第一章:『埋没した皇室神道』

 本稿は、大和維新塾機関誌『石笛(いわぶえ)』誌上にて、第6号(平成10年 7・8月合併号)〜第11号(平成11年3月号)に連載したもののうち、6〜7 号に掲載された第1〜2章を転載したものです。

(石笛編集部の連載時の紹介文)
■本誌より〜今回の連載は日本の深奥『神道』に関わる非常に重要な書です。日 本の神道は明治維新で一部が壊され、そしてまた大東亜戦争敗戦により根底が破壊 されました。日本の神道とは宗教とは異なる特異な文化であり、同時に軍国主義と はまったく無縁の存在です。多少難解な部分もあるかとは思いますが、この書を本誌 全読者が熟読し、その内容を出来うる限り多くに広めていただけることを切望いたし ます。

『白き王家の道』

第一章:『埋没した皇室神道』

◎1:天皇家御用達の白川伯王家

 伯家〜「はっか」または「はっけ」と読む。皇室内の祭儀を、十一世紀から明 治維新初期まで、八百年にわたり、ずっととりしきってきた由緒正しい貴族の家 系である。

 あらかじめおことわりしておくが、易の八卦、現代中国・華僑の実力層「客家 (はっか)」とは、いずれも関係はまったくない。

 正確には、白川伯王家(あるいは略して白川家)と呼ばれる。

そもそも宮中の祭祀をつかさどる役職を、平安時代より「神祇伯(じんぎはく )」という。白川家はその専門の名家であった。祖先は、十世紀は花山天皇の皇 子・清仁親王(すみひとしんのう)である。その子・延信(のぶざね)王の代か ら、世襲で宮中祭祀を担当する神祇伯の家系がはじまった。

 「伯王」と呼ばれるのは、天皇の代理(《御手代??みてしろ》という)として宮 中 祭事や行法を執行することもあったからで、血筋上と立場上の二つの意味で、 「王」の位を賜ったものである。すなわち「神祇伯」の「王」で「伯王」となる。

 この白川伯王家に伝わる宮中秘事、天皇みずからがおこなう「天子の行」(こ れは筆者が便宜上、仮定した名である)はじめ祭儀の行法、またそれにもとづく 理論等を総称し「伯家神道」または「白川神道」という。これは文字通り、天皇 のための、皇室のための神道を意味している。

もっとも、宮中祭祀をつかさどったといっても、民間向けに何の活動もしてこ なかったというわけではない。諸国の神職の総支配元として存在していたし、宮 大工らへの官位の授与などもおこなっていた。

この白川伯王家の伯家神道は、平安時代中期から明治二年まで八二三年間、三 一代にわたって続いてきた。ただし、室町後期からは新参の吉田兼倶(よしだか ねとも)が、吉田神道をひっさげて台頭したため、伯家神道は圧倒され、結果的 におしのけられ気味となった。

 明治初期まで一応、伯家と吉田家とで、日本の神職認証の手続きのほとんどが 執行されていたが、吉田家が主、伯家が従といえるほど、力関係の差には歴然た るものがあった。事実、江戸時代を通じて、神職の免許授与の大半を、吉田家が 行うほど、神道界は吉田神道に席巻されていたのである。

 当時、吉田神道が、どれほどいばっていたかは、彼らが「神祇管領長上」(= 神道界で最も偉い首長の意)と自称していたことからも分かる。由緒正しい先輩 神祇の伯家の面目はまるつぶれであった。このように、威勢にかかって、皇室ゆ かりの宗家名門を圧伏する吉田家の態度は、神道を奉ずる者として、決してほめ られた姿勢ではなかろう。この吉田神道については、いずれ稿を改めて御説明し ようと思う。

こうして、後発の吉田神道に大きく水をあけられながらも、伯家神道は命脈を 保ってきた。あたかもそれは、将軍家に押され続けた皇室と、軌を一にするかの ようであった。

 明治維新とともに天皇家は、みごとに復活を遂げた。それにもかかわらず、伯 王家は再起しえなかった。一時は、神仏分離令とともに、筋金入りの神道が復権 するかに見えた。しかし、その望みはあえなくついえる。おそらくは、明治維新 の元勲たちの国策誘導による本来の神道の歪曲・政治的操作の結果だろう。既存 の神道界をいわゆる「国家神道」として、管理下に置くプロセスで、伯家という 家柄そのものが廃止される。そこで伯家神道も表舞台から消えることになった。

