「神と天皇・大嘗祭」考(一)

「神と天皇・大嘗祭」考

*カミとゴッドの違い

 新天皇が即位した証として執行される、一世に一度限りの大儀式「大嘗祭」の根底にあるのは、いうまでもなく神道である。崇拝の対象は「天津神・国津神(天神地祇)」すなわち八百万の神々となる。しかし、この「カミガミ」は西洋でいう「ゴッド」ではない。

「神」といえば、どうしても「全知全能・無敵の支配者」というイメージがあるが、それは聖書やコーランなどの一神教の「ゴッド」のイメージである。「ゴッド=支配する一方で、人間と隔絶しており、生き物や地上の自然物などに神が宿ることはない」という事が基本にある。そこでは、神と人間は、あくまでも別物である。

『古事記』『日本書紀』(以下『記紀』とまとめて表記)で天皇家の祖神とされる天照大御神は、この現実世界になくてはならぬ太陽をシンボルとする神の形で君臨しているが、『記紀』には非常に多くの「神々」がお生まれになって、多彩な自然現象や自然物に姿を変え、持ち場を担当するようになったという説明がなされている。

 これら神道における「カミ」は、「ゴッド」とは全く異なり、家族的な神霊観・世界観によって支えられている。「神」という漢字(漢語)も「雷の稲妻・天の神・眼に見えない霊妙な働き・魂・こころ」等の意味を持っていることからも、「神とカミ」いずれも「ゴッド」とは異なることがはっきりわかる。「ゴッド」は、音でも訓でも、正しく翻訳されていないことになる。

 縄文時代(あるいはそれ以前)からの日本の自然観・神霊観を、文字の形で集大成した『記紀』には、「カミ」は「生まれて生むもの。わが身を分割して別の神々を生む存在」として描写されている。

『古事記』でいえば、宇宙根源の神「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」からはじまり、その神霊が分割に分割を重ね、それぞれの個性を発揮しながら、森羅万象の八百万の神になるという構造になっている。すなわち、あらゆる神々が「同じ根源神からわかれた親子・兄弟・分家」であり、いわば「同族のカミガミ」として仲良く日本の森羅万象を治めているかのようだ。

 この「同族・血縁」感覚が、諸外国の大宗教にない「神道」独特の雰囲気の理由かもしれない。水も空気も土も木も金属も、人間をふくむ動植鉱物も、みな「カミの子」である。伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の両神が、日本の国土を「生んだ」という、「国生み」のくだりも、「カミの子としての日本列島(その上に生きるすべての生き物もふくむ)」が明記してある。日本全体が、小さな島々にいたるまで、非常に温かい高天原の親神の慈愛の対象となっているのである。

 たとえてみれば、すべてのカミガミと森羅万象は、「天御中主神」という大神の「肉体」が、代々のカミガミに継承されつつ変じたものであり、いずれのカミガミも人類も動植鉱物も、肉体的にいうなら「血をわけた子孫」なのである。これは、カミとカミ、カミと人との関係が、「親子・先祖と子孫」という絆で一環して結ばれていることを意味する。

 一方、西洋ではどうか。「聖書」では、「ゴッドと人間は(十戒などの)契約関係を結ぶ」という形で、神と人は「主従関係」の色合いがある。これは「親子・家族」とは異なる発想だ。

 キリスト教でいえば、「ゴッドの子」は「キリスト」のみだとすると、他は「召使い」であり「使用人」のようなものではないだろうか。少なくとも、キリスト以外の人類や国土・動植鉱物は、「家族・同族あつかい」されないようだ。

* 八百万のカミガミとともに生きる

『記紀』は、伊邪那美神が、日本国土とそこに鎮座し統括する各地のカミガミやさまざまな自然現象を司る神を生み、火の神をお生みになられて亡くなる直前、嘔吐物や排泄物から金属や陶土を生み、また「豊宇気比売神(とようけびめのかみ・伊勢外宮の御祭神)」という人間の食糧や生活必需品の材料一切を支配する神の親となる神をお生みになったと伝える。

 さらに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、大気都比女神(おおげつひめのかみ)を殺すと、その死体の各所に五穀の種や蚕(かいこ)が生じて、根源神・天御中主神の次代の神「高御産巣神(たかみむすびのかみ)」が、それを人間に与えたとある。月読尊(つくよみのみこと)が、やはり保食神(うけもちのかみ・食糧の女神)を、体の中から吐き出した様々な食べ物でもてなしたというので殺している。これらの記事は何を表現しているだろうか。

