第六弾(1):『狂信人間たちの宴』

★ 1・文通するオカルト「戦士」たち

 一九八九年に、徳島県で女子中学生三人による奇妙で危険な事件があった。解熱剤を服用して死の寸前まで意識をもってゆき、自分たちの過去世と信じた「王女」の姿と、前世記憶をのぞこうとしたのだ。

 結果は、意識を失って三人とも病院へ運びこまれた。マスコミは、これを「自 殺ごっこ」と評した。もちろん「王女の前世」が見えたはずもない。彼女たちが そもそも、そんな前世幻想にひきよせられたのは、愛読していた少女マンガの影 響らしい。

 厳密には「自殺」しようとしたのではなく、死の寸前という一種のトランス状 態をつくりだせば、そこに前世が見えるのではないかと思ったのだ。

 この「前世が今の自分とはちがう、もっと立派でみばえのする身分、立場だっ た」と幻想するのが、いわゆる「戦士症候群」というもののひとつの例である。

 筆者自身が、これに類する誇大妄想狂にふりまわされた経験があるので、彼ら の心理は性格改造セミナー受講者と同じくらいよく知っている。

 戦士症候群とは、自分には実は特殊な使命があり、そのために選ばれて転生し てきたと、信じることにある。

 その論拠として、何か確たる資質や才能などがあれば、それはまたそれで理由 となりそうなものだが、残念なことに「戦士」を夢想する人々の大半は、普通以 上の才能を持ち合わせてはいない。むしろ、人一倍、持っているのは、自分や自 分の家族・家庭に対する劣等感や喪失感である。

 現実的な根拠もなく「今の自分より、前世の自分はすばらしかったのだ。昔は えらかった」と信じこむのが、「戦士症候群」の病状だと思っていただければよ い。

 しかし、彼らがそう思うのには、彼らなりの根拠がある。もちろん、それは普 通の人たちから見れば、まったくお話にならない、幻想や妄想などを理由とした ものである。ただ、彼らが、それらを幻想や妄想とは思わず、何か霊的な意味の ある重大メッセージだと本気で信じこんでいる点に大きな間題があるのだ。

 では、「戦士症候群」をご存じない方のために、具体的に例をあげて説明しよ う。昭和末年ごろまで、『ムー』や『トワイライトゾーン』などのオカルト系雑 誌の読者コーナーで、文通希望欄に、こんな類の募集の手紙文が、毎月のように 氾濫した。手元に所蔵しているものから、特徴的なものをランダムにとりあげて みよう。

『初陣をすませた戦士の方、戦士候捕生の方、ぜひともレターを」(19歳・女 性)

『よく不思議な夢を見ます。その中の石田明。石田明は私であり、彼である。も うひとりの石田明さん、連絡を下さい。私と同じような夢体験のある方も』(19 歳・女性)

『前世のとき、ギリシャやムーにいたと恩う方、私に何か感じる方、前世が光の 民でレフナーダという魂だった方、タカシ、ユキヒロの魂だったと思う方は連絡 ください』(性別・年齢不明)

『セロシア、シュカイ、ラウザ、セイ、リュウに聞き覚えのある方、ムー大陸、 ラー神、最終戦争の戦士の方、光と闇の戦いを知っている方々、女神の転生を信 じる方などお手紙ください。こちらは、セロシア、セイ、女神です。なるべく急 いで連絡ください』(15歳・女性)

『同志を探しています。紫、桃、黄、紅、緑等に心当たりのある方、あるいは自 分に関係があるのではと思われる方、連絡ください」(15歳・女性)

『私は11月20日生まれの蛾座です。数々の霊的な体験をしています。幻秀鬼、赤 いべ−ル、謎の戦闘部隊N‐3、アルベールに心当たりのある方は連絡くださ い』(25歳・男性)

『イーザ兄さん、ルーザ兄さん、僕です!グリドウ・グフォンです。どこにいる んですかっ。だれかごぞんじの方、ご連絡を」(性別不明・イラストより推測す るに、たぶん十代なかばぐらい)