この明治政府が、当時の神道界、全国の寺社に対しておこなった政策は、今日 の日本人の宗教的精神漂流の淵源となる最初の暴挙といってよい。

 明治二二年の町村制の実施を受け、明治三九年より、旧来の鎮守(ちんじゅ )・産土(うぶすな)神社の統廃合が、全国いっせいにおこなわれた。それがど れほどすごい勢いだったか、以下の数字の変遷から読み取ってほしい。

明治三九年の全国の神社数は十九万三千社、ほぼ二十万である。それが五年後 には十一万社に減り、そのまま大東亜戦争の終結を迎える。そして、こんにちで は八万社しかない。現在の日本は、明治期の半分以下に神社を減らしてしまった のである。神霊の御加護も半分以下になったのだろう。大戦争に負けたあげく、 現代のめちゃくちゃにもつれこんだ一因と考えても、まったくおかしくない。

(筆者注:鎮守とは、有名無名・規模の大小をとわず、集落・地域ごとにある神 社。産土とは自分の生家・出生地に最も近い鎮守のこと。簡単にいえば、現住所 に最も近い神社が、鎮守さまである。日本全国、鎮守だらけであることはご存じ の通り。生まれてから住所の移動をしない人は、産土が鎮守ということになる。 産土のことを“氏神”といったりするが、厳密にはちがう。自宅の庭に、神棚と 別に祀る氏(家〜うち)神と混同されているのである)

これら一連の神社の合併・統廃合を定めた施策を「合祀令」という。「国家・ 皇室に服属する神道」という枠をまずあてがって、人が神を分類し、複数の神社 をむりやりひとつにまとめ、勝手にラベルの貼りかえをしたのである。こうして 内閣の指示により、全国の神社で、それまで祀られていた古い御神名が変えられ たり、新しい別の神がつけ加えられたりした。その結果、神社自体の名称の変更 もあまたにのぼった。

 政府の都合にあわせて『古事記』からとった神々が、それまでの神をおしのけ て据えられ、祀る神の名が変えられた。当然のごとく、かなりの混乱が起こり、 こんにちまでそれは復旧されていないし、また元に戻すのは不可能であろう。

 その結果、古事記にも日本書記にも、また九世紀の『延喜式』の全国神社一覧 にも記載されていないような神社とそこにます神々が、記録の上から多く抹殺さ れることになった。縄文以来の古い神々の名と、それを祀る社が、政府の指示の もと、既存のよく知られた神々のものにすりかえられてしまったのだ。

 その種の神社におこなわれた操作は、人体でいうなら、以下のようになる。用 意した箱に仕分けし、おさめるために、はみ出ておさまらない手足を切断し、関 節をはずしてねじり、無理やりサイズ合わせをするという、血まみれの惨劇であ った。あろうことか、明治政府は「神仏の平準化・寺社の品質管理」をやってし まったのである。

 ただし、八百有余年も続いた伯家神道とその核心行法が、明治二年以後、まっ たく宮中からしめ出されたと、にわかには信じがたい。秘中の秘の「奥伝」のみ 残し、あとは下野したと考えた方が自然ではあるが、菊のカーテンの向こうのこ とは、一般庶民にはなかなか触れられない範囲だ。何ごとにつけても真偽を定め づらい所がある。

こんにち神道復活を叫ぶ人々の間では、伯家神道がクローズアップされ、高い 関心を呼んでいるという。かつての宮中祭儀や、天皇だけに許されていた行法の 内容等も、京都周辺で極秘裏に伝えられているというのだ。むろん、口外無用の 儀式があるらしい。その割には、菅田正昭氏のように、《伯家神道斎修会》とい う伯家行法を学ぶ会に参加し、実体験をもとに、自著にけっこう詳しいレポート を載せたりする神道研究家もいる。正直いって、どこからどこまでが「奥伝」な のか、今ひとつ眉に唾してしまいたくなる。

