第八弾(1):『一神崇拝と日ユ同祖論の落とし穴』

第八章 奇跡を生む国・日本(1)

サタニズム蔓延の原因が、神道・武士道など戦前の道徳観や、さまざな日本的特性の否定だったという結論を得たところで、日本サタニズム解説も、本章で結論を出すところである。

 このさしせまった危機の時代。批判や警告だけでは、もはや人々は納得しない。

「では、どうすればいいのか」を語るべきときに来ているのだ。それを、明治維新よりも前の日本人たちが教えてくれる。温故知新は、いかなる時代、いかなる体制のもとでも、疑いのない真理といえよう。

☆ 1・一神崇拝と日ユ同祖論の落とし穴

 占いや賭博が、神事を起源とすることは、すでに告げた。では、神事そのものの本来の姿は、一体どのようなものだったのだろうか。

 そこにこそ、日本古来の霊的知識の根源がある。これから、少しずつ、さまざまな話題をまじえながら、その本質に迫っていこう。

 神事といえば、まず神杜の宮司や禰宜(ねぎ)を思い浮かべるが、神職はまず祝詞を唱えるものと相場が決まっている。これは、もちろん天皇家でも同じである。この祝詞をはじめ、宮中の神事もまた、天皇家が、それ以前の縄文的な部族王権社会から引き継いで採用したものだ。

 それも、奈良・平安のころに、大陸中国や半島の文化が、律令制とともに流入し、大きく折衷された。ここに秘密がある。実は、そこでおこなわれたのは、ただの折衷ではない。いわば、「日本化=JAPANIZE」ともいうべき、不思議な醇化の過程を経ているのだ。

 この外来文化の「日本化=取り込み」という言葉を覚えていただきたい。戦後は、アメリカナイズという風潮がまかり通り、なんでもアメリカの真似で、日本人には独創性がないなどというが、なんのなんの。真似のようでありながら、ちゃっかり自家薬籠中のものにしてしまうのは、縄文から今に続く日本の叡智、お家芸である。

 ひとことで一言うなら「損して得とる」「負けるが勝ち」というのが、日本 民族の最大の長所なのである。いずれの古代国家でも、最高権力者は、天にうかがいをたて、国家を運営する。それが、祭政一致の統治の基本である。天下万民、国の安泰と国民の繁栄を祈り、天の加護を求める。それが天下統一をなしたものの神聖な義務なのだ。

 もっとも、神や天におうかがいを立て、祈るという祭儀の発祥そのものは、はるか太古にさかのぼる。儀式や形式というものは、神前の礼儀のひとつである。それによって、神霊をお迎えするにふさわしい、きっちりした秩序の聖別空間を形成するのである。

 無秩序や汚穢に満ちた場所に、清明なる神霊は御降臨たまわらない。相撲の力士が、まわしをつけて依代となるように、宮中における祭儀では、天皇御自身が、あるいは皇后や皇女などが、依代となって国家のための神事をとりおこなうのが通例だった。もちろん、現代の官中では失われてしまった秘儀である。

 たとえば、古くは皇女の一人が、伊勢神宮に出仕し、生涯を皇祖・天照皇大神に捧げるという「斎王」の制度があった。これもすでに、後醍醐天皇の時代に廃絶されている。

 ここで、神政一致の頂点にある祭儀の長たる天皇の立場について触れておきたい。天皇という存在は、過去現在を通じ、「君臨すれども統治せず」が基本である。「現人神(あらひとがみ)」というのも、一神教的な「メシア」やスーパーマン的な見方をすると、大きな誤解を生むので注意が必要である。

 神道などをかじると、次のようなことがわかる。神と人との関係について、日本人というのは、どうやら次のような見解を無自覚のうちに体得しているらしいのだ。

 すなわち、「人間は、修行によって一時的、断続的に神の意識と一体化することができる。この一点集中的な高度の境地を《神人合一》という。だが、永続的、日常的、自覚的にそれを維持することは、特別な例をのぞけば困難か不可能である」

 ひらたくいえば、「神がかっているのは一時で、あとはただの人間」ということだ。たしかに、何々の神の現身だとか、如来や菩薩の化身、毘沙門天や大天使の生まれ変わりだとか、今までいろんな人物が、いろんなことを吹聴してきた。

