったとき、その前にいやな予感や、こうした不合理な恐怖や脅えを 感じたら、まず十中八九は、その相手や場所、あるいは関係者がサタニズムの波 動に汚染されていると見てよい。

 また新旧を問わない宗教系の本やビデオを見て、わけのわからない恐怖感覚に 襲われた場合も、全く同じことがいえるので、警戒はすれども深入りせずの態度 を取った方が無難である。あとでサタニズムの犠牲になるのがイヤなら、不合理 でも恐怖の感覚を信じることである。

 筆者も性格改遣セミナーの関係者に最初に会うとき、やはりどうしようもなく 不合理で深刻な恐怖に襲われ苦しんだものである。

 もし、それをサタニズムへの神の警告だと分かっていたら、おそらくその後の 愚行は犯さずにすんだだろう。悔やまれる一件である)

2.わけもなく、はげしいいらだちを感じる。自分で自分をかきむしりたくなる ほどの、耐えがたいいらだちである。このイライラは、ほとんど暴力的なもの だ。そのいらだちを解消するハケ口として、他人に暴力をふるったり、物をこわ したり傷つけたりしたくなる。

 つまり、「キレル」などの粗暴さが発現し助長される。犯罪者が、よく犯行の 動機として「ムシャクシャしてやった」というのは、こういうことなのだ。

3.憎悪や憤怒が、異常に増幅され、コントロールが困難になる。殺意・呪詛と いった過激な方向には、まず「邪気」が関与している。

4.過度のセックスやオナニー、人によっては大酒が日常化する。または性的な 好みが変質的な方向へと移行する。

 では、このような自覚症状のうち、いずれかに見舞われたら、どうするか。対 処法はいくつかある。まず腹式呼吸をすること。鼻から息を吸い、口から吐くと いう呼吸を続ける。そうして心を落ちつかせる。

 そんな余裕はない、という方は、『般若心経』を暗唱するか、読む。霊的な防 御策として『般若心経』は必須アイテムである。悪夢に襲われたときでも、眠り ながら『般若心経』を唱えれば、悪夢のたぐいはたいてい去ってゆく。

 仏教はきらいだ。という方は、神道の祝詞を、暗唱するか読みあげる。『大祓 いの祝詞』がベストだが、長すぎるので、普通の天津祝詞でもよい。特に大祓い の祝詞のもつ浄化力には、すさまじいものがある。

 もちろん、形だけ読んでもしょうがないが、本気で心をこめて祝りあげれば、 さばえなすウンカのごとき魔物の大群が、台風にあったように、けちらされると いうことが本当に起こるのだ。

 できれば、『般若心経』と祝詞をセットで覚えるといい。なぜなら一個の人間 は、肉体の血統としての祖先・先祖の系譜と、魂・霊魂としての神霊系統の流れ と、ふたつの要素からなっているからだ。血統に起因する魔物の因縁、いわゆる 先祖の因縁というやつだ)には『般若心経』、神霊系統の因縁、前世の悪行や、 神々やその代理をなす人たちへの罪によって生じた事故・障害・事件等)には 『祝詞』が効果的だ。

 たいていは、個人のカルマは、この二種類から成っている。新宗教の連中が、 勧誘のとっかかりとして狙う「貧・病・争」には、必ずこの二種類の因縁がから んでいる。しかも、それらは複雑に混在しているため、悪霊の祓いには『般若心 経』だけでも『祝詞』だけでも、足りないことがままある。ゆえに、『般若心 経』をまず唱えてから『祝詞』を読み上げるのが最もよい。

 仏教も神道もイヤ、という人は、新約聖書の福音書(マタイ伝、マルコ伝、ル カ伝、ヨハネ伝、いずれでもよい)にあるキリストの言葉を、手当たり次第に何 度も音読する。これは欧米のエクソシストがやる方法だ。

 また、中国の道教系統の祓い言葉もあるにはあるが、毒をもって毒を制すとい ったある種の癖があるので、あまりお勧めできない。

 ここまでいっても、宗教的な特別なことは、何ひとつしたくないし、めんどう 臭いという人もいるだろう。それでは、筆者がこれで乗り越えた、とっておきの 普通人にもできる悪霊撃退法を教えよう。

 とっても簡単。『感謝の心』を持つことだ。

 謙虚と感謝の心を持つ者に、邪気はいつまでもかまけてはいられないものなの だ。無理やりでも、偽善だウソッぱちだと疑いながらでもいい、とにかく「自分 はひとりで生きているのではない。生かされているのだ」ということを、何度も 何度も自分に言い聞かせることだ。

 神や宇宙や地球、家族、友人たちに「わたしは生かされている」と、必死で念 じ続けることだ。邪気にやられるとほうもない恐怖の中でこそ、こうした祈りが 大切なのだ。そうすれば、邪気はその念の強さと継続時間に応じて、必ず離れ去 る。