「カミの死・殺害」という現象を、表面だけで捉えると、『記紀』の編纂者たちの意図を読みまちがえる。言葉の奥にある真意をくみとらないと「神ともあろうものが、なんで神を殺すのだ、ひどいではないか」などと誤解することになる。

 大事なのは、「殺された神の体から食料のもとができた」という表現で、これは「人間が、衣食住はじめ、生存に必要としている資源・材料のすべては『カミの肉体・分身・分霊』にほかならない」ことを言っている。「カミが変身した食糧・必需資源=形を変えて物質化したカミ=物であると同時にカミ」という意味がこめられている。

 人間的にたとえれば、親が自分の血肉を、わが子に食糧として与えている、自分の骨や爪や髪の毛を、生活必需品として与えている、という「究極の自己犠牲・カミガミの献身的愛情」を表現したものである。

 つまり、『記紀』に「神の殺害=衣食住の資源の起源」を書いた祖先の真意は、「われわれ人間は、国土というカミの上で、空気のカミを呼吸し、食糧のカミを食べ、水のカミを飲み、衣料のカミを着て、木や石や土のカミで家を建て、金属のカミで道具を作り、その他もろもろのカミによって暮らしている」という驚くべき生活感覚を描写しているのだ。

 すなわち、衣食住にまつわるもの、すべてが「物質化したカミ」であり、人間は「カミとともに暮らす」どころか、「カミを食べて飲んで着て呼吸している」のである。

 そして「皇室」の御存在は、カミガミと日本人の関係が、『記紀』に記された通りであることを、実証し続ける「生き証人」という不可欠な御役目を担っていらっしゃると思える。

 天皇とは、カミガミによって心身を養う国民が、カミガミに反して滅ぶことがないよう、注意深く祭儀をとりおこない、カミガミと日本人との間を取り持つ、大切なお役目である。このことをしっかり認識し、日々、天皇陛下と神々様に感謝申し上げるのが「神道」の本質ではないだろうかと、愚考する次第である。

 なぜ、そんな風に思うか、理由と根拠は、これから説明いたしたい。

*「天皇」の名称の起源

 まず、「天皇」という呼称の由来と意味について、説明しておきたい。「天皇(てんのう)」とは、もとより、日本語(大和言葉)ではない。古代中国の「天の神」の普通名詞「天皇大帝」からとったのである。

 この「天皇大帝」が「北極星」を意味することから、中国の皇帝と対等、かつ「国家(宇宙)の中心」という立場を誇示するために、7世紀、推古天皇のころより「天皇」と呼ぶようになったのがはじまりである。

 正式名称は「天津日嗣皇命(あまつひつぎすめらみこと)」とお呼び申し上げる。

「天の神から代々続く統治の使命をいただくお方」というほどの意味である。 「すめら」とは、「ばらばらなものをひとくくりに連ね束ねる」という意味の「すぶ」と同根の言葉で、現代でも統治することを「統べる」という。

 物理学的にいうなら「求心力の中心」ということになる。「すめら」には、「求心力の中心」「結び目の中心」という意味もあり、人体でいえば「心臓」、太陽系でいえば「太陽」に当たるだろう。

 すなわち、「すめらみこと」とは「国民の一人一人を玉と見立て、連ねて日本民族という首飾りにする<芯糸>たるを使命とされるお方」という意味である。

 記紀にある、無数の勾玉を連ねた「五百箇御統玉(いおつみすまるのたま)」の首飾りは、この天皇と国民の関係をたとえたものであると、筆者は解している。天皇がいなければ、日本民族は、糸の切れた真珠のネックレスのように、ちりぢりバラバラになるのである。

*「天孫」としての天皇

『記紀』(神代巻)では、西暦紀元前660年の初代神武天皇の即位より前の時代は、「神代」と呼ばれる。一説には、そこで活躍する神々は、肉体人間の状態と非物質的な神霊の状態を、自分の意志で自由に選択することができたという。

 いつでも好きなときに、肉体人間となり、神霊体となって、神霊世界と現世を往来する「半神半人」の時代が非常に長く続いたらしい。また、それと比例して、空気や水や土など、物質そのものの濃度や密度も、自由に変えることができたという。

 もちろん、伊邪那岐・伊邪那美、天照大神、素戔嗚尊などが登場した、神代でも非常に古い時代には、「肉体人間」の要素はほとんどなく、地上の様相もごくごく希薄な物質化だけだったという説がある。

 後述する「三種の神器」なども、そうした「物質化が希薄な時代」に造られたものなので、今日の金属や宝玉のような確固たる物質ではなく、もっと霊性の高いいわば「剣・鏡・勾玉」の形状をした「神霊エネルギー体(神々の想念が実体化したもの)」だったかもしれない。