 前述したように、部外秘ではない「民間向け」の分野の行法だけが、今も民間 有志に対し、おごそかに伝えられていると考えても、不自然ではない。伝授され た人々が、秘密でもなんでもない行法を「門外不出」と誤解し(あるいは誤解さ せられ)、ひたすら有り難がっているという、皮肉な見方もできなくはない。

 しかし、次項に述べるような根強い危惧と不安があることも、また事実であ る。

◎2:翳る太陽、そこなわれる御稜威(みいつ)

伯王家が解体したことで、皇室祭祀にある大きな変化があったという。何があ ったのかというと、「天子の行」が行われなくなったらしいのである。“らしい” というのは、著者にそれを証明し断言するだけの資料が、手元にないからで、い ずれそれをなんらかの形で確認したいと思っている。

 詳細は後述するが、皇位継承者が、天皇に即位するに当たり、まずやるべき伯 家の行法があるという。その行法をおこなってこそ、初めて継承者は《天皇》と して、認められるのだという。

明治天皇までは、この承諾を得る「儀式」が、確実に伯家主導のもとで執行さ れたらしい。逆にいうと、この儀式を通じて《天皇》とならない限り、完全な天 皇とは呼べないという理屈が成り立つ。

 たしかに、一定の形式を踏めば、継承者御自身が即位し、国民や臣下に皇位を 認めさせることはできる。

 しかし、天皇というお立場は、それだけでは不完全だ。伯家の行法ぬきでは、 いわば《条件付き天皇》《天皇代理》と呼ぶほかない状態となる。

読者のみなさんは、伯家が明治期に宮中祭祀から手を引かざるを得なくなった という経過を、ここでよく考えて頂きたい。天皇即位を完全ならしめる行法をつ かさどる伯家が、明治天皇に伝授したのを最後に、廃止されて埋没してしまった。 これは何を意味するだろうか。

残念ながら、伯王家廃止以後、現在にいたる宮中祭事が、いかなる系譜の人々 によって行われているか、中をうかがい知ることはできない。しかし、この白川 伯王家が明治天皇への行法授与を最後に、神祇伯をまったく解任されたことが事 実なら、次のような恐るべき結論が導きだされる。

 すなわち、大正天皇、昭和天皇、今上陛下は、いずれも伯家の行法を受けられ なかった。その御立場は厳密にいえば《天皇代理》となる。もちろん、皇位継承 者以外には、絶対になれない《代理》ではあり、実質上《天皇》以外の何者でも あらせられないのだが。

では、伯家の行法を受けないことで、どんな問題が発生するというのか。読者 のみなさんは、そう首をかしげるだろう。

問題は、権力や階級構造のレベルではない所にある。端的にいってしまうと 、《御稜威(みいつ)》の働きが、不完全にしか国家国民に及ばなくなった可能 性がある。その不完全という点が問題なのだ。

ここでいう《御稜威》とは、天皇にしかない《権威》《御威光》のことである 。これは形式的なものではなく、無形でありながら確実に存在する一種の巨大な 《神霊的生体力場》といってよい。いわば、神霊的・民族的・血統的に、極度に 強められた生体波動のことだ。?神霊という天の力・?民族という横広がりの地の 力・皇室歴代の天皇・皇族という祖先霊集団の人の力。この三つが、天皇という 個人に集約され、抗しがたい影響力(権力ではない、浄化力や保護力)として、 国民の精神の規範となる。

 わかりやすくいえば、天皇の《カリスマ(神よりの賜物の意)》《卓絶した存 在感》《畏れを引き起こす影響力》《不可侵・神聖さを抱かせるオーラ》という 形で現れる神性の総称である。

神性という言葉が出たところで、「神」という語についてひとつ説明を加えた い。

 宗教関係者でも、あまり指摘しないのだが、日本と西洋では、同じ「神」とい う言葉でも、その姿が全く異なる。具体的にいえば、西洋の《GOD〜ゴッド》 を、日本語で《神》と翻訳しているが、その訳には大きな問題がある。日本に おける《カミ》の姿と属性は、西洋・聖書世界の《ゴッド》とは、かなりちがう。