 これらがあまりに、頻繁に現れるので、『ムー』の編集部では、この種の文通 希望の手紙を、八八年後半から掲載しないよう決定したほどだ。このような手紙 を投稿し、余人にはまったく理解不能な名前や関係を列挙し「心当たりのある 方」をさがすという、一種、関係妄想的な仮想世界を現実のものと錯覚するの が、「戦士症候群」の典型的なパターンである。

 これらの「戦士症候群」のパターンの形成にあずかって力があったのは、日渡 早紀(ひわたりさき)の少女マンガ『ぼくの地球を守って』と平井和正の大河小 説『幻魔大戦』である。(両方とも、筆者・八神もよく読んでいた。作者はもち ろん、まっとうな読者にとっても、きわめて不本意なのだが、予期せぬ傾向にな ってしまったのは残念である)

 国籍・語源不明なカタカナ人名の列挙と「心当たりのある方」さがしは、『ぼ くの地球を守って』の内容から来ているし、光と闇の戦い、世界最終戦争(ハル マゲドン)、天使、戦士などの言葉は、『幻魔大戦』の壮大な物語に必須な概念 として描かれている。

 もちろん、日渡、平井両作者が、このような「戦士症候群」の発生を企図した わけでは毛頭ない。彼らも、『ムー』の編集部など及びもつかないほど、「戦士 症候群」の読者の言動に、相当な迷惑を感じているのである。

 両人とも、作中やあとがき、エッセイなどで、「戦士」さがしごっこや、宗 教・カルトごっこはしないようにと、異例の警告を与えている。作者が、自作を 読んだ読者に「現実とフィクションを混同しちやいけませんよ」と、わざわざ注 意しなければならないという、作者泣かせの事態が続いたのだ。

「戦士症候群」は、現代における思春期のハシカのようなものと見ることもでき る。が、あのオウム真理教の潜在的な土壌となったことも確かである。麻原彰晃 は、「戦士症候群」にかかりやすい若者たちを集め、人気のあるさまざな宗教、 小説、マンガ、アニメの持つオリジナルな内容をたくみに盗用し、洗脳して無差 別殺人をおこなわしめた。

 私も作家だからよくわかるが、汗水たらして書いた本の内容が、盗まれて悪用 されることほど、忌まわしいことはない。

 腹立たしいことには、「戦士症候群」にかかっている読者に限って「自分こそ 正しくこの作品を理解し、作者の意志を呈する読者だ。この著者によって啓発さ れ、使命を与えられ、自覚めることができた」と信じこんでしまうものである。

 作家としてはっきりいうが、そんなに簡単にわかったつもりになったり、目覚 めたつもりになってもらっては困るのだ。もし、本当に作家の意志と作品を理解 するなら、まず一個人としての作家の気持ちが、わからなければならないはず だ。

 ところが、作家はどんな作品をどんな風に書こうと、本質的に孤独ときてい る。部分的にはともかく、全体としての作者の気持ちは、作者本人しかわからな いものである。

 とにかく、あのオウム事件のような惨劇が、二度とおこなわれないためにも、 筆者はここで、「戦士症候群」の徹底的な解剖を、自らの体験から抽出したデー タをもとに、おこなう必要を感じるのだ。

 かつて筆者は、これまで述べたサタニズムの現象の数々=ロック音楽、タロッ トはじめ占術各種、性格改造セミナーに加え、GLAという新宗教の会員だった ことがある。したがって、「戦士症候群」については、「新宗教」やあぶないカ ルトの信者と境目がないことを知っている。

「戦士症候群」を知ることは、新宗教・カルトの信者やその予備軍の心理を知る ことなのだ。これらの思春期のハシカとしての「戦士症候群」は、一世代前な ら、「学生運動・左翼活動」として発現したものだった。

 私も、遅ればせながら、マルキシズムがサタニズムの巨大な柱の一本だと知ら ず、大学時分、学生運動に足をつっこんだことがある。その頃は、左翼系サーク ルに所属し、永田町界隈をデモ隊のひとりとして、シュプレヒコールを上げ、機 動隊とぶつかっていた。

 そのあげく、三里塚に空港反対闘争の応援にかけつけたり、横須賀でミッドウ ェー寄港の際、チャーターした漁船に乗り組み、鋼鉄の巨大な山じみた空母ミッ ドウェーに向かって、横須賀湾上、寄港反対の声を上げたりもした。