  「神代巻」には、天と国土と海、動植鉱物の神々が出そろった直後から、早くも天皇につらなる記述が出てくる。

 それは、日本の国土を統治するため、皇室の祖先神とその周辺の神々が、高天原から人間として地上に降臨する「天孫降臨」というくだりだ。非常に特異で神秘的なくだりだが、神代も長く続くと、時間とともに徐々に神性の軽快さが失われ、神々も「半神半人」状態から、より重く固い「人間化」の段階に入ったらしいとわかる。

 しかしながら「天照大御神」は別格で、抽象的な神概念ではなく、現実の「太陽」のことをさしてきた。古来、日本には朝日に柏手を打って拝む習慣があり、今でもお年よりが、そういう「日拝」をしている姿をみかけるが、純朴さにほのぼのとした気持ちにさせられる。

 日本神話では、太陽だけでなく月も地球も、水素やヘリウムや星間物質が凝集してできた、「意識なき物理天体」ではない。「宇宙空間に現象化した神々のご神体(天体や物質の形をした人格神)」を意味し、人間の肉体に魂・意識があるように、太陽にも「太陽意識(太陽神の魂霊)」があると感じてきたのだろう。

 古神道家の中には、太陽光線は、光学的光線のみならず、高天原の「神霊波動の光」でもあると説く人もいる。人間が、太陽球を生きたご神体として、本気で感謝して拝めば拝むほど、「太陽光線中の神霊光」を受けやすくなり、その神威と福徳により、健康と幸運を授かるというのだ。

 明治以前より「日拝行」というのがあり、毎朝、欠かさず朝日を拝んで3ヶ月以上続ければ、運勢が好転するというのを、本で読んだことがある。自分で試してみたわけではないので、真偽のほどはわからない。

 人間の心身に、太陽光線が重要であるのは事実だ。ビタミンDとカルシウムの関係から、日光不足になると骨に異常が生じる「くる病」というのが、今より栄養状態のよくなかった時代にはあったし、太陽光線がないとカルシウムができないので、大変に困ったことになる。心臓の拍動にはカルシウムが不可欠なので、太陽光線をあびないと、人体の太陽ともいうべき心臓にも悪影響が生じる。

 太陽の人体に与える生理的な健康法については、西洋でも「ヘリオテラピー」というジャンルがある。カルシウム不足や体内時計の狂い、うつ病などにも太陽光線の不足が関与していることがわかっている。

 その太陽の御神霊たる天照大神は、『記紀』において、天皇家の祖先に対して、地上統治にあたって大きく分けて、三つの御命令をお与えになったという。同時にそれは、皇室の存在理由でもあり、「三大神勅」(後述)と呼ばれる。これを「三種の神器」(後述)「高天原の神聖な稲の種」とともに受けて、邇邇藝命たちは地上に「降臨(人間化)」したのである。

 このとき、邇邇藝命は「真床追衾(まとこおうふすま)」という、胎児を包む「羊膜」のような非常に繊細な、半霊半物質的な布膜に覆われて降りたという。これは、今日的に表現するなら「神霊世界のオーラ」とでもいうべきだろうか。物質化を起こすほど、きわめて強い霊的力場に包まれた胎児的な状態で、神霊世界から地上に「人間化(誕生)」したのではないかと筆者は見たい。

 実は、この「真床追衾(まとこおうふすま)」という名前は、現在に至る歴代の「大嘗祭」の御祭事でも、核心部の秘儀に必須のアイテムとして登場する。おぼえておいていただきたい。

 厳密には、天皇だけが「天孫」ではない。初代・神武天皇は、この邇邇藝命の曾孫にあたるが、随行して降臨した神々の子孫もまた、その後、有力氏族の祖先となっている。彼らは、伊邪那岐・伊邪那美の両神が生んだカミガミの子孫、すなわち、素戔嗚尊の子孫の大国主尊を中心に「国津神」として地上に住んでいた神々と婚姻関係を結んだ。彼らの子孫たちが、全国の「地方長官=国造」の家系の祖先となっていったのだ。

 こうして、全国の「国造(くにのみやつこ)」の家系の祖先と、分家や結婚を通じてあまたの氏族をなした結果、今日の日本人の多くの祖先となっている。

 つまり、天皇の祖先神と随伴神の子孫が、今の日本国民の祖先ということになる。同時に百二十五代を数える歴代天皇と、過去のすべての皇族の血筋や皇族から臣下になった方々の血筋までふくめると、現代の日本人は濃度の差こそあれ、元をただせば皇室・神々の血脈にたどりつくといってもいいのかもしれない(たとえば、武士の清和源氏、桓武平氏など、祖先が天皇までたどれる家系も多い)。