 現代の日本人が、「神」といわれて反射的に思い浮かべる「全知全能」「善悪 を裁く存在」「万能の力をもって難題を解決する超越者」というイメージは、残 念ながらみな《ゴッド》である。

 日本の《カミ》には、そういった“万能の力・強力な権能”といった属性を見 いだせない。力をふるって何かするというイメージではないのだ。むしろ「完全 無欠な謙虚」「純粋無垢、無私」「我欲や執着のない無色透明かつまことを尽く す神霊」という他はない。

私が天皇が象徴する「神性」といったのは、そういった《カミ》の側にある属 性を指している。したがって、理想としての天皇は、日本国の最高権威を体現し、 なおかつそれを国民に無理じいすることなく、ごく自然に体感させる波動を発す ることが使命の存在だろう。

 すべての歴代天皇がそうだったわけではないが、以下の境地を国民の模範とし て目指して来られたのは確からしい。すなわち、静謐(せいひつ)で深遠な権威、 鏡のごとき無私無我、自利を排した滅私利他・全き自己犠牲の境地。

筆者がここで、《御稜威》といっている力は、そこに源を発している。もちろ ん《ゴッド》にはない能力だ。今いった《神》から分け与えられた「純粋・無我・ 至誠」を体現する影響力のことだ。この意味において、天皇を《現人神(あらひ とがみ)》と呼んでも違和感は生じないはずだ。

戦後の日本人が、天皇を《ゴッド》のイメージで見て嫌うのは、見当はずれも いいところで、あからさまなまちがいだ。真正の日本古来の《神》のイメージで、 すぐにも見直すことだ。そうすれば、現人神という言葉にも、いちいち目くじら を立てる必要はなくなる。

そして天皇は、この《御稜威》という人知を凌駕する力を、あらゆる国民に、 まんべんなく照らしてこそ、完全なる天皇といえるのである。それゆえに、国民 の繁栄と安寧を、それとなく無自覚的に守り導く力の発振源として立たれてきた のだ。天皇は神ではないが、日本の大神官長として、神より預けられた不可侵の 神霊的な浄化力がある。それが《御稜威》なのだ。

ここで、天皇を太陽に、稲を国民に、国家社会を水田という大地にたとえてみ よう。御稜威とは、太陽光線にあたると考えてもらってよい。むろん、太陽に黒 点があるごとく、また雲がかかって日がかげるように、太陽は輝いても、それを はばむものがあるのは現世の宿命である。

 天皇の行法としての伯家の儀式は、天皇という太陽を、黒点も雲もない状態に 保ち続けるために不可欠な条件だったのかもしれない。その儀式なしで即位すれ ば、天皇太陽の御稜威という日光は、いずれ太陽自身の黒点の増殖と、かげりゆ く暗雲にはばまれることになる。国家国民なる水田には、太陽の光と熱が、不完 全な形でしか届かず、不吉な結果をもたらす。

具体的には、国家的自尊心の喪失、建設力と徳性の退歩、国民の劣弱・不健全 化、国民全般における子孫の衰退・異常化である。実際の水田にたとえれば、冷 害や天候不順による不作以外のなにものでもない。

 ふりかえり見て、現代日本のありようは、どうだろう。伯家神道は「奥伝」を 、大正天皇、昭和天皇、今上陛下へと伝えてきたと、だれか断言できるだろうか?