 少なくとも学生運動レベル、市民運動レベルでの左翼活動のあらましは知って いる。私が経験した限りでは、学生左翼や市民運動の本質は、「青くさい」「お 粗末」「レベルの低い独善」「センスが悪い」の四つの様態に、集約される。

(もうひとつつけ加えるなら、左翼的な市民運勤に熟心な女性には、なぜか色気 や魅力がなく、ぱさぱさした感じの人が多かった。女性を枯れ草のようにしてし まう運動に、強い不信感と違和感を覚えた記憶がある)

 それもそのはず。いわゆる左翼・マルクス主義というのも元々はユダヤ・エリ ートが、マルクスとレーニンを保護し助成して生み出させたものだからだ。マル キシズムは二−チェイズム、ダーウィニズム、フロイト学派とならぶ、サタニズ ムの四本柱のひとつなのだ。

 そうした左翼活動のかたわら、キリスト教系新宗教『エホバの証人』と二年余 に渡って関わりを持ち、毎週のように聖書の勉強をしたことがある。もっとも、 正式な信者になる直前、輸血拒否がどうしても納得できなくて、それっきりにな ってしまったが。おかげで、聖書に関していい勉強になりました(笑)。

 現代の思春期のハシカは、オカルティック、宗教的という点で、実にサタニズ ムの影響をダイレクトに受けやすい。その意味で、ハシカですまずに、危篤状態 や死にいたる深刻な局面がすこぶる多くなった。

 たとえば、オウム真理教の連中がおこなった殺戮と、あさま山荘事件はじめ、 内ゲバ殺人や爆弾テロをくりかえした日本赤軍の行為と、どこがちがうだろう。 ゆきつくところは全く同じ、一般人をまきこんだ無差別テロという悪行なのであ る。

 筆者が何をいわんとしているか、お分かりだろう。新宗教やカルトの類も、立 派なサタニズムの潮流のひとつなのである。こと、ここに及んで、極右極左のテ ロリズムに加え、 「極狂信」から来るテロをつけ加えねばなるまい。

 というわけで、新宗教の盲信者の姿も重ねながら、以下の「戦士症候群」の詳 細をお読みいただきたい。くりかえすが、宗教的組織の信者の狂信妄信は、「戦 士症候群」と、ほとんど境目がない現象だからである。

★2・選ばれしものたちの馬脚

 それでは、ずばり解剖した結果を、ごらんにいれよう。

《「戦士症候群」の特徴とその見分け方》

1.自分(あるいは想定する真の自分)を、特殊な使命と絆を持った戦士や天使 になぞらえる。これには、いくつかバリエーションがあって、戦士や天使のほ か、救世主、聖母、預言者(または、歴史的有名人の生まれ変わり)などの霊的 な指導者や救済者、選ばれた「カ」のある存在というのが最も多い。

 場合によっては、マンガや小説、アニメなどから刺激を受け、自己の使命や目 的、人間関係の構図をひっばってくる。つまり、それらフィクションの中にある ヒーローやヒロインの言動や立場を、自分が現実世界において再現せねぱならぬ と信じ、模倣する行動を起こす。

 代表的なのは、異なる惑星を転生してきた戦士や指導者の魂で、霊的に普通の 地球人より進化していると主張するケース。または、次のような思いこみ。すな わち、さまざまな輪廻の経験を経て、自分はこの地球上で重大な使命がある。そ のため、一刻も早く、魂の眠りから覚醒しなければならないと焦っている。

 だから、文通相手の募集の文でも「早く連絡ください」と、同じく転生してき たはずの「仲間・同志」を、焦って探すことになる。しかし、その心理の根底に あるのは「本当の自分は、特別な存在意義と特殊な能力を持ち、重大な使命を帯 びて生まれてきた」という認識だ。むろん、それには数字やデータ化できる現実 的な裏付けがまったく欠如している。虚構の確信である。