「自分はひとりではない。より大きな存在と、より多くの人々によって、生かさ れてここにある」と、必死で一時間か二時間、念じてみよう。そのうち不眠の恐 怖やいらだちは去り、いつしか心地よい安眠に変わっているはずである。

 なぜ、この「生かされている」という認識と念が、サタニズムの波動を退ける のか。その答えもまた、しごく簡単である。感謝の心、へりくだった心は、その まま真正の神の心につながるからだ。「生かされている」と念じ、祈ったとき、 より大きな存在からの目に見えない光とカが、もたらされるのである。

 もし、この最後の悪霊撃退法『感謝の心』を笑うものがいるとするなら、その 人は、まだまだサタニズムの恐ろしさ、悪しき霊的な世界からの攻撃のものすご さをご存じないのだ。

 ギリギリの極限状況のもと、身も世もない恐怖と不安にうちのめされたあげ く、神仏に必死に祈ったことのある人なら、これ以上、多くの説明は要するま い。

 一心不乱に、自分を越えるより太きな存在、天でも神でも仏でも、ヤハウェで もアッラ−でも、造物主、宇宙意識でもなんでもよい。その人なりの、いちばん 祈りやすい神的存在)にすがりつくことだ。

 呼び名や宗教にこだわるようでは、ほんとの極限状況ではない。「神にすがる なんて」などと、理屈をこねていられる場合ではない。サタニズムの邪気は、神 的存在に対して頭を低くし、感謝とともに祈ることで、最も効果的に祓える。

 祈りというと、清純、敬虔、静謐なイメージがあるが、それがそもそものまち がい。

 本当の祈りは、必死で熱血で、なりふりかまわぬ真剣勝負だ。一念をこらし て、おのが精神を目に見えない存在にかけるという、やむにやまれぬ行為であ る。

 決死の祈りは、人を救う。どんな恐怖の中にあっても、無我夢中で「生かされ ています」と祈ることができれば、あなたはサタニズムからいつでも抜け出せる のだ。

★ 3・タロットが誇る邪神の誓い

 タロットについての話は、まだ終わっていない。とにかく、タロット・カード にはまったあげく、一時的に精神異常状態になった筆者としては、その恐ろしさ をいくら強調してもしたりない。

 何しろ、その当時(十八歳)の精神状態を列挙すれば、精神分裂病・被害妄 想・自閉症・離人症・突発性恐怖障害、錯乱等の合併症状を呈していたのだ。ち ょうど浪人時代で親元を離れていたからよかったものの、同居していたら病院行 きだったはずである。

 むろん、タロット・カードのみならず、他の占いやへビメタ・ロック、虚無主 義への耽溺、家族と世界への憎悪などが、揮然一体となっていた時期のことだ。

 それぞれのサタニズム的な要素が、相乗効果を及ぼし、とんでもない病理を形 成したのは確かだ。生きることへの悲嘆と絶望と噴怒、自分より恵まれたものた ちへの嫉妬、羨望、そして憎悪。これらが解消されないまま、思春期のエネルギ ーに結びつくと、若者は簡単に精神に変調をきたす。

 とりわけ、「憎しみ」は精神異常の根本的な原因である。敵意、殺意、呪詛、 破壊欲、サディズムなど、これらの根底にあるのは、おしなべて「憎悪」であ る。さらに、憎悪からくる凶悪な様相をはぎ取るなら、その奥底にあるのは、深 く痛ましい「悲しみ」だ。

 悪魔主義者たちをつき動かすのは、神への「憎悪」である。彼らは、決して認 めはしないだろうが、その奥の奥にあるのは、神に受け入れられなかった「悲し み」だ。神に受け入れられないのが、自分たちのせいだと気づかない所が、邪悪 の根源的な愚かさというものである。彼らの本質は、神が悪い、世界が悪い、社 会が悪いと、泣きわめきながら駄々をこねる子供と同じなのだ。

 なぜ筆者が、こんなことを述べるかといえば、筆者自身が、サタニズムに汚染 されていた十代末期、この世界と自分をあらしめる神を激しく憎み、恨み呪った からである。神はいまわしい敵であり、無慈悲にして冷酷、助けを求めても手を さしのべない存在に思えてならなかった。

 それから一年後、新約聖書のキリストの言葉に心をゆさぶられたとき、サタニ ズムの修羅場と地獄の波にさらわれ溺れていた筆者は悟った。神に対して憎んで 呪い、毒づいていたさまざまなことがら〜いまわしい冷酷な敵、無慈悲にして助 けを求めても手をさしのべない悪しき存在。高慢で偽書的な大所高所からしかも のを言わない権威者〜それは、そっくりそのまま自分自身の姿だったのだ。