◎3:王制否定のユダヤ民族

さて、突然でもうしわけないが、ここで少し、より道をお許しいただきたい。

 というのも、“天皇は太陽、御稜威は太陽光線、神性を象徴するもの”なんて いう文章を書くと、何がなんでも天皇を悪とみなす偏った価値観の持ち主が、必 ず色々と難癖をつけてくるからだ。たとえば「この筆者は、天皇崇拝論者で神格 化している。現人神を否定するように見せかけながら、その実、天皇神格論者な のだ」とか。

 困ったものである。だから、「ゴッドとカミはちがう」と、わざわざ説明した でしょうに。

 至高存在についてのイメージのちがいで分からないなら、次のような意見はど うだろう。天皇陛下は日本の国王である。国民が国王に崇敬の念を抱くのは、な ぜ悪いことなのか。相応のお立場で、国事を遂行なさる御方に敬意をはらうのが、 どうしていけないことなのか。

 できることなら、ちゃんとわかるように説明してほしい。むろん社民党の元党 首のように「ダメなものはダメ」ではダメで、以下のような答えも、すべて同列 である。

「学校で教えられたから」「知識人たちがそういっているから」「新聞にそう書 いてあるから」「それが一般常識になっているから」。あーあ、小学生じゃある まいし、ちょっと勘弁してください。

彼らが自分で調べて、自らの頭でしっかり考えた結果ではどうなのか。だれか の教えや受け売りでない独自の発想ではどうなのか。それを知りたい。

ここまで言われて、ちゃんと答えられる人ならいい。が、そうでない人たちに は、ここで釘を刺しておきたい。自分の価値観が絶対に正義と思う割には、勉強量も 絶対に不足している人びとから、反論のための反論を聞かされるのはうんざりだ。

天皇反対を叫ぶ人々は、世界における王権や皇帝の歴史について、まずよく知 らないだろうから、ひとことお伝えしておこう。中国の歴代皇帝やローマ皇帝は じめ、聖書文化圏以外の世界で「神格化(ゴッド的な意味で)」されなかった王 や皇帝はいない。近代以前の世界では、「皇帝」「王」というのは、庶民にとっ て現人神あつかいが普通だった。人民の病を癒し、幸福をもたらすサイキカルな 力があるとされ、一種のメシア的な崇拝のされかたさえしていたのだ。

 聖書文化圏のヨーロッパでも、ローマ法王が神格化されて、長く「キリストの 代理」と信じられた中世の時代があった。

しかし、なぜ聖書文化圏では「神格化」「ゴッド化」が、他の文化圏に比べて 進まなかったのか。その理由は、もちろん旧約聖書およびユダヤ民族にある。

そもそも、ユダヤのゴッド・ヤハウェは、神と民とを仲立ちする預言者的人物 のみを、民族の統治者としてきた。ヘブライ民族(ユダヤ人の前身)となってか らも、族長はいても王というものはいなかった。その時期は、一千年間にもおよ んだという。

 ところが、紀元前十一世紀に初めて、ユダヤの民は近隣の諸国の王制をまねし 、自分たちにも王が欲しいと神に望んだ。

 当時、民を治めていた大預言者サムエルが寿命だったので、人々は次の指導者 を切に求めていた。サムエルの息子たちも、一応、指導者にはなっていたが、賢 父愚息のたとえ通り、賄賂の額によって裁判の判決を変えるような、後継者失格 の連中だった。

 そこで、サムエルの血筋に頼れない民は、「あなたが亡くなる前に、次は王を たてて欲しい」と告げたのである。サムエルは、「ヤハウェ以外になぜ王が必要 なのか。困ったもんだ」と思いながら、ヤハウェにおうかがいを立てると、ヤハ ウェのお答えも、やっぱり「困ったもんだ」。

 そのときヤハウェいわく「この民は、いつもこうだ。ヤハウェよりも目に見え る人間や偶像の方にひかれる。これまで何度、ゴッドである私をほっぽって、人 間や偶像の神に心を移してきたことか」。

 そして、サムエルにこう命じた。「しょうがないから、民のいう通りにしてや れ。彼らはまたまた、形なきゴッドである私よりも、形のある人間に頼った。や むをえない。王を立てるがいい。しかし、王を立てることによって起こる弊害の 数々を、厳しく警告せよ」

 サムエルは民に警告する。「王を立てたら、おまえたちの息子は兵隊にとられ 、娘たちは召しあげられ、こき使われても、文句もいえない。おまえたちの土地、 財産、作物、家畜も、王の名のもとに課税され、とりたてられ、随時徴発される。 結局は、民もその財産も、王の奴隷となり私物化されることになるのだ。以後、 そんな憂き目になったとしても、おまえたちが望んだ結果なのだから、ゴッドも 助けては下さらないぞ」

