宮地厳夫『氏子之心得』(原文/明治26年)

『氏子之心得』(うじこのこころえ)

               宮地厳夫(みやぢいづを)


○著者:宮地厳夫について

 宮地厳夫先生(みやぢいづを 弘化4年〜大正7年/1847〜1918)は、伊勢神宮の神官(禰宜=ねぎ:大宮司・少宮司の命を受けて神事に奉仕する神職)また宮中祭祀を司る神官である掌典(宮内省式部職・主席掌典)をつとめた。本書は、明治26年に神道系雑誌に掲載された原稿をまとめて、翌年出版した『氏子の心得』という著作。
本コンテンツは同書PDFファイル(国立国会図書館デジタルコレクション013861-000-1 特16-535 M27 ABB-0076)のテキスト化である。
なお、原文には句読点がまったくないので、八神が現代の文字・かなづかいに改め、句読点を新たに全面的に施した。


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氏子の心得


 我が神祇は他の宗教の神と同一視すべきものに非ず

 本邦人にして神道を以て一種の宗教なりとし、他の各宗教と同一視し、之(これ)を我が憲法第二十八条により、信教自由の中に放任すべしと云う者有り。又、同じく本邦人にして神道を以て、全く宗教以外のものなりとし、神道、既に宗教に非(あら)ざる時は、本邦は仏教渡来以前に在(あ)りては無宗教の国なり、無宗教は野蛮たるを免れざれば、既に仏教有るも是(こ)れ亦(また)、外来のものに過ぎざる、以て宜(よろ)しく他の文明国の宗教を採択し、以て其の欠を補うべしと云う者有り。是れ両者ともに誤謬(ごびゅう)の太(いと)甚しきものと云うべし。

 此(こ)の外、神道に就(つ)いては猶(なお)種々の異説を吐くもの無きに非ずと雖(いえど)も、孰(いづ)れも大同小異にして、大約、此の二大誤謬を出でざる者の如し。而(しか)して、此の二大謬見たる甲は、神道を以て全くの宗教とし、乙は之を全く宗教に非ずとす。其の見解に於いては、頗(すこぶ)る反対に出ると雖も、共に神道の何たるかを知らざるに至りては一なり。請う、以下、少(いささ)か、之を弁ぜん。
 
 夫(そ)れ神道の宗教部内のものたるか、宗教以外のものたるか、若(も)しくは一種特別にして類例無きものたるかを知らんと欲せば、先ず宗教たるものの性質より明らかにせざる可(べ)からず。抑々(そもそも)、宗教の事たる西洋各国の俗に於いては、先(ま)ず人の、上帝、即ち神に対する部分を以って、宗教の範囲内とし、良心に係(かか)る部分を以って道徳の範囲内とし、同類、即ち人類の互いに相対する部分を以て法律の範囲内とす。而して同類即ち人類互いに相対し表発したるものを有形とし、又、上帝、即ち神に対するものと、良心即ち心に係るものとの心裏に在りて未(いま)だ表発せざるものを無形とし、有形は政権の所管とし、無形は教権の所管とす。是れ欧州各国に於いて政権と教権とを分つ区域の大略なり。

 是(これ)を以て、人、或いは以為(おもえら)く、神道に於(お)いても神を奉ずるものたり、神に幸福を祈るものたり、既に神を奉じ、又、神を祈る、是れ豈(あ)に、宗教に非ずと云うを得むやと。是れ、所謂(いわゆる)、椒(はじかみ)の丸呑みの説なり。千把一束(せんばひとからげ)の論なり。実に遺漏(いろう)を極むと云うべし。

 元来、国々は、各々(おのおの)其の成立の異なるより、其の性質も亦(また)、各々異なる所、無からざるを得ざる中にも、彼の欧州各国の如きは、皆、革命の国也(なり)。祖先と後裔(こうえい)と中断せられたる国なり。故に其の神と指すものは、其の祖宗を以て之を祀(まつ)るに非ずして、唯(ただ)其の依る所を失いて、後には其の出自(でどころ)の分らぬより、終(つい)に人類は、其の元、不完全なる動物より進化し来れるものならんとの妄説を起こして、我々は実は猿猴(えんこう)などの子孫ならんとまで云い惑いぬる類のもの等が、現世の安寧(あんねい)と死後の冥福とを祈りて安心立命の地を求むる為の道具に供えたる神なり。多くは、人類より、想像の結果として認められたる神なり。故に、其の神と其の人と元より関係を有するものに非ず。