 だが、それはやっぱり無理がある。人を人ならざるものに持ち上げるというのは、本来の日本人の肌に合わないのである。

 戦前は庶民にも常識だった《現人神》だが、西洋人がイメージしがちな救世主的な君主、絶大な霊能力をもった万能の支配者というイメージではない。人間の肉体を持って生まれたからには、天皇であろうと草莽(そうもう)の民であろうと、外見上は同じ人間なのである。

 端的にいうなら「最高位のグレート・シャーマン」が、《現人神》の真意なの だ。日本の歴史学では、天皇という存在が偉いものとみなされたのは、千三百年 あまり前からとされている。日本各地の土着の郷土神、山野神をぬいて、皇室が 人々から崇められるようになったのは、六七二年の壬申の乱以降のことだとい う。《現人神》という概念がいわれはじめたのもその頃だそうだ。

 しかし、それが本当だったかどうかは、まだ議論の余地がある。土着神への信 仰を、人間崇拝にすりかえてしまったと、学者たちはいいたいらしいが、当時は 「山・川・海」を住処とした、いわば「山岳・水運系・狩猟・漁労・採集果樹文 化(ソバなどの焼き畑系作物や、小規模で稲が栽培されていたらしい)=東日本 文化」と「平野・低湿地系・水田耕作文化=西日本文化」との優劣の交替期にあ たる。稲作文化に先行して、東北・関東・東海・美濃・信越にさかえた「山岳・ 水運系・狩猟・漁労・採集果樹文化」に《現人神》の概念がなかったとは断言で きないのである。

 かつて弥生時代に、縄文系土着人と、弥生系渡来人との間では、吉野ケ里をは じめとした遺構や、大量の銅剣類の出土からわかるように、紛争・戦争が頻発し たかのような印象がある。縄文系の地元民と、弥生系渡来植民団との間で、あた かも白人とインディアンの戦いのように、相当に長い期間にわたる侵略と抵抗の 戦いが続いたと、私も一時期、そう思っていた。

 ところが、縄文時代末期には多くの海外の民が、シベリア、中国、朝鮮、東南 アジア、西アジア、南アジアなどから、おもに東日本に標着もしくは航海してき たと思われる。彼らはみな非武装植民団で、先住民と摩擦を起こすことなく溶け こみ、住み分けていったようだ。もちろん、互いにぶつかりあったり、こぜりあ いや内紛、境界争いのようなものがあっただろうが、一方的侵略やジェノサイド の証拠は見当たらない。

 縄文晩期の北海道をのぞく日本列島の人口は、約二十六万人といわれており、 そのうち二十四万人が「東日本人口」であり、西日本には残り二万人だけが住ん でいたという。人口比にして七・七パーセント、西日本人口は全人口の一割にも 満たなかった。これが、稲作によって形勢が激変する。ごぞんじのように、西日 本文化が優勢となり朝廷ができてくる。

 少なくとも、日本は現在でもそうだが、世界有数の植物の多様性を誇る国土で あり、食用植物も豊富。今より人口のずっと少なかった時代には、栽培せずと も、栗・ドングリ・トチのように、堅果類を植林して管理すれば、たくさんとれ る土の肥えた風土だったことはまちがいない。

 しかし、いくら国土が豊かでも、ある一定の人口を越えれば、当然のごとく食 糧問題が起こってくる。おそらく、周辺各地からの渡来民の増加と、土着の人口 の増加とあいまって、東日本における従来の狩猟採集果樹文化の食糧調達法で は、人口がまかなえなくなったのかもしれない。西日本からの「稲作」の流入と 拡大は、不可避のものだったろう。

 それまで平和共存していた縄文日本にとって、文化のありようを変えたのは、 外国からきたとされる「騎馬民族」などではなく、「武装勢力による侵略」なん かでもなく、実に「東西文化間の食糧問題」だったと筆者は推測する。

「狩猟採集系」と「水田稲作系」が同じ民族・部族だったかはわからないが、結 果的に、「水田稲作系」が中央の主権を握ったのは確かである。縄文系先住民の 中でも、「水田系」に変じて里へ降りた者たちは多かっただろうし、《現人神》 の概念が、「水田稲作文化」の発展と同時に表に現れたという事実は否定できな い。

 もちろん、これまでも述べたが、「現人神」といっても、それは西洋流の「全 能の神」「絶対神」「造物神」という、いわゆる「ゴッド=唯一絶対の神」とい う意味ではない。「カミ」とは、もっと自然で柔らかく、しかも清例な霊力をも って人々を慰撫する存在である。

