第八弾(1):『一神崇拝と日ユ同祖論の落とし穴』

第八章 奇跡を生む国・日本(4)

☆ 4・言い伝え〜あなどれぬ叡智

 「味噌が味噌くさいうちはだめ」などのたとえは、実によく日本人の知恵を現している。吉田兼好が『徒然草』の中で、「切れすぎる刃物はよくない。少し鈍いくらいが丁度いい」といっているのも、その伝だ。中庸を得ないと、ものごとはロクなことにはならない。そんな経験則が生きているのである。

 昔から、大工さんは、家づくりを終えるときに、わざと最後の一本だけ、釘を打たなかったり、家の造作に全く影響のない形で、欠けや未完成の部分を残す。「完璧」にするのを避けるしきたりがあるのだ。なぜなら、ものごとの「完成」とは、もう後がない、すなわち「崩壊」するしかないという考え方があるからだ。

 中国の『易経』でも、六十四卦の六十三番目に「完成」を現す「水火既済(すいかきせい)」があり、最後に未完成と生成途上を意味する「火水未済(かすいびせい)」がくる。つまり、完成という頂上に登ったら、あとは下るしかないという深遠な人生の哲理があるのだ。

 空の月は満ちて欠け、欠けては満ちる。望月(もちづき)はやがて朔月(さくづき)になる。真っ黒な新月は、少しずつ太り、めぐって満月となる。おみくじだって、「大吉」は運の頂点で、あとは下りで実は不吉、「凶」は運の底なのであとは上がってゆくばかり、実は吉というではないか。

 こうしたしきたりや言い伝え、伝統ときくだけで、拒絶反応を起こす心の狭い人たちがいる。特に知識人と呼ばれる人々の中に、えばって鼻息あらく指弾したりするのが多い。彼らは、あまりにも単純な発想の持ち主たちである。日本の古いものはみんな悪く、外国の新しいものは、みんな善で優れていると信じていたりする。いわば、朝日新聞的な「良識派」と呼ぶべきか。あえて鼻息を荒くしていうが、彼らこそ、今日の「学級崩壊」やさまざまな少年犯罪の凶悪化に責任のある「戦犯」である。

 そういった人々に対し、ここでいささかの反証を挙げておきたい。果して日本が外国と比べて劣っているのかどうか、国内での民俗学に近いところと、国外への影響力と、二面からさぐっていこう。

 たとえば、「あいさつ」はなぜするのか、というなんでもない疑問も、色々と追求してゆくと、とんでもない理由があったりする。もちろん、互いの存在確認や礼儀として、共同体意識や人間関係を維持する作法なのはまちがいない。

 しかし、それだけではないのだ。山歩きをした人なら、だれでも知っているように、山道ですれちがうと、見知らぬ人でも「こんにちわ」と挨拶を交わす。それ自体、気持ちのいい習慣であることにちがいはない。だが、その習慣の本当の理由を知ると、ことはもっと神秘的でやや不気味な様相を帯びてくる。

 なぜ、挨拶をするのか。まじめに読んでほしいが、それは山道ですれちがう生身の生きた人間と、真昼に出る幽霊とを区別するためなのだ。あの世に帰れず、ふらふらしている浮遊霊は、たいていは意識もうろうとしており、あるいはひとつことに意識が固宕しているため、生身の人間とでくわしても、認識ができず、あいさつをしない。

 もちろん、幽霊にも色々とある。見えないのも見えるのもいる。ちゃんと挨拶もするし、会釈もするが、ふりかえったら消えていたというケースもある。

 真昼の幽霊とすれちがうというのは、それだけで気持ちわるい。この世をさまようということは、なにかしら良くない因縁をひきずったまま死んだということを証するわけで、まかりまちがって後をつけて来られたりしたら、一大事である。

 人気のない山間のことである。真昼に出るのは、遭難者や自殺者など人の幽霊だけではない。いわゆる甲羅を経たキッネだのタヌキだの獣出身の霊物、魔物、妖怪(これらをまとめて「妖魅<ようみ>」という)のたぐいも、出没するのである。