 我が神の如きは、即ち然らず。抑々、我が国たる皇統連綿の国なり。祖宗苗裔(びょうえい)相続の国なり。故に其の奉ずる所の神たる徒(いたずら)に安心立命(あんしんりゅうめい)の地を求める道具に供したる神に非ず。信ずれば帰し信ぜざれば関せずして可なる神に非ず。所謂(いわゆる)、我が神は皇室の御祖宗なり。吾人の祖宗なり。即ち本邦人に在りては元より血脈の関係を有する神なり。離れむと欲するも離る可からざる神なり。而して吾人本邦人の此の神に事(つか)え、此の神に幸福を祈るは、譬(たと)えば、現在の子弟が、其の父兄長上に仕え、又、其の救助を求むると、其の理、毫(ごう)も異なること無くして、所謂、過去世の父兄長上に事え、又、之が救助を求むるに過ぎざるのみ。

 是を以て、本邦にては古来、此の神を祭り、此の神を祈ると雖も、殊更(ことさら)に死後の冥福を祈るかの如き事、之無きは、本邦人は生まれては其の祖宗に仕え、死しては其の祖宗の許に復帰し、我が霊も亦(また)、祖宗の霊と共に神位に斎(いつ)かれて、子孫後裔を守護し、又、子孫後裔の祭祀を享(う)くる者と信じて疑いを容れず、中にも天意を奉じて皇室の為に身を致すを以て無上の栄えとし、所謂、最上の往生を遂ぐるものとして、茲(ここ)に安心立命の地を得たりと信ぜし者なり。是を本邦固有、一種特性の風儀とす。

 彼の儒仏の二教渡来してより、一時頗(すこぶ)る此の特性に変易を与えしもの無きに非ざりしも、元来、本邦人の脳裏に固有する特性なれば、中古以来、数百年の久しきを経て、今日に至るまで、其の仏寺堂宇の隆盛を極めしにも拘(かか)わらず、我が祖宗を祭れる天神地祇の神社は依然として全国の各郷村に充満し、以て其の祭祀を断つこと無かりしのみならず、既に維新の後となりても、中世以来、国家に功労有りし人々をば、皆、之を神社に祭り、国事に死したる者をば、皆、之を靖国神社に斎きて、其の霊を安んぜしめられしに徴しても、其の実を証するに足るべし。
 然れば、其の神を奉じ、神を祈ることの相似たればとて、此の神を以て、他の宗教の神と同一視し、如何(いかん)ぞ、之を信不信に放任することを得ん。然るに、之を彼の宗教の神と混視して其の差別有るを知らざるは疎漏に非ずして何ぞや。

 然れども、海外人にありては、彼等は我神の恩頼(みたまのふゆ)を知らざるのみならず、我が祖宗の血脈を受けたる子孫苗裔(びょうえい)に非ざること、固(もと)より云うを得ざれば、彼よりは我が神をも宗教の神なりとし、之を其の信不信に放任すべしと云うは、是れ亦奇(あやし)むに足らず。然れ共、其れ彼が我が神を宗教の神なりとするを以て、我も亦、我が神を宗教の神と思ふは、愚かも亦、太(いと)甚だしきに非ずや。

 譬(たと)えば、爰(ここ)に甲乙丙丁の数十家有りとせむに、甲家のみは特(ひと)り正しき系図を伝え、其の祖宗を祭祀し能(よ)く之に事(つか)え来たりてあるに、他の乙丙丁以下の数十家は、屡々(しばしば)其の家、不幸に遇(まみ)へて皆其の系譜を失へ、其の先祖の知られざるより止(や)むことを得ずして、由緒も無く縁故も無けれども、安心(こころやすめ)の為にと、各自(おもいおもい)に観音とか勢至とか、或(ある)いは不動または普賢など言うを祭り、以て是を其の知られざる祖先に代えて仕うるもの有りとせむに、甲家の家族たるもの、其の乙丙丁以下の諸家が祭るところは固より其の家々に関係有るものに非ざれば、観音、不動、勢至普賢、孰(いず)れを何(いず)れの家に祭るも勝手にして、所謂、信仰自由なるを見て、我が家の祖宗を祭るをも之れと同一視し、其の祖宗を棄(す)て之に代うるに観音、不動、勢至等を以てすべしと云う者有らば、其の大誤謬たる知者を待ちて知るべきに非ず。