*皇位の物証「三種の神器

「大嘗祭」は、崩御された先代天皇に替わって新天皇が「即位の礼(即位の儀式)」を行い、それに続いて執行される日本最大・最古の国家神事である。日本民族の歴史・伝統・精神性・霊性を集大成した『記紀』神話を儀式化して継承する、日本国独自の荘厳な神事といってよい。

 その解説に入る前に、『記紀』による皇室の起源、三種の神器、また皇位継承の意味などを、予備知識としておさらいしておきたい。

 まず、「即位の礼」の開始前に、「践祚の儀」が皇居でおこなわれ、「三種の神器」が継承される。神器は、「八咫の鏡(やたのかがみ=神鏡・政治的権威の証)」「草薙の剣(くさなぎのつるぎ=神剣・軍事統帥権の証)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま=神玉・天皇の霊的力の証)」という意味を持つとされている。

 しかし、筆者はより国民に密着した意味があるだろうと考えている。

 すなわち、「草薙の剣」は「国民を襲う邪気を切り祓う父性の力(日本の成人男性全体の象徴)」「八咫の鏡」は「国民を保護し慈しむ母性の力(日本の成人女性全体の象徴)」「八尺瓊勾玉」も「国民を繁栄へと導く力(日本の子供達全体の象徴)」をも、意味するのではないだろうか。古来、剣は男性、鏡は女性、勾玉は胎児の象徴とされる。三種の神器は、三種の国民を現すものではないかと推考できる。

 もっと詳しく解説するなら、「草薙の剣」の「草」は、ヤマトタケル命が、枯れた草原に敵の放った火で焼き殺されかけたのを、剣で薙ぎ払って助かった神話に由来する。

 実はこの「草」という文字には「青人草=一般庶民」がある。その意味からすると「草薙」とは、国民の頭上に襲いかかろうとする「八俣の大蛇」を薙ぎ祓うことをも示唆しているのではないだろうか。

 また「八俣」「八咫」「八尺」など「八」の字を用いるのも、「多数の」という意味のほか、「四方八方」「全世界」「東・西・南・北・天・地・過去・未来」を表現することもある。

 さらに「鏡=太陽」「勾玉=月」「剣=星」という意味もあり、神器に限らず皇室祭儀の事物・行事は、外見は一個でも、実はそこに多重の意味を含んでいる。既存の学説や過去の研究者たちが考察しえているのは、そのひとつひとつであろう。

 少なくとも『記紀』が編纂された720年(奈良時代)以来、「三種の神器」は、諸事情から「複製(正確には分霊品だが、霊威はオリジナルと同じ)」は造られたものの、紛失や改作、すりかえなどの事態をまぬがれて今にいたる。現時点で、オリジナル、複製ともども、皇居や大神社において大切に保存・継承されている。このように長く現役を続けて今にいたる「王家の宝器」も世界最古にして唯一である。

『記紀』によれば、「三種の神器」は、天皇家の祖先神が、この地上に降臨する以前、「神代」と呼ばれる時代から存在してきたという。奈良時代よりも、はるか太古までさかのぼる霊物で、「天皇と日本人の祖先が神々であったことの物的証拠」といえる。

 この、大変に重要な「日本人の父・母・子供たち」という意味を持つであろう「三種の神器」を、まず継承されるところに、「新天皇が、日本の全家庭とその子孫を、皇位とともに全責任をもって受け継ぐ」という崇高な使命の存在が証されているのでないか。

 神話では、「三種の神器」は、天皇家の祖先神が、この地上に降臨する以前、「神代」と呼ばれる時代から存在してきた。奈良時代よりも、はるか太古までさかのぼる霊物である。「天皇と日本人の祖先が神々であったことの物的証拠」と言うこともできよう。

 ご存じの通り、「八咫鏡」と「八尺瓊勾玉」は、「岩戸隠れ」のときに天照大神を岩屋から引き出すために作製されたものであり、「草薙の剣」は素戔嗚尊が八俣大蛇を退治したとき、その尾にあったものを天照大神に奉献したとされる。

*すばらしき三大神勅

 「三大神勅」とは、「天孫降臨」のとき、邇邇藝命に天照大神が与えた命令であるということは前述した。

 日本民族が、日本国土と物質化した「カミガミ」とともに、いつまでも繁栄するようにと、天皇家の祖神・天照大神に厳命された「親子の誓い」である。  その内容は、『記紀』によれば次のようなものだ。