 つまり「警告はするけど、何がどうなっても、もう知らんぞ」とユダヤの主宰 神が、サムエルを通じておっしゃったわけである。それでも、民は王を望んだ。 (『サムエル記』上巻 八章五節〜)

そして初代の王になったのが、サウルという若者だった。このとき、サムエル は、サウルを王と認める証に、若者の頭にオリーブ油を注ぎ、したたらせた。以 後、代々の王は、即位のとき、頭頂から額にかけて、預言者によって油を注がれ ることになる。他民族の「戴冠式」に当たる儀式だ。

救世主の意味で知られる《メシア》という言葉は、ここから生まれた。《油を 注がれたもの》というのが原義なのだ。もともとは、この「油をそそぐ」しきた りは、預言者や祭司に対する任命の儀式なのだが、それを王の即位の場にまで延 長したのである。

その後、ヤハウェとサムエルの警告通りになってしまって、ヘブライ民族はさ んざんな苦労を味わうことになるが、ユダヤの歴史が本題ではないので、この辺 にしておく。

何がいいたいかというと、根源的な意味で、ユダヤ人あるいはその宗教は、王 制に対して批判的かつ否定的なのである。神さまがしぶしぶ即位を認めた存在を、ど うして「現人神」と崇めることができよう。崇めていいのは、ゴッドだけなのだ。 王を崇めることは、彼らにとって「偶像崇拝」になってしまう。

 ところが、彼らは純粋にヤハウェ崇拝だけを奉じていられたかというと、そう もいかない。なにしろ、自分たちから、神にさからい王を求めた実績がある。建前は 、王制否定なのだが、本音はやっぱり王様が欲しい。そこで、宗教的な預言者・祭司 の資質と、政治・軍事の権力者の性質をかね備えた「救世主」にして「覇王」と でもいうべき人物を待ちのぞむことなった。それがユダヤ人たちが、いまだに待 ち続けているメシアである。

 つまり、《油そそがれし者〜メシア》には「預言者・祭司・大神官」としての 側面と、「権力者・政治家・大王」としての側面と、二種類あるのだ。東洋的に たとえるなら前者を「王道」、後者を「覇道」とみなすことができる。そして、 この二つの道は、相容れない矛盾である。

 こまかくいえば、「預言者・祭司」的な救済能力・理想主義(《カミ》に通じ る)と、「権力者・大王」としての政治能力・現実主義(《ゴッド》に通じる) は、一個の人物の中には両立しえない。メシアを期待するユダヤ人の愚かさは、 この「王道」と「覇道」の両立不能を、納得しようとしない点にある。

 彼らユダヤ・エリートの陰湿さは、「王制はゴッドへの反逆だから、あっては ならない」という建前を、非ユダヤ民族・非ユダヤ国家のすべてに、民主主義・ 近代共和制という形でおしつけてきたことだ。そのくせ、彼ら自身は例外とし、 彼らだけの覇王を求め続けている。

 だが、彼らが期待するようなメシアは、今後も現れることはない。現れたとし たら、そいつはまちがいなくニセモノである。そもそも、ヤハウェ神は、まずユ ダヤの民にのみ、「王をいただくことは、ゴッドへの反逆とみなす」と宣告して いるのだ。他民族の王制にケチをつけて破壊工作するより、自分たちから覇道の 王を求めることを、まず止めて見せよ、と言いたい。

 それが、彼らの身のためでもある。「覇王としてのメシア」を待てば待つほど、 彼らは自分たちの神への逆らいを、より深刻にし、より悲劇的な事態を招来する ことになるのだ。もう、どーなっても知らんぞっ、と私もサムエルにならって言 おう。

◎4:伯家口伝の滅亡予言

ところで近頃、あちこちで伯家神道の口伝として、ある不気味なことが予言め いたいいまわしで伝わっているらしい。最近では一連の『日月神示』の解説本で 知られる中矢伸一が、最新刊『日月神示〜彌栄への道標』(KKロングセラーズ) の中で、やはり同じ予言を、以下のように紹介している。