 而して我が神を信教自由に放任すべしと云うは、更に之に異なることなし。愚かも亦太甚しきに非ずや。元来、彼には信教自由に放任せざるを得ざる理由の有りて之を放任し、又我には之を自由に放任すべからざる理由の有ること前述の如くにして、彼が放任せざるを得ざる理由有ると異なること無きは、今更云うを待たざれば、縦令(たとえ)海外人は我が神を宗教の神と同一視するとも、吾人本邦人に在りては、我が神は一種特別にして、宇内(うだい)に類例無き我が祖宗の神たる事を知らざる可(べ)からず。是れ吾人本邦人の為には、我が神は他の宗教の神と同一視すべきものに非ざる所以(ゆえん)なり。
 

 我が惟神(かむながら)の道は他の宗教の類に非ず

 或る人、問いを起こして曰く。
 凡そ宗教には七の要素なるものあり。一には宗教は宇宙創造の原理を解説するものたり。二には宗教は不可思議の原素を含むものたり。三には、宗教の神は、其の一神なると多神なるとに拘わらず、世界万通、宇内普遍の神と認めらるるものたり。四には宗教には教義即ち教典を有するものたり。五には宗教には必ず布教の組織有りて安心立命の地を得たりと信ずるものたり。六には宗教には宗祖、即ち之が立教者たるもの有るものたり。七には宗教には必ず其の本山有りて、教権の執柄者(しっぺいしゃ)有るものたり。凡(およ)そ此の七要素を具するものは、宗教なり。之を具せざるものは宗教たることを得ず。然るに神道には、之を具するや否や、神道にして若し之を具すること有りとせば、宗教に非ずと云わんと欲するも得可(うべ)からず。若し亦之を具すること無しとせんか、神道は宗教なりと云わんと欲するも、その資格無し。思うに、恐らくは神道には此の七要素を具せざるならん、如何(いかに)と。

 答えて曰く。彼の、我が惟神の道を無下(むげ)に蔑視(べっし)し、之を宗教以下に貶(ぼう)せんとの論説を為すもの多くは、是等(これら)の事を以て本拠となすならん。此は全く我が惟神の道を知らざる者の妄説にして、又云うに足ることに非ず。惟神の道、豈(あ)にさる不完全のものならんや。之を各宗教に比するに、其の上に位すること幾層なるを知らず。然れども、之が弁を為さざれば、或いは迷う者の無きを保し難し。故に一々之を弁ぜん。

 先ず一には、本邦の古史に、三神造化の首(はじ)めを為し二霊群品の祖たりと有りて天地開闢の説を列(つら)ぬ。如何ぞ、宇宙創造の原理を解説せざらん。
 二に我が上古、造化の首めを為し群品の祖たる三神二霊の神有りて、世界万有を創造せり。豈に不可思議の原素を含まざらんや。
 三に我が神、既に之を造化の首たりとし、また群品の祖とす。争(いか)でか之を世界万通宇宙普遍の神と認めざらん。
 四に本邦は元来、革命無き国なるを以ての故に、始め皇祖皇宗の懿訓(いくん)を垂れ給いしより、君臣の大義明らかに上下(しょうか)の名分(みょうぶん)正しくして国家固有の美を失わず、整然として今日を為し来たれるものなれば、彼のしばしば革命を経て倫常の秩序を失い国家混乱したるが為に、之を矯正(きょうせい)するの必要を感じて、爰(ここ)に始めて人為を以て教義を設け、教典を造りて世を救うの具に供したる如きの教義教典は、我が国には毫も必要なかりしを以て、固より之れ有ることなしと雖も、皇祖皇宗の懿訓詔勅は教えに非ずして何ぞや。又神典、皇記、式条等は教典に非ずして何ぞや。斯くの如くなれば、如何んぞ教義教典無しと云うことを得ん。
 五に本邦にては、皇祖皇宗の遺法に遵(したが)い、上は皇室より下億兆の臣民に至るまで皆、其の祖宗歴世の神霊を祭るを以て至重至大なる我が国家の礼儀とす。即ち祭政一致なる所以なり。是を以て本邦には皇典聖謨(せいぼ)の外に別に布教の組織など云うものは有ること無けれど、人皆、祖宗の遺訓を奉じて仁義忠孝を旨とし、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友、互いに倫常の道を失わず、中にも皇室の為に身を致すを以て無上の栄とし、生まれては皇室臣民たり、死しては皇国の神となりて、上は皇基を守護し奉り、下は我が子孫後裔の守護神となりて、永く其の祭祀を受けるものなりと決定(けつじょう)し、爰(ここ)に安心立命の地を得たりと信じたりしかば、其の奉ずる所の皇典聖謨は、彼の宗教の、所謂、布教組織なるものの類に非ざるは、今更に云うを待たずと雖も、本邦人の之に依りて安心立命の地を得て有りしことも亦(また)一層、其の上に位せしや明白なり。如何んぞ安心立命の道なしとするを得ん。
 六に以上述ぶる如くなれば、本邦には皇祖皇宗の外に別に祖宗即ち立教者たるものの有るべき謂われなし。故に、各宗教の所謂(いわゆる)祖師の如きものは有ること無し。然れども皇祖皇宗は、我が皇室の御祖宗に座(まし)まして、又我が惟神の道の立教者に座ますに非ずして何ぞや。如何ぞ立教者無しとすることを得ん。
 七に本邦には、皇祖皇宗の外に別に祖宗立教者有る事無ければ、又随(したが)って我が朝廷の外に別に他の宗教の如き、本山及び教権のみの執柄者たる者の有るべき謂われなし。故に之有ること無し。然れども、我が朝廷に於いて既に懿訓(いくん)を布(し)き且(か)つ礼典を主(つかさど)り給う。如何ぞ、本山及び教権の執柄者たるの理を具ふるもの無しとすることを得ん。