 特に遭難者の霊が、生きた人に作用するときは、場合によっては深刻なケースを引き起こす。遭難時の心理(残留磁場)が登山者に取りついて再現され、パニックを誘発するのだ。その結果、正しい判断力が失われ、本当に遭難してしまう。そんな霊的な二次災害が発生するのである。山の中でパニックに襲われたときは、まず遭難者の霊に影響されていることを疑った方がよい。

 それゆえ、人間さまは、僧侶や修験者、木こりや猟師でもないかぎり、昔はそうそう奥山へは立ち入らなかった。

 道ですれちがうとき、互いに声をかけあって、「幽霊じゃありませんね。魔性、妖怪のたぐいではないですね」と、自衛的な相互確認をする。それが「あいさつ」の真意なのだ。もし、あいさつを返さない幽霊とすれちがったなら、その人は、自分が幽霊や妖怪の出やすい場所を通りかかっているのだと理解し、警戒しながら足早に通りすぎるわけである。

 うかつに、立ち小便やキジをうったり(山で大の方を排泄することを、「キジを撃つ」という)したら、どんな崇りがあるか、知れたものではない。もしかすると、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のたぐいのすみかで、縄張りだったりするとコトである。おチンチンが腫れあがるだけではすまない。下山後に交通事故にあったり、ケガをしたり、人間関係が悪化したりと、色々な不都合が起きることもある。

 山には山の、目に見えない神々が存在し、住人たちがいるので、その居場所を汚したり、禁忌の場所を踏みにじることは避け、マナーは最低限守らねばならない。したがって、今日の行楽や気分転換を主体とした登山ブームには、筆者は反対である。特に困るのは、エコロジストを自称する人々だ。彼らの大半は、山の地霊・地場の神々にあいさつもなしにふみこみ、わけしり顔でトレッキングする。

 地方によっては、山の神が怒るので、木の枝をむやみに折ってはならないという言い伝えがある。石や植物を、持ちかえるだけで、崇りがあるという山も実在する。これは日本だけでなく、ハワイの火山の石や、オーストラリアのエアーズロックの石なども、持ちかえるとエライ目に遇うらしい。ケガ、心身の病気、交通事故の連続、失恋、離婚などが、もっともポピュラーな警告現象である。

 今あげた現地では毎年、石を持ち帰ったはいいが、悪いこと続きで悲鳴をあげた観光客たちが、謝罪の手紙とともに、石を送り返してくるという。その量は、年間、ドラム缶で数本分にも達するらしい。「そんな馬鹿な」というあなたは、身近でそのような実例を見ていないからである。

 筆写の知人でも、ある国内の聖地から石を持ちかえったため、交通事故、離婚と、さんざんな目にあった人がいるし、また別のある人は、知人から奥山でひろった石をあずかったために、病気になるは、仕事で詐欺にひっかかるはで、大変だったという。その人は、幸い、知人から預かった石を返却できたので、その後、変事は起こらなくなった。

 一般に聖地や神々の土地といわれる場所では、極力、身をつつしむことだ。枝を折ったり、小石や草花を持ちかえったりしないように。くれぐれも忠告しておきたい。普通の山奥でも、珍しい石だとか、奇石だとか、むやみにひろって家に持ち込むと、えらいことになる。

 よく、でかい庭石を集めるのが趣味という人がいるが、まったく感心しないことだ。その石にまとわりついた魔性のせいで、一家離散、家業倒産の憂き目に会うこともあるからだ。これまでさんざん書いたように、魔性というのは邪悪の霊物である。人が苦しんで血の涙を流すことなど、何とも思っていないから、骨の髄まで残忍である。

 山奥のものを、里にもちこむのは、基本的に禁物である。この忠告を無視した結果、何が起こっても保証はできない。

 環境保護という言葉が生まれる何百年も前から、日本には、すでにそういう習慣が定着していたのだ。ちかごろの、無粋な自称エコロジストたちの、山中での得意満面ぶりは、はたで見ていると冷や汗ものだ。本家本元のエコロジストは、生態系破壊につながるささいな行為でも、罰を当て、たたりをなす山神、地霊という存在だからである。

 したがって、あいさつをしても会釈ひとつしないような無礼な人間は、一種の幽霊とみなしてよい。生身を持っていようが足があろうが、いっさい関係なく、幽霊の範疇に入れるべきである。