2.自分は本当は、すばらしい本質を持ったえらい存在である。今の自分はこん な境遇にあるが、それは何かのまちがいであると感じている。または、余人には マネできない使命のための試練だと思っている。つまり、「今のわたしは、ホン トのわたしじゃない。何かのまちがいよ」と信じている。現状の自分はやむなく 甘んじている存在であって、「ホントのわたし」は何十倍も何百倍もすごい人な のだと思っている。それを世間では「いいわけ」というのだが、彼らの脳裏にそ の語彙は存在しない。

3.それと関連して、「戦士症候群」の若者は、身の程知らずな願望を抱き、そ れを実践しうるという、現実的にまるで根拠のない確信をもっている。自覚でき ない極度の思いあがりと無知が、結果先行、過程削除でものごとを夢見るのであ る。

 たとえば、アマチュアであるにもかかわらず、自分にはすでに、十分にプロと 互角、あるいはそれ以上のカがあるというような、不可解な確信を持っていたり する。プロの登竜門さえくぐっていないものが、プロに向かって説教したりもす る。こんな目も当てられない恥知らずな態度を、あたかも正当な権利を行使する かのように、得々と見せつけたりす る。

 もっと分かりやすくいうなら、ここに芸能人を夢見る素人のことを思い浮かべ てほしい。この素人は、いささか空想癖がすぎて、観念、頭が先行する傾向が強 い。芸能人になるためには、歌や踊りや演技のレッスンが必要なのだが、なぜか スタジオや学校や養成所に通うこともしない。

 かわりに、ひがな一日、自分がスターダムにのしあがった日のために、サイン の書き方だけを、ひたすら練習している。この素人が、果して、芸能人になる夢 を実現できる日は来るだろうか?

 夢や希望を実現するには、現実的な努力の積み重ねが必妻だ。それなしで、い ったいどうやって、理想や夢や願望を形にできるだろう。おおむね「戦士症侯 群」の人たちは、ある日突然に約束の神、救世主、同志が現れて、自分を人類救 済の戦士として召命してくれることを待ちわびている。

 これでは、幼児がひとり遊びで見る空想や白昼夢と、何のちがいもない。空想 的、観念的、頭でっかちの自意識過剰が、病的な領域に及んでいるとしかいいよ うがないのだ。

4.自分には、直感やテレパシー能力、超常現象を感知する優れた霊能力がある と信じている。当然のごとく、他人の過去世や来世、あるいは魂の真の姿を見抜 く能力もあり、それも優れているという気持ちが強い。

 また、そのような特別な選ばれたカの鋭さを、他人に示し伝えたがる。この種 の「霊的洞察力」を誇示する人間はたくさんいるが、人の心身の痛みを和らげて 癒す「治癒力」を確信するパターンはほとんどない。それも当たり前で、治癒力 には現実に「治癒」できたか否かという、目に見える結果が現れてしまうから だ。ここに彼らの限界がある。

5.既存の権威や価値観を侮蔑しののしり、あるいは無視軽視するが、その反 面、自分こそ真の覚醒者であり、世界を改革してゆくものだと確信している。要 するに古い権威を否定し、自分が新しい権威になりかわることを求めている。こ れが、彼らの正体を物語る。古いか新しいかの違いだけで、本質は旧態依然とし た権威主義者なのである。

6.宗教関係者のことばや、オカルト分野の著書などの受け売りがうまかったり するが、創造性は無いか、あっても大したことはない。態度としては、偉そうな 立派なことを言いたがる。カッコ悪いことは決して言わない。

 高貴でぬきんでた指導力を持つ人間であることを示したがる。聖人や救済者や 王侯貴族的な自分を見せかけたがる。それは客観的にいって「演じて」いるのだ が、本人は本気である。他人の目には、根拠のない優越感や気位の高さだと映る が、本人にはその自覚は全くないのが特徴。

7.現実的な結果を、成果として形にしなくてすむ分野のためか、霊的な存在と 交信したり、そのメッセージを受けたりすることを好む。いわば「巫女」や「高 級霊媒」になることを切望している。(ただし、ふつうの霊媒ではイタコみたい なのでだめ。既存の霊媒と一線を画し、ずっと優れていることを示すため、あく までも高級霊媒でなければならない)