● 天壌無窮(てんじょうむきゅう)  =天孫の皇室は天地のある限り不滅に続くべし。 (永遠に日本を統治し続け、国土も国民もともに永久に繁栄するように)

● 宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい) =天照大神が、みずからを型どった銅鏡(三種の神器のひとつ)を、天照大神そのものだと思って、皇居に安置し祭祀を欠かさざるべし。 (日本民族は、国民の代表としての天皇家が、祖先神を祭祀し続ける限り、滅びることはない)

● 斎庭稲穂(ゆにわいなほ) =高天原の聖地に植えた神聖な稲の種を持たせるので、それを地上にまいて育て、食糧としなさい。 (日本民族は、米をカミガミから戴いた食糧として大切に耕作し続けよ)

 つまり、カミガミと天照大神の命令によって、日本人は天皇を戴き、祖先から現代の私たちに至るまで「衣食住すべて、先祖のすべてが、カミガミである。それゆえに、天皇家とともに国家がすたれることなく、永遠に続く」ことが約束されているといってよい。

 その約束を、国民を代表して「感謝」「確認」「継承更新」する祭祀を、神話時代から行い続けているのが天皇家なのである。その祭祀を支える精神を、国民生活にまで広げ、日本人の生活規範の基盤となったのが「神道」である。

 つまり、天照大神の命令によって、太古の日本には、次の三つの重要な国家の柱が与えられたと考えられる。

「1.太陽神を自分の身に映し、万民の規範として照らす地上の統治者としての天皇の権威」

「2.太陽神の権威を国民と代々の天皇に伝え知らせる三種の神器」

「3.太陽神によって天皇と国民をともに養い、子孫繁栄させる食糧の稲種」

 天皇はその三つの権能をあずかり、継承することで「日本国の統治の責任」を天照大神から委託され、太陽神と国民の間を、神の子孫兼最高神官として媒介しつつ負うことになったのである。

 いわば、太陽神が、日本という国土そのものを「巨大神社の境内」とし、国民を「大規模氏子集団」と見て、「大神主」として遣わしたのが「天皇」なのだ。

 たとえば、即位時の「大嘗祭」など、皇室の大祭儀ばかりを、私たちは見てしまいがちだが、実は皇居では過去・現在、たくさんの「祭儀」「祈念祭」がとり行われている。主な年中行事の祭儀だけでも、元日の「歳旦祭」からはじまり、収穫期の「神嘗祭」「新嘗祭」を含め、大晦日の除夜祭まで、二十以上はある。

 それらは、「天照大神」をはじめとする八百万のカミガミや、代々の天皇の霊をまつるものだが、そのたびに必ず祈願されるのが、「皇室と日本国の繁栄」「国家・国民への加護」「神恩・祖先の恩への感謝」の三事である。

 この三つの事柄を、天皇・皇室は、過去から現在に至るまで、平均して「少なくとも二週間ごと」に欠かさず祈願し続けているのである。この他にも、中小の同様の祭儀があるし、国民の健康と幸福を祈られる祈願を毎日されている。これは、侍従長が代参という形で、皇居内の「神殿」「賢所」「皇霊殿」(宮中三殿)に、毎朝お参りするものだ。

 つまり、天皇・皇室は、一年を通じて「国家と国民の繁栄と幸せ」をカミガミに祈り、休みなく祭儀をおこない、神事を欠かしていないのである。それを、一千年以上に渡って継続してきた。このような王家は、ほかに存在しない。

 もちろん、この皇居内の毎日の神事とは別個に、天照大神をお祀りする「伊勢神宮」でも毎日、カミガミを崇め、天皇家と国家国民の安泰を祈る祭儀が執行され続けているのだ。日本じゅうの神社でおこなわれる祭りや、神職たちが執行する神前儀式の数々は、そのほとんどが、祭神こそ異なるものの、伊勢神宮と皇室神事を手本にしているのである。

 この間断ない「日本国民のためのカミガミへの祈り」こそが、「神道」の根源であり、日本を民族滅亡から守ってきた無形の「力」であると見ても、決してまちがいではあるまい。

 このように、「高天原の神の子孫」であることを証明する「物証(三種の神器)」「文律(三大神勅)」「産業(稲作農耕)」が存在し、神の加護を呼ぶ頻繁な祭りが厳然と執行されてきた。それゆえに、諸外国と比較して奇跡的といっていいほど、非常に平和で、祭祀中心の穏やかな統治を、長く続けてこられたのである。
〜「神と天皇・大嘗祭」考(二)へ続く〜


「神と天皇・大嘗祭」考(二)