 外見は同じ人間といっても、人もいろいろである。より神に近い人間から、よ り獣に近い人間まで、その精神性・徳性において、無数の階層があるのも事実 だ。

 高貴な神に通じる心を持つ人間と、低俗な下種とを「平等」に扱うことに、何 の罪悪感も持たない者はいまい。明治までの天皇は、以前の章でものべた通り、 「最高権威者としての大神官」だったと筆者はとらえている。すなわち、「もっ ともよく神に仕える御方」なのだ。

 ここでいう「神(カミ)」とは、くりかえすが欧米聖書文化圏のヤハウェ(エ ホバ)やイスラムのアッラーのような、人間を見下ろして支配し、造った滅ぼし たりする権能を駆使する「唯一絶対神(ゴッド)」ではない。八百万の神と呼び ならわされる、森羅万象に宿り、人に優しく、ともに生きてなりゆく多神宇宙で ある。

 いわゆる「一神教」「多神教」という分け方もあるが、それは、無条件で「一 神教」を優位に立たせる西洋流の機械的分類によるので、本稿では別のいいかた をしたい。とりあえず、便宜上、「一神崇拝」「多神崇拝」という呼び方に変え る。

 西洋とアラブ文化圏では「一神崇拝」が基本、東洋は「多神崇拝」を古来より 文化の基底に置いている。(この二つを融合する形として、森羅万象のそれぞれ に、唯一の神が別々の姿で現れるという「汎神論」というのもある。ドイツの文 豪ゲーテなどが、その作品世界で描写しているが、ここでは論題よりはずれるの で、あえてとりあげない)

 まず「一神崇拝」の世界では、日本の天皇のような存在は、まずもって発生し ない。また、「多神崇拝」の世界では、人と神々が同じ地平に共存できるが、 「一神崇拝」の世界では不可能である。

 それは,物理的に太陽と地上の人類がかけ離れているように、人類と唯一神は かけ離れているという思考だからだ。だからこそ、その途方もない距離を埋める 取り次ぎ役として、救世主や預言者が必要になってくる。

 ところが、日本に限らず、古代世界の多神・精霊信仰の社会では、人と最高神 の間に、無数の神々と精霊が介在している。人は、さまざまな階層や種類の霊的 世界と、境を接しつつ生きることができた。

 ただし、多神崇拝でも、かつて中東世界で栄えたバール、マンモンなどの物 欲、金銭欲をかなえるという邪神の多神崇拝もある。祈願者が、わが子や女たち を人身御供にし、炉の中で焼き殺すというとんでもない多神崇拝だ。

 人の命とひきかえに願望をかなえてくれるというのだから、まさに悪魔そのも のである。本殿には、巨大な神像がまつられて、無数の供物と生贄が捧げられて いる。それら邪神の神殿の境内では、巫女のかわりに神殿付きの売春婦や売春夫 がいて、参詣客相手に異性同性かまわず営業し、あがりの一部を神殿におさめて いた。

 旧約聖書の中で「偶像崇拝」「ダゴン」「バール」「アシラ」「モレク」「マ ンモン」などと記され、排撃されているのは、こういった淫猥で血なまぐさい生 贄を要求する邪悪な多神教のことだ。これら、古代バビロニア、シリアなどに蔓 延した邪神崇拝こそ、現代のサタニズムの系譜の本源であり主流なのだ。

 世界支配の超財閥・欧州の王族たち、ユダヤ・エリートはじめ、人の命より金 銭・富・財産が大事という連中は、みなこの系譜〜ことに、富と強欲、物欲の神 マンモン〜に属しているといってまちがいない。

『ョハネの黙示録』に出てくる世界をたらしこむ「大淫婦」、大魔性の女王とそ の一味を「大いなるバビロン」とよぶ。それは「大規模な邪神崇拝で世界をだま し、サタニズムを用いて支配する一味」を意味しているのだ。ユダヤ教が多神崇 拝・偶像崇拝を、邪神崇拝として忌みきらったのも、もともとはこういう理由が あったのだ。