 すなわち、「神霊」「天使」「偉大な過去の人物の霊」「地球人よりずっと進 化した宇宙人の意識やそのメッセージ」などが、自分に降りてきて、無知で愚か な人々を啓発すべく、ご託宣を垂れるという構図を欲している。

 現在の人間を越える高度な存在から選ばれ、そのメッセージを仲立ちするほど 偉いということを、認めさせたいのだ。

 この例でわかる通り、彼らが求めているのは「既存のものと一線を画す存在と 見られること」「従来の類型や価値観を越える、とびぬけた存在とみなされるこ と」に重点があるのだ。

(※霊媒行為についてひとこと。実際のところ、高級霊媒や巫女といっても、仲 立ちは仲立ちに過ぎない。神さまの側から見れば、乱暴なたとえだが、わりと性 能のいいファックスやパソコンやモデムみたいなものである。重宝だけど、故障 したらいくらでも取り替えがきくのだ。

 チャネラーだ巫女だといばっている違中は、たかが生体モデムの分際で、送信 主と同格だと主張する愚行を犯している。それに、チャネラーに対する送信主が 真正の神霊であることは、まずめったにない。99パーセントは悪霊や低級霊、不 成仏霊、動物霊のたぐいである。

 たとえば、ダリル・アンカというアメリカのチャネラーが言いだした「異星人 バシャール」のメッセージを受ける日本人・関アヤコの顔写真を目にするたび、 筆者はどうしても、やかましいスピッッ犬を思い浮かべてしまう。「幸福の科 学」の信者女優・小川知子もそうだ。犬霊が患いているとかいうつもりはない が、本当にスピッツに見えるのだから、どうしようもない。

 ついでにいうなら、チャネリングしている最中のチャネラーたちの顔というの は、どうして一様に下品な乞食坊主や、きたならしい浮浪者じみたふんいきを漂 わせているんでしょうか。少なくとも、ただニヤニヤしているだけで、美しさや 高責さを感じさせるものがないというのは、まずもって怪しすぎる。

 また、下品な顔つきでは、クロード・ボリロン・ラエルという、フリー・セッ クスで有名な宇宙人宗教ラエリアン・ムーブメントのヒゲ教祖もそうだ。ちなみ にこの男は、人類はエロヒム<これは旧約聖書に出てくる神のへブライ語での呼 称である。なんで宇宙人が、古代へブライの名前をもっているんだ>という宇宙 人が、遺伝子操作でつくったものだと主張している。

 これは、たとえばスーパー・コンピューターを、集積回路のチップや部品の製 作から組み立てに至るまで、電力も機械力もまったく使わず、すべて人力と人手 だけで作りましたというのと同じくらい、オツムのこわれた人間の発想である。

 だいいち、恒星間飛行ができるほどのテクノロジーを持っている宇宙人が、遺 伝子操作などという遅れた生命技術を使うなど、考えられない。かりに、宇宙人 が人類を生んだとしても、遺伝子操作なんか、とっくの昔に卒業していて、もっ とものすごい生命科学を駆使したはずだ。

 その上、創造とは、無から有を生むということだ。すでにあったものに手を加 える作業は、創造とは呼ばない。ことほどさように、海外でも新宗教やオカルテ ィズムの連中はいかれていらっしゃるのである)

8.自分なりのメッセージや霊的な託宣まがいの「詩」や「小説」「エッセイ」 「イラスト・マンガ」などをわりと長期間に渡って書いてためこんでいる。  中には、コピー本の小冊子にして、新宗教の機関紙とコミック・マーケットの 同人誌があわさったようなものを、独自に発行するパターンもある。だが、いず れも鑑賞にたえる内容ではない。門外不出の最奥義・選ばれたメンバーのみが知 りうる大真理だと、往々にして発行人たちは信じているが。

9.霊的メッセージ好きなので、それらの通信(と本気で思いこんだ妄想や空想 の産物)や、自分が知った真理真実(と本気で思いこんでいることがら)を人に 伝えようとする。そして、それを共有し理解してくれる「同志」「仲間」を真剣 に欲する。