 斯くの如くなれば、我が惟神の道には、彼の宗教の七要素と称するものは、一つも之れを具有せざるもの無きのみならず、却って其の上に他の宗教などには掛けても具有し能わざる、更に完全にして宇内に所在せる至善至美なる諸要素を兼有すること多かる中にも、吾人本邦人の戴く所の皇室は、正しく造化の主たる神霊より連綿と其の統を伝え給い、又吾人臣民に於いても、皆其の支流余裔に非ざる者無くして、我が祖宗の教えを奉じ、其の祖宗の威霊を崇め、以て上下一致に君民合同して国初以来、今日に至るまでも之を改めること無きが如きは、所謂惟神の道ある本邦一種の特性にして、実に宇内無比の大道徳を保有するものに非ずや。

 是を以て本邦にては能く斯の惟神の大道を遵奉して上下一に之により、君民共に之を守り、敢えて?離背戻(けいりはいれい)するもの無き時は、風比弥々行われ、国家弥々平らかなること、如何にぞ疑わん。固より他の宗教を借るを要せず、惟神の道のみにて余り有りと云うべし。

 然れば、惟神の道は、各宗教が要素とする所は、一も之を有せざるものなく且つ他の宗教などが掛けても有る能わざる至善至美にして更に完全なる多くの諸要素を兼有するのみならず、其の経歴し来たれる千古の実蹟に於いて既に宇内無比の大道徳を保有し来たりて現に此の宇内無比の我が国体を今日の世界に存在せしむる以上は、其の各宗教の上に位すること幾層なるを知らずして又其の類に非ざること何ぞ喋々(ちょうちょう)を待たんや。

 今、之を海外の一・二例に比せんに、彼の英国・露国の如きは当時、宇内において最富強を以て誇る国なり。而して此の両国が今日の富強を成せるは、皆其の英明なる祖宗が政教一致の法に依りて之を成就したるに外ならず、今其の大略を云わんに、先ず英国は以利沙泊(エリザベス)女王以来、元より其の王室の家系には毫も関係無き耶蘇新教プロテスタントを取りて之を国教と為し、英王自ら同教の教王を兼ね、以て其の版図内に係る政教の二権を掌握し、また露国は彼得(ピョートル)帝以来是も亦、其の王室の系図には其の元、毫も関係無き希臘(ギリシャ)教を取りて之を国教と為し、魯帝自ら同教の教王を兼ね、以て政教の二権を掌握すること英王に異なることなし。而して此の英魯両国の王室の如きは、今日に在りては強国の王室たりと雖も、僅かに数百年の往古に遡れば、皆普通の家系に過ぎずして其の祖宗たる又普通の人類に外ならざるを以て、其の国民をして安心立命の地を得せしむるに至りては、其の祖宗の遺訓のみに委ぬる事、能わざるは、実際、免るべからざる所にして、勢い止むを得ず之を他の教祖が立てたる宗教に依り、以て国王自ら教王を兼ねて政教一途の体を成し立てたること、実に其の理、勢いの然らざるを得ざるに出たり。

 然れども、革命国にしては此れより外に適当の法無きを以て、即ち彼の両国が此の法に依りたるが為に、其の民心を結合し其の国家の精神を函養するに於いて、殊に実効を呈して今日の富強を為すもの、亦之に依らざること無きは、所謂法の得たるものと云うべし。