 だからこそ、同じ多神崇拝だからといっで、東洋のものとごっちゃにしてはな らない。いいかたを変えれば、西アジアから発して、今や世界を席巻した邪悪な 多神崇拝・悪魔主義と、東アジアで清明なる神霊の地を維持してきた正しい多神 崇拝とが、現代日本でぶつかりあっているのだ。

 話をもどそう。日本をはじめ、東洋の多神崇拝の社会では、救世主や預言者が 現れなくても、ぜんぜん困らない。唯一神の全権を背負った救世主や、数少ない 預言者の替わりに、巫女や神官などの神職がたくさんいて、それぞれの担当する 神々と人々の間を調整してくれる。

 同様に、大神官長としての天皇も、神々の中で最高の大神・国神に関する儀式 と祭儀をとりおこなう役目を帯びていたのである。もちろん、国を左右する最高 権威者として、下の階級の神官たちより、はるかに責任重大ではあった。だが、 聖書世界のモーゼやキリスト、預言者や使徒たちのような悲壮感は、どこを見て もかけらもない。

 モーゼ、キリストをはじめ、聖書世界に出てくる預言者たちの行動は、苦難の 違続で悲情・壮絶なこと、この上ない。もし、彼らが日本に生まれていたら、決 してそこまで悲惨な人生にならなかったはずだ。

 なぜなら、過去の日本の人々は、天皇から庶民・奴婢にいたるまで、それぞれ の階級や職業、血統や部族、家風などによって、それぞれ別々の神々を拝み、守 り本尊とすることができたからだ。

 多様な人生のおのおのを守り導く、多様な神々がいるという安心感が、そこに は大きく横たわっている。「捨てる神あれば、拾う神あり」とは、そういうこと なのだ。

 なにしろ、トイレにさえ「厨(かわや)の神」がいらっしゃるお国柄である。 ところが、一神崇拝では、これができない。唯一の神や救世主に見捨てられた ら、もう後がないのだ。拾ってくれる神はどこにもいない。まわりには、先述し た邪悪な多神崇拝がはびこっているし、悪魔になるしかないのである。

 サタニズムが、発生・拡大した原因は、この唯一絶対にして排他を常とする、 旧約バイブル的、ユダヤ的な神観に責任がある。唯一絶対の神ヤハウェを奉じる ユダヤ教は、宇野正美もいっているように、前章までさんざん述べてきた狂信盲 信の元祖中の元祖といってよい。

 オウム真理教(現・アレフ)的な狂信体質が、はるかに大規模に歴史的、民族 的につちかわれてきたのが、変わらぬユダヤ教狂信派の基本体質なのである。キ リストが非難した二千年以前、ほぼ三千年以上にわたって継続している気質だ。

 むろん、すべてのユダヤ人やユダヤ教徒がそうだといっているわけではない。 一神崇拝であろうと、多神崇拝であろうと普遍的な真理は、同一のはずである。 その同一の真理を崇める分には、危険はない。旧約聖書もイスラム教の『コーラ ン(クル・アッラーン)』も仏教も同一の頂上にたどりつく。

 ただ、残念なことに、その普遍の真理にたどりつき、なおかつ後世に正しく残 せる人間の数が極端に少ない。数百年にひとりという確率でしか生まれないこと が問題なのだ。日本のクリスチャンの中には、ユダヤ的・旧約バイブル的な神を 崇めないからといって、日本人には本当の信仰がないとか、資本主義社会の根底 に神がいないとかいう者がいる。大した誤解である。日本人は、唯一絶対の神(ゴッド)を崇める慣習がないだけだ。心に神(カミ)を持っていないわけでは ない。

 その証拠に、どんな大企業でも大工場でも、敷地内に神をまつる祠や宮代を設 置している。地鎮祭は必ずおこなうし、事務所に神棚をもうけて拝むのは、どん な企業でも当たり前のことだ。神々を気にして信じる心がなければ、そんなこと はする必要がない。第一、時間と空間の無駄である。

 心ある日本人なら、程度の差はあれ、だれもがどこかで、神々や精霊の存在を 信じているのだ。それで、神々のまします座を確保する憤習が、どれほどハイテ クの世となっても絶えることなく続いている。

 結局、そのクリスチャンも、キリスト教やバイブルを盲信しているだけなの だ。本音の部分では、聖書的な信仰や宗教観が最高で、それを受容しない日本人 は、神によって正されるべきだと感じている。今まで述べてきた新宗教の幹部や 盲信者と、まったく同じ心理であることには、まず驚くほかはない。