 前述した文通相手を求める手紙でも、「○○にお心当たりのある方、XXに何 かを感じた方」というフレーズが多かったが、これは「同じ使命をもって転生し てきた仲間なら、きっと何かを感じて違絡をくれるはずだ」という観測に基づい ている。すなわち「何か感じる」ことで、送り手のカタカナ人名や、奇異な発音 などの「合言葉」に応じたことになるのだ。

 これらのペンパル募集に応じる、奇矯な同類もいるにはいるが、たいていは期 待はずれ。真の同志となりえないパターンがほとんどのようだ。それも当然であ る。ありもしない者、いもしない相手をいると信じこんでいるだけなのだから。 本当に「心当たりのある、感じることのできた」人間がいたら、そっちの方こそ 恐ろしいではないか。

 だいいち、そうやって「同志」や「仲間」ができたとしても、うまくいくケー スは皆無だ。なぜなら、文通相手を求めた人間の本音は、自分がリーダーで中心 的な役割を演じようとすることにあるからだ。

 文通のはじめは、友情や同志的な結東の幻想にひたれるかもしれない。だが、 そんなものは付け焼き刃なので、すぐに決裂し、目も当てられないことになる。 文通の場で知り合うまで、同じ釜の飯を食ったこともなく、ともに修羅場をくぐ ったわけでもない相手と、「同志」にすぐになりえるわけもない。

 すると、彼らは反論する。前世ではともに苦労したから、現世ですぐに仲良く なれるはずだと。冗談じゃない。人間が輪廻転生するたびに、赤ン坊からやり直 すように、この世の人間関係もまた、一からやりなおすようにできているのだ。

 前世でどんな戦友や同志であったとしても、「何か感じる、心当たりがある」 程度の感覚では、とうていやり直しをはしょって、一気に「同志よ、過去世のあ のときを思い出してくれたか」とはいかない。それに、もし本当の前世の戦友や 親友だったら、本人がどう思おうと、しかるべき時に、しかるべき形で出会うは ずなのだ。わざわざ「心当たり」を求めて探すようなことではない。

 その上、彼らは文通相手を欲しがりながら、主役はあくまでも自分でなければ 気がすまない。そんなあざといエゴを隠しもった幼稚な人間が、なぜ「魂の仲 間」を得られるだろうか。何の苦労もなしに、先験的に「同志」や「仲間」や 「親友」ができると思うな。そんなに安易に素晴らしい人間関係ができるほど、 この世は甘くないのだ、と筆者は彼らにいってあげたい。

10.本質的には、人から崇められたり、ほめたたえられることを、常に求めてい る。根底に、劣等感があるため、それを埋めてくれる立場や役割を渇望し続けて いる。自分を崇めたり、讃えたりしてくれそうな材料を、心から欲しがっている のだ。

 ゆえに彼らは、人に教え説教する立場に身を置きたがる。何の基礎も経験もな い癖に、教え好きの説教好きなのだ。たとえば、筆者が遭遇した女子大生の典型 的なケースでは、卒業後の第一志望を「カウンセラー」「コンサルタント」とい ってのけたりした。それも、いずれそうなりたいとか、経験を積んだ上でそうし たいとかの堅実な志望ではない。卒業してすぐ、即座にという意味での第一志望 である。

 このように、自分の経験や実力はそっちのけにして、とにかく「人にものを教 え、相談に乗ってあげる」という立場が欲しいのである。したがって、人の耳目 を集め、偉大な人間、立派な人物として自己を顕示する題材を、霊的な現象に対 しても求める。これが誇大妄想や戦士症候群に移行してゆく。

 たとえば誇大妄想狂は、立派な人物や偉い存在と、人にはまねできない特別な 関係にあると恩いこむ。こういう風に、自分と他人とを、特別な関係にあると決 めつけ、勝手に思いこむことを、「関係妄想」という。最近、跳梁(ちょうりょ う)している「ストーカー」は、これに悪魔的なサディズムが加わったものであ る。

「関係妄想」のもっとも軽微なものは、ふつうの人でもごく一般的に体験してい るはずだ。電車や町中で、異性の視線を感じたように思い、意識されたように錯 覚するというのがそれだ。