然るに此の政教一途の体は、今云える如く革命国の止むを得ざるに出たりと雖も、本邦祭政一致の体に相似たるの法となりしを以て、斯くの如く国家に効あり。況や本邦の祭政一致は、縷々(るる)前に申し述べし如く、彼の政教異類の者の都合上より仮に合併して一途と成りたる類に非ずして、正しく其の祖宗の神霊を其の子孫苗裔にて之を祭り、然も其の祖宗の本原は即ち造化主宰の神にして、又我が惟神の道の立教者と座ますのみならず、其の祖宗の教えを同血脈の子孫苗裔にして、之を奉じ且つ其の祖宗の御正統歴世連綿古今一日の如き、所謂本邦の御宗家即ち海内の総御本家と座ます皇室、上に君臨し給い又其の一源分派の外ならざる支流余裔の臣民、下に之を奉戴し、闍国(とこく)全く一家族を以て、其の祖宗の教えを奉じ其の祖宗の神を祭る所謂祭政一致の真正なるものをや、何ぞ、彼と同日に語らん。

 然れば、彼の両国が我が祭政一致の体に似たる政教一致の法に依りて、之を利用してすら一国の人心を凝結せしめて大いに国家の勢力を拡張し、且つ其の富強を増進せしむるに於いて、既に前述の如き大実効を呈するに至れり。之によりて是を観れば、其の真正なる我が祭政一致の古儀に基き時の宜しきに随い、之を今日に利用して謬らずんば、其の国家の勢力拡張し且つ其の富強を増進せしむること何ぞ彼の両国の如きに止まらんや。既に我が古代純然たる祭政一致の体の行われし時代に在りては、数百年間、高麗百済新羅の三韓を我が版図に帰せしめ呉国粛慎国をして朝貢を献らしめ、海外の諸国をして風靡して我に服従せしめたるものは、是れ豈に偶然の事ならんや。皆能く我が祖宗の教えを奉じ、我が祖宗の神を祭り、以て上下一致に君民合同して国家を愛念するの外、他事無かりしに依らずんばあらず。然れば、我が国家の興隆を企図せんとするや、他の制度文物は時の宜しきに随い、如何に更正改新を加うるとも本邦の人心を一致団結せしめて我が国家の勢力を振起し国体の基礎を鞏固(きょうこ)ならしむるの一事に於いては、此の古伝に基かずして、何を以てか之を為さん。然るに、近時、動もすれば種々の異説を拵えて我が国家の大道を貶せんとするもの有り。豈又思わざるの太甚しきに非ずや。


 神社と氏子との関係

 我が国家の組織の上に於いて神社と氏子の関係たる、彼の寺院と檀家及び教会と信徒との関係と大いに異なるもの有り。決(さだ)めて混ずべきものに非ず。而して我が四千万の同胞の中には、或いは其の大いに差異あるを知らざるものも之有るか。動もすれば、之を同一視し、之を混淆して論ずる者の少なからざるは、抑々何等の怪事ぞや。此等の事まで喋々するは、却って成人(おとな)しからぬ心地すれども、眼前に誤解者の多かるを見ながら、黙々に付し去るは、国家に対して不忠たるを免れざれば、請う聊か之を述べん。

 夫れ寺院と檀家及び教会と信徒との関係の如きは、之を喩うるに師家と門人との如し其の門人たる者は、最初に於いては孰(いず)れを師家とするも門人其の人の随意にして、始めより必ず之を師家とすべきなりと定めらるる謂われなし。

 是を以て其の芸道に於ける其の流儀に於ける何れを学ぶとして、我が道に非ずと云うこと無く、何れに従うとして我が師に非ずと云うこと無きは、其の事実に於いて既に斯くの如し。是れ、彼の信仰自由に任ずべき寺院と檀家及び教会と信徒との関係は、其の実、これに異なる事無きのみ。

 神社と氏子との関係の如きは、即ち然らず。其の理恰も父子兄弟の相離る可からざるが如し。凡そ、父子兄弟の間に於いては、所謂、骨肉血脈の関係を有するものなり。如何に之を断たんとするも、相断つ可からざる関係を有するものなり。故に若し相疎んずるの余り、互いに情誼を断ち言論を通ぜざるに至るも、之と共に其の父子たり兄弟たる骨肉血脈の関係を断つの道無きは事実に於いて争う可からざる所たり。我が神社と氏子との関係は正に斯くの如し。是れ即ち其の信仰、自由に放任すべからざる所以なり。