 こういう聖書盲信型の人間に限って、「日ユ同祖論」を唱えていたりする。こ れは、きわめて危険である。なぜなら、日本人を「失われた十部族」とすると、 日本人は必然的に宗教的、文化的、歴史的に、ユダヤ民族の下風に立たされるこ とになるからだ。

 というのも、「十部族は、ヤハウェの意志に反して、国を亡くした偶像崇拝の イスラエル人」という聖書の故事から来る固定観念があるせいだ。

 前七二○年、南北朝に別れていたイスラエル民族十二部族のうち、十部族から なる北朝イスラエル王国が、アッシリア帝国によって滅ぼされた。このとき、ア ッシリアに捕虜として連行された十部族のおもだった人々の子孫は、今日にいた るも見つかっていない。

 現在、ユダヤ人と呼ばれる人々は、残りの南朝ユダ王国・二部族の子孫とされ ている(が、八神はそれはウソだろうと思っている)。それで、ユダヤ人たち は、兄弟部族である「失われた十部族」を探し続けており、その白羽の矢がだい ぶ前、明冶ごろから日本にも立ちはじめた。

 この「失われた十部族」の子孫が、どの民族や国かという議論には、色々とあ る。大英帝国が盛んなときには「英ユ同祖論」があったのをはじめ、エチオピア 人がそうだとか、「韓ユ同祖論」など、数えきれないほど多くの民族種族にあて はめられたという経緯がある。

 では、ちょっとここで、どれだけの民族が、「同祖論」「十支族の子孫」とさ れたか、もしくは今もされているか、リストアップしてみよう。

 頭に(★)とあるのが「同祖論」の対象で、(△)とあるのが「自称十支族」の対象である。また初めてその説がとなえられた年と場所を、分かる範囲のものについては記すことにした。(『歴史読本臨時増刊・ユダヤ口フリーメーソン謎の国際機関』より)

★ △イギリス人(アングロサクソン全体。ヴィクトリア女王はダビデの子孫と主張・1900年)

★ イエメン人(1831)

★ △エチオピア人(1857)

★ ガンジス・インド人

★ ミャンマー・カリーン族

★ 韓民族(1878・マックレオドの説。ノアの三男ヤペテの子孫と主張)

★ 日本人(1875・マックレオドの説)

★ マサイ族(1904)

★ ペルーインディアン(1644)

★ メキシコインディアン(1644.1837)

★ アメリカインディアン(1650)

★ デラウェアインディアン(北米東岸の部族・1678)

△ ケラエイト(ユダヤ真教徒・黒海北岸)

△ カザール人(カスピ海と黒海の間にいた)

△ 山地ユダヤ人(コーカサス山脈・トルコとアルメニアの国境あたり)

△ ペルシャ人

△ アフガン人

△ ナイジェリア・イボ族

△ ベルベル族(北アフリカ)

△ モルモン教徒(アメリカ・ユタ州)

この二十の民族・部族の中で、「自称」「他称」が合致しているのは、イギリスとエチオピアだけである。いかに「同祖論」が白人・ユダヤ側からの「押しつけ」であるかがよく分かる。

 しかも、欧米植民地支配のルートに乗って、ちゃんと展開されている。勝手に比定された方からいわせれば「余計なお世話なのだ。面白いのは、「同祖論」をあてがわれた部族の範囲と、「自称十支族」の説の分布範囲の差だ。

 前者は全大陸におよんでいるのに、後者はモルモン教徒や、おそらく宣教師によって思い込まされた可能性のあるアフリカの二部族をのぞけば、みな中東に広がっている。しかも、その限界線は旧約バイブル時代の「ユダヤ人が全世界と認識していた範囲」に限定されている。

 黒海やペルシャなどは、アフガンもふくめて、バビロン捕囚時の「へブライ人の世界認識」の北限・東限を意味し、エチオピアにいたっては南限である。つまり、バイブルに、ちゃんとその認識限界の地名が記されている。

 なぜ、二千七百年も前のへプライの認識範囲の限界の中でのみ、彼らは「十支族」を自称するのか。ユダヤ人は、バビロン捕囚以後は、たいへんな旅行民族となり、エジプトや地中海沿岸などに、大量に移民している。