 事実はどうかわからないのに、「あの人とは、さっきからなんだか視線があ う。もしかしたら自分に気があるにちがいない」といった類の心理である。これ が重症になると「わたくし、実は○○天皇の御落胤の子孫で、XX国では国賓待 遇でしたのよ。ホホホ」といった具合になる。

 この「関係妄想」が、霊的な分野の存在にまで、拡張されたのが「戦士症候 群」のひとつの典型である。戦士症候群の若者は、有名な神霊や過去の偉大な宗 教者や霊能者、歴史的人物の霊、それらの高級霊がいる霊界と格別な関係にある と思いこむのだ。

 彼らが信じこむ自己の過去世が、偉大なヒーローだったり、歴史的な王や女王 (王子や姫君)、戦士・騎士、宗教者、芸術家、富貴な階層だったりするのは、 自分の劣等感を補償したい心理のなせるわざだ。過去世が立派だったと信じこむ ことで、現実の自分や、とりまく状況の貧相さを直視する事態を、無意識に回避 している。

11.彼らが、自分に霊や神的な存在がメッセージを送ってきたと思いこむときの 構図は、おおむね以下の通り。まず、偉い神霊や過去の大人物の霊、天使や善霊 のたぐいが、夢枕に立ったり、偶然とは思えない偶然の一致などによって、自分 向けに特別な通信を送ってきたと感じる所からはじまる。

 すなわち、テレパシイや霊感に訴える形で、特に自分を選び、霊的通信を送っ てきたのだと信じて疑わない。夢や白昼夢に出てきた存在、あるいは自覚せざる 幻想や妄想が生んだ幻影を、本物の霊的メッセンジャーであると、誤解してしま うのだ。

 これが、普通の関係妄想なら、幻滅したり失望したり、人から後ろ指をさされ て終わりだが、「戦士症候群」は、普通の人間の五感に映る対象ではないところ がやっかいなのだ。

 国の内外を問わず、壁にできた亀裂やシミや、板の木目、石の模様の形など が、キリストやマリアの姿に見える、お地蔵さまに見える、竜神に見えるという 話もそうだ。

 あげくの果てには、そのコンクリート壁のひび割れや、板や柱の木目、右ころ の前に祭壇をしつらえ、ローソクだのお香だのお膳だのを整えはじめる。そうこ うしているうちに、あるかないか分からない御利益の噂をききつけて、参拝者が やってくる。

 彼らは御神酒や花を、単なるひび割れや木目や石に捧げ、その場はしだいに新 宗教の観を呈してくる。たいてい、ここまでくると持ち主が、賽銭箱までちゃっ かり用意していたりするのである。

 そういう思いこみの強い人間の誤解錯覚の現象はひきもきらない。

 いわゆる聖母マリアの霊が出現するとかいう現象も、これと同じ類と思っても らってよい。オカルト雑誌によくのっている内外の、「私はキリストとまみえメ ッセージを受けた」「マリアさまが空中に立って御告げを下された」「竜神が霊 視に浮かび託宣をたれた」とかの記事は、何かを見たというのが事実であって も、まず99パーセントが「偉い存在と関係を持ちたい」という願望が生んだ錯覚 や勘違いである。

 何か霊的な存在が夢枕に立ったり、白昼夢や幻として現れたとしても、それが 本物のキリストだったり天使だったり、大人物の霊だったりすることは、まずあ りえない。

 何か別の霊的存在(ほとんどは、悪霊や魔物や動物霊・不成仏霊、よくても背 後霊や先祖霊のたぐい)を、勝手に見まちがえているのである。

 たとえば、この手の「戦士症候群」の原型ともいうべき人種は、こんにちの職 業的な霊能者や占い師、チャネラーなどと呼ばれる人々である。いってみれば、 「戦士症候群」の若者たちとは、プロの霊能者のなりそこないと思っていただい てよい。もちろん、霊能者になってもらっては困るので、ここではいい意味で 「なりそこない」といっている。