 蛇足でいうなら、SF作家の光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』、マンガ家 の永井豪さんの『魔王ダンテ』に出てくるキリスト観や神観が、太きな影を落と したことも確かで一ある。神を悪魔に、悪魔を神にしてしまう倒錯が、それらの 作品の影響によって、少年の心の中でおこなわれてしまったのだ。

 とにかく、八神邦建はそれまで、おのが幸せのことしか思わず、世のため人の ためなど、考えたこともない少年だった。エゴイスティックでうぬぼれ屋で、独 善家で傲慢、被害者意識だけが肥大した自己の醜悪な姿を、そのとき初めて自覚 したのである。

 そして、そこまで狂った原因が、家族や世界に対する深刻な憎悪であること も、はっきりと認識するに至った。ユダヤ・エリートたちに憑依し、世界を征服 せんとしている悪魔の正体も、大方そのあたりにあると見てよい。

 いずれ、彼らは「私たちが悪かった。神よ、私たちが愚かでした」と、かつて の筆者のように、心の底から悔いて泣き叫ぶときがくる。それは決して遠い未来 ではない。今は最後の悪あがきをしている真っ最中なのだ。

 彼らユダヤ・エリート、一般のユダヤ人と、まるでかけはなれたスーパー・パ ワー・工リートたちは、悪魔の意志を奉じている。その具体的な内容が、タロッ ト・カードにはこめられているのだ。

 それは、あまりにも凶悪で邪知に満ちている。素人がタロットに手を出し、邪 気に汚染されて精神に変調をきたしても不思議ではない。

 タロット・カードは、まず占いに中心的に用いられる「大アルカナ(アルカナ =秘儀の意)二二枚と、それを捕助する小アルカナ五六枚、あわせて七八枚から なる。「大」の方は、一枚一枚に象徴的な人物や事象などが名づけられている。 それは、「0∴愚者」(∴の記号は西洋魔術系統でよく使われるサタニスト的な 印なので、覚えておかれたい。ここでは等号がわりにわざと使ってみた)のカー ドからはじまり、「21∴世界」のカードで終わる。

 「小」の方は、「剣」「棍棒」「金貨」「聖杯」という四つのスートに、それ ぞれ十六枚ずつ分かれている。これが、後にトランプの「スペード」「クラブ」 「ダイヤ」「ハート」になったと言われている。

 それでは、大アルカナ二二枚を意味が通るように並ベ、その象徴するところの 意味を解題しよう。

 筆者が読み解く、本邦初、だれも思いつかなかった恐るべきサタニストのメッ セージが、そこにはこめられている。

〔大アルカナによるタロット・メッセージ〕

「われらは、われらの意に服さない人類(0∴愚者)を排除するべく狂わせ、地 上のあまたの宗教的、政治的権威(2∴女教皇・3∴女帝・4∴皇帝・5∴教 皇・11∴権力または剛毅)を膝下におさめて支配する。また、色情淫欲(6∴ 恋人)や偶像崇拝(1∴魔術師)、偽りの哲学(9∴隠者)をあおり流布する。 また世をまどわして戦乱(7∴戦車)を絶え間なくおこなわせる。

 われらは、人類の運命を掌握し、その道筋を決定する主人である。われらの企 図した通りに世界の歴史は動かされなければならない(10∴運命の輪)。究極 的には、われらに従わない異教徒や異民族を、われらが裁き(8∴正義・20∴ 審判)によって滅ぼし、世界を完全に管理支配する(21∴世界)。

 われらの企てをはばむ者ども、逆らう敵どもは、迫害と弾圧を加え、みせしめ もかねて容赦なく処刑するべきである(12∴吊るし人・13∴死または死 神)。われらは、決して焦ってはならない。世界を支配する企ては、着実さと年 月を要する。あざむくために善を演じたり、さまざまな欺瞞を、必要に応じて働 かせることも必要だ(14∴節制)。

 こうしてわれらは、異民族・異教徒のつくりあげた様々な文化・伝統・歴史・ 民族性を、われらの放つサタニズムの毒によって、瓦解させる(15∴悪魔・1 6∴塔)以上の企てによって、われらの力とその支配は、世界と人類に対して、 はじめは星(17∴星)の光のように、やがては月(18∴月)の光のようにな り、最後には太陽(19∴太陽)の輝きとなって、あまねく地上を覆いつくすで あろう」

 異教徒・異民族を「愚者」に置くと、こんな風に読み取れるのだ。「小アルカ ナ」もまた、各スートごとにいやらしい邪悪な意味あいがある。「剣」=あらゆ る戦争と流血、犯罪、「棍棒」=家庭から国家経営にいたるまでの、すべての暴 力と不和、「金貨」=金銭崇拝・経済優先・唯物主義、「聖杯」=飲酒・麻薬・ 吸血・頽廃的な諸習慣・あやまった宗教・神秘主義など。