いわく、「伯家による秘伝の神事を授けられない天皇の御代が、百年間続けば 、日本の国体は滅亡するだろう」

前述した通り、明治天皇が最後に「秘伝」を授与された天皇であるとすると、 授与されない天皇の御代は、大正天皇からはじまったことになる。明治天皇崩御 にともなう大正天皇の御即位は、西暦一九一二年。それから伯家の天皇専門の奥 伝神事が、一度も復活しなかったとすると、百年後は西暦二〇一二年となる。こ の予言が本当だとすると、日本滅亡まで、あと十四年たらずである。

口伝という所が、またまた真偽定かならざる所だ。とりようによっては、明治 天皇を最後に冷飯を食わされ、皇室から引き離された伯家神道の人々が、くやしまぎ れに流布した説と見えなくもない。あえて下種な表現をするなら、「ちくしょう、 ふざけやがって。オレたちがいなけりゃ、日本は百年もしないうちに滅びるんだ からな、おぼえてろっ」という感じである。

面白いのは、古代マヤの暦にも、「世界の終わりの日」の予言があり、その日 はちょうど二〇一二年(別の説では一一年)に当たるという。この予言が、確た る証拠資料にもとづいているのなら、これほど不気味な話もない。なにしろ、日 本の国が滅びるのと、世界が終わるのとが、同じ年に起こるのだ。

 ちょっと、申し上げておきたいが、《世界の終わり》予言が本当だとしても、 何もかも破滅して再起不能になるという悲観的な予測を、筆者は否定する。《終 わり》というのは、《卒業》という意味に解釈しているからだ。

厳密には、ノアの洪水直後から、古代の四大文明を経過して現代にいたる文明 周期の《終わり》である。大晦日の除夜の鐘のようなもので、次に来るのは御正 月と決まっている。人類史の新しいサイクルの開始である。

人類は滅亡しない。なにしろ、ノアの大洪水でも滅亡しなかった。日本も、一 時的に国が滅んだとしても、民族が絶滅するとは思えない。なにしろ、大東亜戦 争の焼け跡から復興した国民である。

 ノアの洪水から、今日の文明を築いた人類、敗戦の焦土から現在の繁栄を築い た日本人。この過去における世界と日本の相似現象を延長すれば、今後たとえ破 滅的な状況に陥り、何十億もの人命が失われ(その中に自分や家族が入ったとし ても)、海陸が交替するほどの天変地異でしっちゃかめっちゃかになっても、大 丈夫。世界も日本も必ず復興するはずである。それは過去の実績が証明している。 二度あることは三度あるのだ。

 滅亡は、しないに越したことはないが、滅びるのも理由があってのことで、む やみやたらと滅ぶわけではない。今後、さらにさらにチョーきびしい状態に陥る のは、火を見るよりも明らかだし、あらゆる意味で真冬の厳寒で凍りつく。だが、 『論語』の中で孔子は「常緑樹が落葉樹と区別できるのは、冬になってからだ」 といっている。

 自分が榊や松のような常磐木か、ドングリやケヤキのような落葉樹か、この期 に及んではっきり分かるというものである。“枯れ木も山のにぎわい”などとい っていられたのは、高度成長期やバブル時代の話だ。

もし、今が本当に人類文明の《卒業》の時期なら、卒業試験の最終科目に近づ いていることは確かだろう。そう考えれば、皇室御用達の伯家神道にまで終末予 言がまとわりつくのも、むべなるかなである。

 さて、この予言が真実かどうか、筆者としては、なんとか確認したい。こうい った予言が出ても、おかしくない流派なのかどうか、あるいはどこからでデッチ あげられたニセ予言なのか、概要を知れば見当がつくはずである。

 その前提として、「伯家神道」とはいかなる行法を内部でおこなっているのか、 その具体的な内容について調べる必要があるだろう。次章ではくわしくその活動 に焦点を当ててみたい。 

(第一章終わり。)

第二章