 是を以て本邦の神社と氏子との関係に於いては、若し氏子にして其の氏神を棄て、他の寺院教会に帰し、其の檀家に転じ、其の信徒と成るもの有るも、彼の不孝の子の我が父母を棄て他人の師父に従うものと、一般にて如何に彼を親しみ如何に之を疎んずるも、其の親しむ者をして真正なる血脈の父母となし、其の疎んずる者をして真実の他人となす事能わざるは事実に於いて明白なり。故に縦令、其の親しむ者をして仮に義父たらしむる事を得るも骨肉の父母をして真実の他人たらしむる道なきは、又言を待たざるなり。此れを我が神社と氏子との関係は、如何にしても相離るべからざるもの有りて、彼の信ずれば帰し信じざれば去ること得る寺院と檀家及び教会と信徒との関係と大いに異なる所以とす。

 斯くの如くにして、本邦の諸神社の吾人本邦人に於けるは、元来、祖宗と苗裔との関係、父兄と子弟との関係を有するものなり。然れども、中に就いて之を細説すれば、抑々本邦の種族たる神別皇別蕃別の差別無きに非ずと雖も、其の本源に遡る時は所謂一源分派に過ぎずして、其の実専ら同族を以て成立せしものなり。 

 故に闍国(とこく)恰(あたか)も一家の如く、皇室は宗家なり。臣民は其の支流余裔なり。之を比較するに樹木を以てせんか。皇室は本幹なり。臣民は其の枝葉なり。而して皇祖皇宗は之が本根にして神祇之が枝根たり。是を以て本邦人にして皇祖皇宗及び神祇を崇重するは所謂其の根培うものにして、要するに其の本幹を長大にし其の枝葉を繁茂せしむるに外ならず。若し之を疲弊せしむれば、本幹の長大、枝葉の繁茂、何に依りてか之を望まん。思わずんば有るべからず。 然れども其の神社にも亦祖神と裔神との次第ありて、一概を以て論ず可からず。其の委しき事は?(さき)に既に氏神の説と題して詳論したれば、更に之を贅せず。中に就きて今此の説をなすに要有る事のみを略言せんに皇祖の神宮の如きは、天下誰か之を尊崇し奉らざるもの有らんや。是れ独り皇室に御太祖なるのみに止まらずして、吾人本邦種族一般の御本祖に係り、然も宇宙を照臨し給う天地の主宰なりと仰ぎ奉ればなり。猶、熱田神宮出雲大社等の如き其の他本邦人種の挙げて崇拝せざるを得ざる神社の有るは、即ち之に准て(なぞらえて)知るべし。次に中古以来に在りて諸国の一宮及び二三ノ宮と称せし神社は、所謂延喜の神名帳に名神大の神社にして、即ち方今の官国幣社なり。而して此の神社の如きは、多くは其の国其の地を開始せる神を祭れるものにして之を其の国其の地の祖神氏神とす。其の国其の地に住む者挙げて之を崇重せざるを得ず。所謂其の一国一地方に祖たりし神なればなり。又神名帳に載せられたる小社及び方今の府県郷村社の如きは、中には後世に至りて、一種の信仰上より勧請せし神社も無きに非ずと雖も、多くは其の郷村を開始せる者、若しくは其の郷村を開始せる者の祖宗の神を祭れるに非ざるは無し。之を其の郷村の祖神氏神とす。其の郷村に住む者挙げて崇拝せざるを得ず。所謂其の一郷一村に祖たりし神なればなり。

 是を以て、本邦中に於いては其の国々に祖神たる所謂諸国の名神大の社も、皇祖の神宮に対し奉りては其の裔神と称せざるを得ず。又其の諸国に於いて、各々郷村に祖神たる神社も其の一国の祖神たる大社に対しては、その裔神を称せざるを得ず。元来、本邦の神社は立国の始めより、其の国々に在りて、後に国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)、村首(すぐり)、稲置(いなぎ)、直(あたえ)など云うに成し、人々の一族各自に其の国其の郷村を主管して当初は多く同氏族を以て其の地を開始し、其の祖神氏神を祭れるものの遺存せしなれば、其の地に就きて之を氏神と称し、又其の氏神に対して氏人氏子と称するは実に古義の遺伝なりと云うべし。