「大アルカナ」を具体的に、より詳細に補助するために「小アルカナ」がある。 ということは、いま解読した「大アルカナのサタニスト・メッセージ」を実現す る具体的な手段を、この四つの「小アルカナ」スートは示唆していることにな る。

 事実、近現代史の世界的な動きは、すべてこの四つの小アルカアンで象徴され るで激変・悪化を遂げているではないか。

 さて、ユダヤ密教のカバラで使う「生命の樹」という神秘図形がある。その図 を見れば、へブライ文字から転嫁されたタロット一三枚の象徴が、不可欠のもの となっているのがお分かり頂けるはずだ。

 タロット大アルカナの一枚一枚は、ユダヤ・へブライ文字のアルファベット二 二文字(図の円と円を結ぶ径路と呼ばれる部分にあるアレフ、ベト、ギメル…… シンまでがそうだ)にまぎれもなく対応している。

 ということは、今あげたばかりの「大アルカナの悪魔のメッセージ」は、すで にへブライ二二文字にも、現されていることになりはしないだろうか。もちろ ん、文字そのものに呪いがあるというのではない。悪魔の呪詛を実行するとき の、ひとつのキイ・ワードとして「生命の樹(セフィロト)」とへブライ二二文 字を、記号やサイン替わりに用いているのだ。

 おそらく、この世で「生命の樹」の真の意味と奥義をきわめているのは、ユダ ヤ・エリートの中でも、ごくごくひと握りの存在にちがいない。タロットが黒魔 術の集大成といったのは、こういう意味である。

 このカバラの奥義のこもった神秘図形「生命の樹」を多用し、最後まで重要な アイテムとして画面に出し続け、あまつさえ精神異常的な世界観をそこに収束さ せてしまったアニメがある。

 いうまでもない。『新世紀エヴァンゲリオン』である。したがって、筆者は 『エヴァンゲリオン』を、日本初の大がかりなサタニズム・アニメーションであ ると断言するのにやぶさかでない。

「エヴァンゲリオン」というタイトルそのものが、新約聖書の「福音書」を意味 するギリシャ語だから、欧米のキリスト教徒なら、まず卒倒するようなネーミン グである。サタニズム・アニメというのが言いすぎなら、アンチ・キリスト・ア ニメと言ってもよい。どちらも、似たようなものではあるが。

 こうしたサタニズム、反キリスト派のアニメが出現し、若い世代に大ウケした という事実は、この日本がほとんどどうしようもない現状にたち至っていること を意味する。とはいうものの、まっとうな大半の若者たちは、サタニズムと知ら ずとも、何か異常なものを感じて、このアニメからどんどん離れ去っているか ら、希望がないわけではない。

 まっとうな人は、やはり異常なものを拒否するという、まっとうな反応を示す のだ。もちろん、拒否どころか礼賛し続けるファンもいるだろうが、筆者はそう いう人とはお近づきになりたくない。

 実際、そういう人物とかかわって、非常に不愉快で気持ちが悪い迷惑をこおむ っているからだ。

 おもしろいことに、このサタニズム・アニメに、一時期もっとも夢中になって いたのは、オウム真理教(現・アレフ)の信者残党組であるという。パソコン・ ネットのホームページでは、『エヴァンゲリオン』に関するコミケ状態だとい う。

 もっともなことではある。麻原が失われても、新たなサタニズムの場が見つか ったというわけだ。ちっとも改心していない彼らの実態が、この一事からもよく 分かる。まだまだ、オウムはサタニズムを、それとは知らずに愛しているし、危 険である。警戒を要する。

(八神・注*先にも記したように「アレフ」とはへブライ語、すなわちイスラエ ルの言葉で、アルファベットの最初の文字だ。文字の象徴する物は「牛」。英語 などヨーロッパ各国語なら「A」、ギリシャ文字なら「α」。だが、なぜこの期 におよんでへブライ語なのだろうか)

『エヴァンゲリオン』については、まだ見ていない人もいるだろうから、ひとこ とだけコメントさせて頂こう。

 見るなとはいいません。が、このアニメは見ているうちに、きわめて不愉快に なり、気色が悪くなることがあります。波長が合うと、精神の健康を害する恐れ があり、潜在している、はた迷惑なビョーキが発現したりします。

 また、このアニメにぞっこんで、ほとんどマニア化・信者化している人たちを見かけたら、念のため避けて通った方が賢明だと考えます。バランス感覚を破壊された失調人間の実例を、あえて身をもって経験したいというのであれば、また話は別でありますが。

第六弾(1):『狂信人間たちの宴』