 また、夜、爪を切ってはならない。痰や唾を道端に吐いてはならないというしきたりもある。これもただのしつけではない。不潔で見苦しい、疫病の感染源になるなどの理由だけではない。

 それは、平安時代の陰陽道までさかのぼる。爪や体液をうかつに散乱させないというのは、実は呪詛を避けるための自衛手段のひとつだったのだ。

 ご存じの通り、呪いをかけるときは、たいてい相手の体の一部を、ワラ人形にしこんだり、焼いたりする。この体の一部というのは、もちろん毛髪などの体毛、爪、唾などの粘液もふくむ。うかつに遣端につばを吐いて放置しようものなら、呪いをかけようと狙っている相手が、こっそり紙でぬぐいとって持ちかえり、呪いをかける的にしてしまうおそれがあった。夜、爪を切って、暗がりに爪が飛んでみつからず、翌日、誰かが見つけて持っていかれたら、これまたコトであった。

 現代だったら、写真や服や靴など、持ち物類も、うかつになくさないようにした方がよい。呪いというのは、本当に恐ろしいもので、呪った相手も呪った自分も、両者共倒れというすさまじいカがあるからだ。

 現に京都の貴船(きぶね)神社などでは、こうした呪いをかける人たちのせいで、今も絶えず境内の杉の大木にびっしりと五寸釘がつき立てられている。呪いをこめて打ちつけられたものは、写真、靴、服など、色々だ。杉の大木の表面が、それらの呪いの形代(かたしろ)によって何重にも覆われ、見えなくなっているほどだ。あまりの無残さに、正視に耐えないものがある。

 もちろん、「呪い」のもともとの語源は、「祝詞(のりと)」の「祝(の)る」なのだが、見て字のごとく「祝る」は、神・祭祀を意味する示偏(しめすへん)なのに対し、「呪い」は、口偏で人の口から出る言葉を意味する。祝詞は、人の内在する神性から出て、神に帰るが、呪いは人の口から出て人に帰る。文字通り、人を呪う言葉は、自分に返ってきてしまうのだ。悪いことは、思っていても口にはしないというのも、実はこうした「言葉のはねかえり現象」を防ぐ知恵のひとつなのだ。

 このように、一見ささいなしきたりや言い伝えが、実は恐ろしい背景を秘めていることが多い。伝承や伝統というのは、伊達ではないのである。祖先の積み重ねた体験知の集積だからだ。

 無数の実証で鍛えぬかれた伝統は、何百回も打たれた鋼から生まれる日本刀のようだ。非常時に無敵の切れ味を示すことになる。すなわち、伝統・伝承を畏れ敬う姿勢が、身を守ることにつながるのだ。

 具体的に例をあげよう。日本人にあって、聖書文化圏に乏しい慣習の中で、もっとも重要で特筆すべきなのは、「供養」のしきたりだ。たとえば、各種の「慰霊祭」や仏教式の「法事・先祖供養」から、屠畜場などでおこなう「畜霊供養祭」、毎年、全国の漁港で、それぞれに執行される「魚魂祭」、はては「針供養」「人形供養」など、人獣以外の道具類に対しても、感謝とねぎらいの儀式が、定期的におこなわれる。大東亜戦争に従事した軍馬の霊を供養する馬魂碑なども、けっこうあちこちの寺にあったりする。

 これらの習俗は何を意味するのか。形あるものには、精霊や魂のようなものが宿るため、たとえそれが不要なものとなっても、粗末にしたら「たたり」があると、ずっと昔から伝わってきたのである。

 これは「家畜や物を大切にしよう」というような、単なる教訓のたとえばなしだろうか。そうではなく、物や家畜を粗末にし、しかるべき時と場所で始末しなかった結果、色々とやっかいな問題が起こった実例が、たくさんあった証拠と思われる。

 たとえば、著者の知る身近な一例がある。因果関係はおそらく風水などの分野にあるのだろうが、ある人が家を新築する際、うっかり軒下に、さまざまなガラス片・陶器片などのゴミをまとめて埋めてしまった。すると、原因不明の病人が発生。霊能者に見てもらうと、埋まったゴミの存在を指摘された。苦労して掘り起こし、しかるべき場所に捨てたら、病人がけろりと治ったという実例がある。