 本邦立国以来、既に幾千万の星霜を経過し来たれる今日となりては、諸氏姓の人々互いに移住転居して各地とともに全く混住雑居となりたれば、必ずしも其の地の氏神と称する神社を以て氏子一般の真実の氏の神即ち其の氏子の祖神なりとすることを得ずと雖も、共に本邦人たる以上は我が本居なりし真実の祖神氏神は、我が跡に来たれる者、即ち其の地に就いて之を氏神として其の祭祀を為すことなれば、我は又其の現住の地の氏神を真実の氏神として之が祭祀を為さざるべからず。是れ本邦人は其の神社と氏子との関係に於いて相離る可からざる実有る所以とす。
 以上の理由に依りて凡そ本邦人の神社と氏子との関係に於いては一郷一村の氏神の氏子たりと雖も、猶、其の一国一地方の祖神即ち其の国其の地方の氏神の大社に対しては、又第二の氏子たるの理を具有し又其の一国一地方の祖神氏神に対して、第二の氏子たるの理を具有し、又其の一国一地方の祖神氏神に対して第二の氏子たるの理を具有するのみならず、我が皇室の御太祖、所謂、天祖一般の御本祖たる皇祖の神宮に対し奉りては、又第三の氏子たるの理を具有せり。

故に本邦に於いては国初以来、凡そ本邦人たる者の皇祖の神宮を尊崇せざるもの無く、又其の一国一地方の祖神、所謂其の地方の一宮、即ち名神大の神社を崇敬せざる者無く、又其の郷村の氏神、即ち産土神を崇拝せざる者なきこと、恰も此の現界に於いて天下に皇室を戴き、諸国に国司を仰ぎ、郷村に郷長、里正に従いしに異なることなし。
是れ我が建国以来の国家の組織にして、宇内無比の国体の由りて以て存する所、実に爰にあり。中古、儒仏の二教渡来し、天下殆ど此れに化せざる者なきに至らんとせしかども、猶、此の国家の組織に於いては、依然として変ずる事なく、全く古義を維持し来たれるは、是れ彼の鎌倉覇府以来、武門擅横(せんおう)、朝廷式微(しきび)の世を経ること、凡そ七百数十年の久しきに及びしと雖も、皇威恢復(かいふく)して、再び此の明治維新の隆運に遭遇することを得る所以なり。豈に亦貴重なる国家の組織に非ずや。


 神社と寺院及び教会との区別

 本邦にては固有の神社と後に出来たる寺院及び教会とは其の成立に於いて、実に判然たる区別有るものなり。之を混ぜんと欲するも決(さだ)めて混ずべきものに非ざるなり。然れども、其の区別を弁ずるものなく、人皆其の殊なる所以を知ることなきに至らば、或いは其の決めて混ずまじきものも亦混ずまじきにも非ざるべし。而して本邦に於いて若し之を混淆して同一視し、敢えて其の区別有るを顧みざるに至らば、即ち我が国家の由来する所を忘却し以て国体の基礎を失うに至り、遂に国家永世の大計を誤るの恐れなきを保す可からず。此れ豈小事ならんや。是を以て余は?に壬申組報告の中に於いて聊か之を弁じ置きたり。然れども猶尽くさざりし所なきに非ざるを以て更に其の区別を弁ずること左の如し。 抑々、本邦の神社は即ち我が皇室の御祖宗、所謂皇祖皇宗を始め奉り、吾人本邦人の祖宗即ち氏神を祭れる者にして、吾人本邦人は其の子孫足り。苗裔たるに外ならざれば之を崇重し、之を尊敬すべきは固より其の責の免るべからざる所なり。是を以て其の本原を推究するに、我が人種(ひとだね)ありて而して後、我が神社に祭る所の祖宗氏神の出来たるに非ずして我が神社に祭る所の祖宗氏神有りて、而して後、我が人種有りしは今更云うを待たざるべし。如何んとなれば、本邦の神社は、今云える如く、其の本原に遡れば皆吾人本邦人の祖宗及び其の祖宗の祖宗を祭るに非ざるものなくして、吾人本邦人は又其の子孫の子孫に非ざるもの無ければ也。故に我が神社と氏子との関係に於ける専ら其の土地の区画に依りて、之が境界を為す。是れ其の神社は、大概其の土地の開祖か若しくは其の領主の祖神かを祭れるに外ならざるを以て、自然に斯くの如し。此れ即ち、其の氏神の神社は其の土地の氏子に於いて、之を崇敬せざるを得ざる責任ありて其の信仰、自由に放任すべからざる理由の存する所以なり。