 何百年もたったら、より遠くより広く拡散しているはずだ。それなのに、なぜ「十支族」は古代の認識限界の外から声をあげないのか。なぜ、バイブルの記述どおりの範囲の辺都な土地の奥まった山地や平原の民族なのか。

 すなわち、彼らは十支族なんかではないからである。二千七百年前のバイブルの記述を読んで「おれたちが、そうかもしれない」と、近世・近代になってから思いこんで主張した人々である可能性が高い。

 要するに、遠隔の僻地のユダヤ教徒が、そう信じて主張したという見方もできる。

 そもそも、「同祖論」「十支族さがし」が、古代からおこなわれていたという形跡は見当たらない。すでにキリスト時代に、「十支族」「アーク」が探し求められていたという記録はないのである。

 だいたい、二千年前のキリスト時代、毎年春のユダヤの大祭「過ぎ越しの祭」になると、当時人口五万のエルサレムは巡礼者で三倍になった。中東全域のユダヤ教徒が、二〜三ヵ月もかけて、エルサレムヘ集まるのである。こんにちのイスラム教徒のメッカへの巡礼と同じと思っていただいてよい。

 つまり、その十万もの巡礼者の集団の中を、本気でさがせば「十支族」の片鱗 や形跡くらいたどれたはずだが、そのような作業をラビたちがやったという記録 がない。

 いったい、だれが言いだしたのだろうか。「ユダヤ人は、失われた十支族とア ークを、なくしてからずっと今日まで探し続けてきた」ということを。そんな証 拠はないのである。「日ユ同祖論」を信じる人々に、はっきりいっておくが、い わゆる「ダビデの星」の六芒星が、ユダヤのシンボルとなり、「ダビデの星」と 呼ばれるようになったのは、十七世紀のヨーロッパでのことだ。日本の「菊の御 紋」が皇室の印になったのも鎌倉時代以降である。すなわち、カゴメ紋が「ダビ デの星」だとか、へロデ王宮の遺跡に刻まれた菊文様が、皇室のルーツを現すな どということは、歴史的事実に反する空想の産物で、ひらたくいえば「ありえな いこと」なのだ。

 模様が同じだとしても、「偶然の一致」以上の意味を付与するのは「妄想」で ある。その伝でいけば、アメリカの星条旗の星のルーツは、平安時代の阿倍晴明 の「ドーマンセーマン」の五芒星なのか、と聞きたい。

 だいたい、「十支族と二部族の合体の預言」が言いてある、旧約バイブルの 「エレミヤ書」や「エゼキエル書」を、どれだけの一般のユダヤ人やキリスト教 徒が、古代〜中世〜近代を通じて読めたか疑問である。

 キリスト時代でも、一般庶民のユダヤ人は、シナゴーグで、ラビが朗誦するモ ーゼ五書以外はほとんど知らなかったし、ルターがドイツ語訳バイブルを出すま で、カトリック教会も正教会も、庶民にバイブルを読ませることをしなかった。

 グーテンベルグが、バイブルの活版印刷をはじめたのが1445年ごろで、そ のあとに宗教改革、大航海時代と続く。つまり、「バイブルの庶民への普及」と 同時並行して「同祖論」は発生し、流布されてきたといえるのだ。

 まっとうな従来のラビやキリスト教聖職者は、まるで研究の対象にしてこなか ったことを、庶民の中からバイブルを読めるようになった想像好きでもの好きな 連中が、あれこれいいたてはじめたので「同祖論」が生まれたとしか思えない。

 要するに「バイブル普及のプロセスで生まれたトンデモ説」なのだ。バイブル の「エレミヤ書」「エゼキエル書」の記述を目にしたものたちが、「この記述は 預言だから、絶対にいるはずだ」と思い込み、「探しはじめた」ということだ。

 上記のように考察すると、「日本人こそ、十支族の子孫と、ユダヤ人たちは、 今度こそほぼ確信している」という話も、どれだけ多くの本にまことしやかに言 かれていようとも、相当に眉につばせねばなるまい。

 それでは、だまされたふりをして、ここで従来の「日ユ同祖論」の罠を解明し てゆこう。まず、「日ユ同祖論」を信じるユダヤ人は「失われた十部族」を、ど う見ているのだろうか。つまり、どんな特徴や証拠で、兄弟部族かどうかを見分 けるのだろうか。それは、要約すると、以下になる。