 この伝でいくと、東京湾岸の埋立地のゴミのたたりもありえる。案外、今日の若者の精神荒廃、生命力減衰の重要な一因だったりして。

 たたりといえば、日本人が、先祖代々、恐れてきたのは「怨霊」である。生前に強い怨みや憎しみを抱いたものが、死後に怨霊となって崇りをなすことへの恐怖は、平安時代から尋常ではない強迫観念としてある。

 たとえば、東京・大手町の首塚で有名な平将門、九州大宰府に飛ばされ不遇のうちに怨みを呑んで死んだ菅原道真、政争に破れ、四国讃岐に流されて憤死した崇徳土皇など、その崇りで天災や大火災や疫病がはやったという怨霊の話が、とにかく歴史上、たくさんある。そして、いずれの場合も、天皇が中心となって、盛大な慰霊祭や鎮魂の儀式をおこない、事態を収拾していった。

 いわば、怨霊を神としてまつりあげ、ごきげんをとっておとなしくさせようという措置がとられてきたのである。このやり方を、老獪(ろうかい)と見るか、知恵と見るかは意見の分かれるところだろう。

 たとえば、恒武天皇が平安京に遷都した理由のひとつが、謀殺した弟・早良(さわら)親王の怨霊への恐怖らしいから、少なくとも相当に深刻な気持ちで、怨霊のまつりあげをしたことはまちがいない。さまざまな「供養」がおこなわれるのは、この「怨霊」ヘの恐怖がまず原点にある。

 怨霊を放置しておくと、それこそ天災や疫病、戦乱が起こると信じられたからだ。崇りによる事故・災害・病気・障害が何代先までも続いたあげく、子孫に致命的な災厄が及び、ついには血統・家系が断絶することもありえるのだ。

 天皇家にとっては、それこそお家の一大事であり、皇室の変事はすなわち国家・国民の異変を意味した。ただの思い過ごしや、迷信でかたづけてはならない問題がここにある。

 それというのも、国や家や個人に、「運」というものがあるとすると、「怨霊・祟り」というのは、その「運」を邪魔し、ネガティブな方向にねじ曲げるからだ。本来なら、カスリ傷ですむところを、骨折や大火傷にしてしまう。単なる接触事故のはずが、当事者全員が即死する大事故になる。吉を凶に、幸福を不幸に、安全を危険に変える執念が、怨霊の復讐心・憎悪・憤怒の本質だからだ。

 ここでちょっと、「運」と人の善悪について説明したい。今とは逆に、「運」が強いとどうなるか。神明のご加護をいただいて、大事故のところが、軽徴な交通違反ですんだり、一族をまきこむ凶事災禍に発展するはずが、小さなトラブルで終わってしまうのだ。古神道系では、このような大凶を小凶に、大災厄を小事に置きかえることを「まつりかえる(祀り替える)」という。

「まつりかえる」ための基本は、「陰徳積善」だ。人に見られようと、見られるまいと、日常的に大小の善事をなし、人格をみがき、徳を積むということだ。それが「運」の強化につながって、いざというとき大難が小難でおさまるという。

 だいたい、人に見られないところでの善行(陰徳)は、道ばたのゴミひとつひろいあげても、未来にその十倍の報奨があるという。ばれなかった悪事(陰悪)もまた、十倍の罰となって、いずれやってくるらしいのだ。何年後か、死後か、来世か、子孫かはわからないが、「十倍返し」というのが、「人知れぬ善行、ばれなかった悪事」の基本法則だという。 だから、殺人をしてもレイプしても、「ばれなきゃいいのだ」とほくそえむのは、とんでもなく大きなまちがいなのである。脱税にとほうもない追徴金が課せられ、キセル乗車が三倍額になるのより、もっとすごい比率で、悪の報いが来るのである。

 人の眼には「闇に葬られた」と見えても、霊的にはちやんと「負債・ペナルティー十倍増し」になって、ばれた日のための牢獄と絞首台が用意されている。そういった「運」の説明をする古神道では、怨霊についても当然くわしい。