 彼の寺院及び教会の如きは、即ち然らず。其の如何となれば、此れは其の元、信仰上より成り立ちたるものにして、我が人種に之有るべき理由無きは、識者を以て知るに非ざるなり。既に本邦に現存する寺院仏閣等の建立の始めに遡りて其の事蹟に就きて考うべし。

 如何なる寺、如何なる堂と雖も、皆此の明治二十六年よりは凡(およ)そ一千三百四十二年前、即ち欽明天皇の十三年に百済の国の聖明王より仏像経論等を我が朝に献りし時、蘇我の稲目の宿弥が之を小墾田の家に安置し、又向原の家を以て寺と為したるを以て始めとして、其れ以来、上下の信仰を以て造立したるに外ならざるなり。

 而して、其の寺院仏閣等に安置せらるる所の仏陀及び菩薩等は、此れ其の原(もと)と本邦の人種に少なくも関係有るものに非ず。全く印度人の信仰し始めたるを受けて、彼に化せられ、以て之を信仰し、其の結局、遂に本邦内に無数の寺院堂宇を建つるに至りしは、歴史の事実に昭々たり。

 此れを今日の実際に例するに、彼の教会堂に於いて崇拝せらるる所の基督が、本邦人種には毫も関係を有するものに非ざるも、一種の信仰家が身を以て之に従事し、為に教会を設けて之に諂うと何の分かつことのこれ有らん。是れを寺院たり教会たるものの本質とす。

 果たして然らば、寺院教会は本邦人の信仰に依りて之を造りたるものにて、寺院教会有りて、其の寺院に安置せられ教会に崇拝せらるる所の仏菩薩なり有りて、而して此れより出たる本邦の人種に非ざることは明々白々なり。
 故に、其の檀家と云い信徒と称するものは、土地の区画に依りて之が境界を定むるものに非ずして、全く人心の向背信不信に依りて之を定む。是れ即ち信仰自由の理の由って存する所以にして、宗教に於いては必ず奉教自由に放任せざるを得ざるは、即ち此れが為なり。

 以上、申し述ぶるが如くなれば、凡そ本邦人は、神社に祭る所の祖宗に依りて存在するものにして、吾人本邦人の祭るに依りて祖宗の出で来たるものに非ず。而して、寺院教会は即ち然らず。全く吾人本邦人の信仰に因りて之を設けたるに過ぎざるものにして、換言すれば吾人本邦人は我が神社に祭る所の祖宗より生まれて、我が国家と共に存在するものなり。

 彼の寺院教会は全く之に反して、吾人本邦人の信仰に依りて之を造り、以て我が今日に存在するものなり。是を以て寺院教会は衆庶の信仰に放任して顧みざるも敢えて不可なきのみならず、放任せざれば却って不可なるものなり。如何となれば、元来、衆庶の信仰上より成り立ちたるものなればなり。

 我が神社は即ち然らず。其の元、我が祖宗及び其の祖宗の祖宗を祭るものなれば、其の子孫たり苗裔たる吾人本邦人に有りては、決(さだ)めて之を衆庶の信不信に放任すべき理なきのみならず、此れ即ち我が国家の組織の基礎たるものにして、我が君臣上下の秩序の整然たるも全く之に因りて確定したる所なれば、我が神社は実に我が国家の命脈に関係を有するものなり。

 斯くの如くにして、我が固有の神社と後に出来たる寺院教会とは、実に判然たる区別の有るものなり。之を混ぜんと欲するも、決めて混ずまじき道理の存するものなり。

 然るに近来、動もすれば此の我が祖宗の神社をも彼の宗教の寺院教会と同一視し、併せて之を之を信仰自由の中に投ぜんと欲するものなり。 固より我が国史を読まざる無識の徒の妄言に過ぎずと雖も、其の子孫にして祖宗を軽慢することの爰(ここ)に及べるは、奇しきも亦太甚しきに非ずや。

 本邦にして、若し此の宇内無比の国体をなし来たれる我が国家の基礎たり根底たる神社をして、之を信仰自由の中に放棄し、以て衰廃に陥らしめなば、其れと共に此の宇内無比の我が国体を失うに至るを如何せん。思わずんば有る可からず。(了)
       

明治二十七年八月七日 印刷
同年同月十三日 発行 (非売品)

編集兼発行者 宮 保麿
新潟県北魚沼郡堀之内村
大字堀之内村第百四十九番戸

印刷者 五十嵐 政太郎 
新潟県古志郡長岡本町
大字長岡第六十六番戸

印刷所 長岡日進社 
新潟県古志郡長岡本町
大字長岡柳原五十三番戸

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