 はっきりいうが、今日、霊視や霊言、過去世透視、チャネリング、運命鑑定な どを看板にかかげて飯を食っている違中を、筆者は一切、認めないことにしてい る。

 だいたい、連中はたったひとりで、あれもこれもと手を出して商売にしすぎ る。たとえば、UF0呼び出し、スプーン曲げ、過去世透視、霊感透視、予知能 力、念写、チャネリング、ヒーリングなど、そんなことが本当にひとりで何役も できてたまるかといいたい。医者でいったら、内科、外科、小児科、耳鼻科、眼 科、泌尿器科、精神科、鍼灸漢方など、なんでもオールマイティといってるよう なものである。

 このように、自分は霊能者でござい、チャネラー、霊感ヒーラーでおますと、 堂々とプロフィールに載せているような人種は、霊的な詐欺師か、あっちの世界 での犯罪者だと告白しているようなものである。

 とにかく、耳に入ってくる霊能者だの超能力者だのチャネラーだのの話は、か なりの有名人にいたるまで「あいつら、みんなウソつきだ」というデータがほと んどなのだ。

 それはそうだ。一人の人間が、それほど多彩な霊能をいっぺんに持っていられ るわけがないのだ。

 それに、「戦士症候群」といっしょで、みなさん割と簡単に、神や仏や天使や 偉大な霊との出会いを、語っていらっしやる。だが、それが本当にそうであると いう証明を、第三者にもよくわかるように説明してくれるケースは万にひとつも ない。

 霊能者本人は、本気で霊視透視をしたつもりだろうが、それが幻覚錯覚妄想の たぐいなら、人さまからウソつき呼ばわりされても、仕方ないではないか。それ に霊能者やチャネ、ラーという連中は、とにかく金にきたなく、下品な素顔をも っていることが、すこぶる多いのだ。

 そういった共通点をもつ「戦士症候群」やプロ化した霊能者たちは、もとも と、霊現象や神秘的なしるしを欲している人種だ。幻想でも妄想でも、悪霊の罠 でも、なんでもかんでも「素晴らしい存在からの画期的な真理のメッセージ」と みなして、盲目的に受け取ってしまう。それも、まったくありがた迷惑なこと に、他の人には分からない、自分だけが感知しうる方法で与えられたと信じるの だ。

 つまり、特別な(めったにない珍しい)状況下で、奇跡的な現象が発生したと 思いこんでしまうのだ。神霊やら、大宗教家の霊やら、天使やら守護霊やらの目 に見えない存在が、「あなたは特別な選ばれた人だ。人にはまねできない重大な 使命を帯びている。神の代理として、しっかりやってくれたまえ」などと告げた と、実に都合のいい錯覚を得るのだ。

 それは、ふだんからの願望が妄想に変じたものと見てよい。そこに、霊的な詐 欺師である魔物や悪霊の類がつけこみ、実際に幻影や幻聴をふきこむケースも多 い。

 こうした願望の生んだ妄想や悪霊の罠にそそのかされ、新宗教やカルトの教 祖、プロ霊能者になった人間は、山ほどいる。要注意である。

 神がかりや霊がかりというのは、はっきりと精神異常の一種であることを忘れ てはならない。昔から「ものぐるい」という言葉がある。人間以外の霊的存在か ら影響を受けて、音自動に変調をきたすことをいう。

 相手が神であれ、悪魔であれ、そういった別次元の存在と接触することは、非 日常感覚=精神異常状態を引き起こすのだ。

 生身のまっとうな人間としての人格や個性と同居し、日常生活や対人関係に間 題を生じないタイプの「非日常感覚(善なる精神異常)」ならば、それが神がか りであろうと霊がかりであろうと問題は少ない。事実、偉大な宗教家や聖人・賢 者、芸術家たちにとって、善なる精神異常は、古今東西、この世にすぐれた思想 や作品をもたらす前提条件である。

 問題は、悪しき非日常感覚・精神異常の方である。先に挙げたような魔物や悪 霊のふきこむ幻聴や幻覚に踊らされ、自己顕示欲の肥大した大半の自称霊能者た ちは、まったく救いがたい。

 いつ病院に収容されてもおかしくない危険な崖っぷちを歩いていることを、ほ とんど自覚していないからだ。彼らの大半は、筒井康隆氏いうところの「基地 外」の奈落へおちこむ一歩手前の人種なのである。

第六弾(2):『狂信人間たちの宴』(続)