「失われた十部族は、偶像崇拝の人々である。それゆえ神罰を受けて捕虜にされ た。まことの神を見失い、今日も忘れているはずである」

 すると、自分たち二部族の子孫のことは、どう自覚しているのか。それは、当 然こうなる。

「だが、われわれ二部族の子孫は、まことの神ヤハウェの信仰を取り戻したの で、こうしてイスラエル国家を再建できた。十部族とはちがう」

 そして、こう思っているはずだ。

「もし、十部族の兄弟たちが見つかったら、まず彼らが忘れているだろう神ヤハ ウェを思い出させ、教化してやらねばならない。なぜなら、彼らはわれわれより も、信仰的に劣った存在になっているはずだから」

 旧約バイブルには、ユダヤ人が人類の長男としてあり、イスラエルが世界の中 心になるという記述がある。彼らは、それを信じているし、心の支えにしてき た。このバイブル中心主義の傲慢なる精神性を忘れてはならない。

 旧約バイブルの内容を鵜呑みにするかぎり、他民族の劣等視は、必然的に生ま れるものなのだ。あえていうなら、ユダヤ人が悪いのではない。旧約バイブルに 書かれた、民族独善、選民思想の記述が、そもそもの元凶なのである。

 イエス・キリストは、その元凶を取り除こうと出現した人物なのだ。十部族の 子孫であろうとなかろうと、それを認めてしまったが最後、日本人はユダヤ人に なることを強いられる。多神を信じる慣習は否定され、後述するが虚説の唯一神 を崇めるのが、本当の日本人だという論法がまかり通ることになるのだ。

『古事記』『日本書記』はもちろん、古史古伝などの神典類も、「ヤハウェ神を 忘れていた間の暫定的な書物」となって、軽んじられるだろう。逆に旧約バイブ ルこそ、元祖日本民族の基本だから、そこへ帰れと叫ばれることになる。

 たとえば、「日ユ同祖論」を知らない日本人に、「あなたはユダヤ教に改宗す るべきだ。なぜなら、あなたの祖先はユダヤ人であり、ユダヤ人として崇めるべ き神を長らく忘れてきたのだから」といえば、鼻で笑われるのがおちだろう。

 ところが、親「バイブル」、親「ユダヤ」の日本人クリスチャンとかに、その 説をふきこんだなら、「まったく、その通りでございます」とあいなる。喜びい さんで、「日本人は、もともとイスラエル人だったのだから、早く目覚めて聖書 を読んでヤハウェ信仰をよみがえらせましょう」と流布するのは、火を見るより も明らかだ。

「日ユ同祖論」を理由に、日本人の宗教観まで文化侵略される恐れが十二分にあ るのだ。日本人のアイデンティティをユダヤ的なものにすりかえ、多神崇拝世界 を破壊せんとする工作が、今現在もおこなわれていると考えた方が、むしろ自然 である。

「日ユ同祖論」によれば、「皇室」は「イスラエル王家の末裔」ということにな り、その意味で崇敬の対象となるという。これは、一見、同祖論でも「皇室崇 拝」がおこなわれるのだから問題ないじゃないか、と感じられるむきもあろう。

 冗談ではない。もし、皇室が「イスラエルエ朝の末裔」なら、皇室の祖先は 「天照大神」ではないことになり、万世一系」も「現人神」も否定され、「天孫 降臨」も「三大神勅」もみなウソだったということになる。記紀の神代巻そのも のもウソとなり、日本の神代から続く「国体」「日本文化」が、みごとに「全否 定」されることになるのだ。

 これが、「日ユ同祖論」を日本にしかけるべく、マックレオドを派追してき た、ユダヤこラビたちの真の目的である。

 したがって、日本人の祖先が失われた十部族であるはずはないし、宗教観につ いて現在のユダヤ人から啓蒙されるべきことは、何もない。くりかえす。信仰や 宗教や文化のありかたについて、ユダヤ人やイスラエルから教化の対象とされる ようなことは何もない。

 われわれは、長い間、多神崇拝でうまくやってこられたのだ。多様な人種、多 様な民族、多様な国家、多様な宗教が、誰が誰より偉いという序列を持つことな く、平和共存することこそが、真の創造主の意志であるはずだ。

 選民思想による一神崇拝の押しつけなど、よけいなお世話だ、ほっといてく れ、としかいいようがないのである。

第八章 奇跡を生む国・日本(2)