 今のべたような悪意を持った霊というのは、容易に悪魔・魔物と合体しやすいという。しかも自分が怨霊と化したことに気づかず、悪魔と不離一体の状態を、まるで自覚できない場合が多いそうだ。祟りをなしている事実に、気づいていないケースがとても目立つのである。それゆえに、成仏できずに、さらに崇りを重ねてしまう。

 あげくの果てには、「生きている人間を、ひとり自殺させれば、霊の位を上げてやる」とか、「待遇を改善してやる」とか、ヤクザの上納金みたいな感覚でそそのかされ、サタニズムの化身、魔界の一党のチンピラになり下がる。その後は、転落の一途、牛馬同様の奴隷労働に従事させられるのだ。

 この構図は、新宗教の悪しき体質に受けつがれている。たとえば、「信者をひとり入信させれば、位が上がる」とか「お布施・喜捨を、これだけ出せば、功徳を積んだことになる」という理屈と、全く同じである。そういった真綿にくるんだたわごとで、人を縛って強迫する教祖や信者が、いかなる霊的な磁場の影響下(憑依下)にあるか、素性の卑しさがわかろうというものだ。

 ゆえに、正しい供養と慰霊は、祟りを解除するだけでなく、霊そのものを成仏させることにもつながる。そうして初めて、あの世もこの世も、子孫の未来も無事安心というわけである。すなわち、自分の先祖であれ、怨みをもった相手であれ、きちんと菩提をとむらえば、家名は長く続き、衰滅をまぬがれる。天の助け、神のおかげもこうむり易くなるというものだ。

 ちなみに、神道一本やりと思いきや、皇室にも菩提寺というのがあったりする。京都の泉涌寺(せんにゅうじ)という真言宗・泉涌寺派の総本山だが、歴代天皇・皇族の位牌が祀られ、皇室から歳費が出ている。

 このように、死者・先祖の弔いや供養というのは、子孫のなすべき義務であり、おろそかにすれば、わが身や子孫に凶災がふりかかる大事なのである。平家と源氏の戦いでも、一定の数の戦死者が出るごとに、両軍とも一時停戦し、たびたび盛大な法要を営んだというから、昔の日本では戦争にもちゃんと気をつかったのである。

 ましてや、殺した敵兵の首や耳や右手、睾丸などを、ちょんぎって山のように持ち帰り、その数で戦功を競うという、大陸ではあたりまえな戦勝行為も、ついに一般化しなかった。たとえば、古代エジプトのファラオの軍は、戦死した敵兵の右手や睾丸を切ってザルやカゴに積み、戦勝記録の役人に数えさせ、その数を誇らしげに記録させたという。戦争に負けて捕虜にでもなろうものなら、性器を切除されて奴隷にされることが多かった。

 中東では、戦勝者が敗者の睾丸を戦利品としてもぎとり、英雄の墓にそなえる慣習が、十九世紀まであった。そのため、当時の侵略者であるイギリス人やオランダ人の兵士らを震え上がらせたという。中国などでも、階級によらず切り取った首や耳などを山積みにし、塚を築いたというくらいだ。

 今でも、春秋戦国時代の何万という頭蓋骨が、まとめて発掘される。また「京観」といって、敵兵の死体を何百何千と積んで丘をなし、その前に祭壇をしつらえ、戦勝祈願したということも、当たり前のように行なわれていた。

 敵の戦死者に対する側隠の情=武士の情けなんてものは、大陸側にはいたって希薄なのである。

 ところが日本では、せいぜいが敵の大将・名将の首をとることで、功名を上げたぐらいである。雑兵の首をとっても、何のたしにもならなかった。

 大祓祝詞の中で、国津罪=一般の民の罪として「生膚断ち(いきいはだだち)、死膚断ち(しにはだだち)」というのがある。生きた人間の皮膚を傷つけることをしてはいけない。死体に対しても、その体を傷つけてはいけない、という戒めがある。延長すれば、手術でメスを入れるのも、司法解剖をほどこすのも、「国津罪」に当たる。ゆえに、死者の霊に対しても、当然のごとく気くばり目くばりを忘れない。そこが最大の美点であり強みでもある。

 現代でも、終戦以来、南洋に遺族や戦友がおもむき、大東亜戦争でなくなった兵士たちの遺骨をあげ、慰霊祭をおこなう。これには、霊的にけだし重要な意味があり、戦死者の怨念や執着を解消しているのだ。

 成仏できないというのは、死者にとって血の涙が出るほど、大変に辛いことだ。供養を単なる気休めや迷信や自己満足だなどと思っていたら大まちがいである。

 ただし、いうまでもないが、供養・慰霊の際、霊能者や新宗教に頼るのは、絶対に禁物だ。新聞のチラシに入ってくるような、あやしげな密教っぽい僧侶・寺院などにも相談してはいけない。やるなら、困舎の小さなところでもいいから、ちゃんとした地域の檀家がいる寺院の僧侶や、神社の神官などに「先祖供養」「法要」してもらうことが大切である。

 供養の仕方には、主に仏式と神式がある。どちらでも、そこに「ありがとう。ごめんなさい」の気持ちがあれば、僧侶や神主を通じて慰霊につながる。

 ただし、生前、仏式の供養しか知らなかった故人には、やはり仏式で供養しなければ通用しない。いきなり神式で供養しても、困難な問題が発生する。最終的には成仏するにしても、それまでの仏式から神式へ変換するさい、遺族にも一時的になんらかの支障が生じるという。神式から仏式へもしかりだ。

 以上のような観点で見ると、一つの結論が描ける。日本は、これまで「元寇」「幕末」「敗戦」と、国運にかかわる重大事変を、すべて奇跡的なタイミングで切り抜けてきた。その上、諸外国にはまねできないペースと規模で、焼け跡からみちがえるように復興した。

 これは、人獣虫魚・道具を問わない「供養・慰霊」「祭祀」を、天皇から庶民にいたるまで、御先祖たちが、忘れずに継続してくれた結果ではないだろうか。その地道な活動が、ある種の「運のバリア」を形成し、そのひとつが「神風」となりえた。筆者には、そう息えてならないのだ。

 逆に考えてみよう。現代では、霊的にネガティブな対象を慰め、鎮め、祀る人々が少数派となっている。正しい供養と慰霊の美風がすたれ続ければ、日本は古今東西の滅んだ国々と同じように滅び去るにちがいない。

 いやな想像だが、戦後五十年の奇跡的な復興は、本当に国民の努力の賜物、正味の実力だったのだろうか。むしろ、先祖たちの「供養と慰霊」の歴史が積みあげた「幸運の貯金」の単なる消費にすぎなかったのではないか。

 もし、そうだとするなら、現代の状況は、国運の興廃を決する未曾有の重大な危機である。なぜなら、供養されない死者の霊は、何代にもわたって子孫を狂わせるからだ。成仏しない霊が増えれば増えるほど、子孫や関係者の心はその闇にとりつかれ、荒廃してゆくものだ。

 こうして見ていくと、こんにち深刻な異常性欲、児童虐待、アダルト・チルドレン、少年犯罪の凶悪化など、家庭崩壊の問題は、身体、精神、霊の三つの分野での原因の複合した結果だとわかる。まず身体的には「食品汚染(1.添加物 2.天然ミネラル、ビタミンの欠如した食生活 3.体内蓄積の農薬・化学肥料・医薬)や電磁波(民放によるテレビ放送もふくむ)」、精神的には「民主・人権・自由、唯物拝金」などのサタニズムの思想・教育、霊的には「不成仏霊」の要素だ。

 この物心・霊の汚染による典型的な国家破壊・家庭破壊の例が、欧米、特にアメリカの頽廃ぶりだ。日本のような、頻繁な供養と慰霊の慣習が、従来より欧米にはない。それゆえに、荒廃・衰亡の一途をたどっている。怨みと怒り、妬みと憎悪の霊が、ハリケーンのごとく荒れ狂い、国艮を根絶やしにし、滅ぼしつくそうと邪悪な津波を送り続けているのだ。

 今のままなら、欧米は近未来において、必ず滅亡する。無数の怨霊、不成仏霊の憎悪と怨恨・復讐心は、もはや地球そのものを破壊しかねないレベルに達している。おそらくは、十億単位の人の命を生贄(いけにえ)にしない限り、その怨みは晴らされないだろう。

第8弾(5):『つつしみ深き日本の美徳』